第12話 王都脱出計画

◇◇


 レイラとセシリアの足音が遠くなったところで、ラウルがステファノに目配せをする。それを受け取ったステファノは重い口を開いた。


「レナードが王都を出るのは5日後。この日は死んだ母さんの命日だ。王城の裏手にある墓地に家族とわずかなお供だけで向かうことになっている。そこで俺が皆の目を引き付けているうちにラウルと一緒に王都を出るんだ」


「母さんの命日……」


 レナードの母が亡くなったのは彼が10歳の時だ。レナードには母の記憶が鮮明に残っている。

 優しくて、いつも穏やかな微笑みを携えていた、春の陽だまりのような人だった。

 兄と喧嘩して大泣きした時は、病床のベッドから出てきて抱きしめてくれたのをよく覚えている。


 ――大丈夫よ。大丈夫だから。


 泣き止むまで何度もそう言い聞かせてくれた母。

 最後は心を落ち着かせるおまじないとして、ジャスミンの香水を振りかけてくれた。

 まぶたの裏に思い描くだけで、目頭が熱くなるのを抑えられない。


「レナード。大丈夫か?」


 ステファノの声ではっと我に返ったレナードは、何度か首を縦に振った。


「よし。ところで父さんへ『初陣の処罰』について、頼み事はちゃんと言えたか?」


「うん。言えたよ」


「ラウルは噂を流せたか?」


「はい」


「そうか! 二人ともよくやった!」


 ステファノの顔がぱっと明るくなり、レナードとラウルの肩を嬉しそうに叩いた。

 気恥ずかしさと嬉しさに、二人の顔が思わずほころぶ。

 彼らの様子を見て、ステファノも口元に笑みを浮かべると、まくしたてるように続けた。


「戦後の賞罰については明朝に話し合われることになっている。その会議に俺も呼ばれているからな。あとは俺に任せてくれればいい。これでレナードが国外に出ていく理由はできたわけだ」


「国外に出ていく理由はある。王都を脱出するチャンスもある――。兄さん、やれそうだね!」


 レナードが弾んだ声をあげると、ステファノはニヤリと口角をあげて、大きくうなずいた。


「逃亡先の生活もできる限り今までと変わらないように手配しておいてやるからな」


「うん! 何から何までありがとう!」


 頭を下げるレナードの両肩に手を置いたステファノは、表情を引き締めて言った。


「いいか、レナード。おまえの秘めた力は強大だ。おまえはその力で何だってできるかもしれない。でもこれだけは約束してくれ。どんな力であっても、自分のためだけに使ったらダメだ。大切な人を守るために使うんだ。そうやって他人を幸せにすることで自分も幸せになるんだよ。いいね?」


 レナードにはなぜ今になって兄がそんなことを言いだすのか、不思議でならない。

 たが彼の言いつけはもっともだ。

 レナードは口をきゅっと結んでうなずいた。


「よし!」


 ステファノが笑顔に戻ったところで、レナードの王都脱出計画は締めくくられようとした。


 ……が、次の瞬間だった。


「誰かくる!」


 耳のいいラウルが声を張り上げた。

 顔色をさっと青くしたレナードに向けて、ステファノは両手で落ち着けと合図する。


「もう話し合いは終わったからレナードが隠れる必要はない。誰がきても毅然とした態度で臨むんだ」


 そう告げて、今度はステファノが物陰に消えていく。

 その直後、扉をノックする音とともに高い女性の声が聞こえてきたのだった。


「レナード様! ユーフィンです! 急ぎお耳に入れたいことがございます!」


◇◇


 部屋の中に入れてもらったユーフィンは、レナードの座るソファの脇で直立したまま、先ほど詰め所で見聞きしたことを話した。


「なるほど……。明日の警備の配置に不審な点が見られるということだな?」


 姿をあらわしたステファノがユーフィンに問いかける。

 ユーフィンに向けられた彼の視線は、騙そうとしたらタダじゃおかない、と脅しをかけるように鋭い。

 しかしユーフィンは物怖じすることなく、はっきりとした口調で答えた。


「はい、その通りです」


「レナード様の警備を外されて文句を言いたいだけじゃねえのか?」


 ラウルの嫌味のある問いかけにも、ユーフィンはまったく動じない。


「そんなに疑われるのなら、こちらをご覧ください」


 彼女は質問に答える代わりに、3枚の紙をテーブルの上に置いた。


「これは……名簿かい?」


「はい。1枚は近衛兵のもの。1枚は群青の騎士団チアル・ハーリエルのもの

。そして最後の1枚はタレコミ屋から入手した暗殺者のリストです」


 ステファノが、名簿をじっくり見ながらつぶやいた。


「『ジョン』『ボブ』『フランツ』の3人の名前は暗殺者のリストにあるな。彼らが群青の騎士団チアル・ハーリエルのふりをしてレナードの警護にあたる、ということか」


「それだけではございません。レナード様、紙を数枚いただけますか?」


「あ、うん」


 ユーフィンの気迫に押されるようにレナードは部屋の隅にある机から便せんとペンを取って、彼女に手渡す。


「ありがとうございます」


 彼女はそう礼を言うなり、肩まで伸ばした黒髪を前に垂らして、一心不乱にペンを走らせる。

 何を書いているのだろう、とみんな彼女の手元を覗き込んでいたが、徐々にあらわれた『図面』を見て、一様に目を丸くした。


「これは……」


「明日の警備の配置図です」


「こんなに細かく覚えていたというのか……」


 ステファノが驚きの声をあげても、ユーフィンは淡々とした口調で返した。


「私はレナード様の『目』でございますから」


 9枚の便せんを並べると、王宮から獅子王門までの全体像があらわになる。


「しかしすごい数の警備だな。まるでネズミの一匹も通さない、と言わんばかりだ」


「昼前にライアン様たちの出立式、午後からは反乱軍討伐の凱旋パレードと、重要な行事が立て続けに行われます。そのため、近衛兵だけでなく群青の騎士団チアル・ハーリエルをはじめとして、複数の騎士団が警備にあたることになっているのです。でも、見ててください」


 ユーフィンは窓際のテーブルに置かれたチェスの『キング』の駒を手にとると、図面の上に置いた。


「ここがレナード様のお部屋です」


 ユーフィンがゆっくりと駒を動かしていく。

 その道筋には兵の名前が至るところに書かれてあり、監視の目が厳しいことが明らかだ。


 しかしユーフィンの指がとある場所で止まった時、みなの口から声が漏れた。


「えっ……」

 

 それは王宮の北東に位置するレナードの屋敷から中央にある大庭園に抜ける『木漏れ日の小路』と呼ばれる人工林の中。

 その周囲には警備の名前がまったく書かれていなかったのである。


「つまり『木漏れ日の小路』で何が起こっても、誰の目にも留まらない――ということだな?」


 顔をこわばらせたステファノの問いに、ユーフィンは眼光を強めて口を開いた。


「はい。何でも完璧にこなすエブラ隊長では考えられない『隙』です」


「何か手は打てるのか?」


 ステファノの荒い口調に対し、ユーフィンは落ち着いた声色で答えた。


「はい。私に考えがあります」


「そうか……。それはよかった。ならもう下がってよいぞ」


「いえ、そういう訳にはいきません。一つレナード様におたずねしたことがあるのです」


 ユーフィンがレナードに顔を向ける。


「みなは『戦の寸前に怖くなって一人で帰還してきた』と噂しておりますが、『戦の寸前』というのは間違っておりますよね?」


「えっ?」


 突然の指摘に目を丸くしたレナードに対して、ユーフィンははきはきした口調で続けた。


「レナード様が王宮へ戻られた時、鎧に血を浴びた時に作られる『錆』がありました。それを見て、何らかの戦闘が行われたのではないかと思ったのです。もしそれが敵からの奇襲であれば、ラウルがわざわざ井戸端までやってきて、噂話が好きな侍女に『レナード様は戦う前に逃げてきた』とこっそり耳打ちする必要はありません。真相は隠しておきたかった――となれば『味方の裏切り』があったのではないですか?」


 ユーフィンの『目』の鋭さに、レナードの隣で聞いていたステファノは言葉を失っていた。


 ラウルの『耳』。

 ユーフィンの『目』。


 二人ともレナードによって街の片隅から拾われてきた者たちだ。

 しかしいずれも他には類を見ない優れた能力を持っているとは……。

 これは単に偶然なのか、それとも――。


 そんなことに考えを巡らせているうちに、レナードがステファノに目配せをしてきた。

 ステファノが小さくうなずくと、レナードは口を開いた。

 

「ユーフィン。今から話すことは誰にもしゃべったらダメだよ。実は――」


 こうして彼はすべてを話したのだった。

 初陣で起きたこと、王国を脱出しようとしていること、そして自分の身に宿るいにしえの禁呪ラグナロク・マジカのことも――。


「そうだったのですね……。レナード様にはそんな力が……」


 それまでほとんど表情を変えなかったユーフィンが、口を半開きにしたまま眉間にしわを寄せている。

 そして何度かまばたきをしながら何やら考え込んだ後、ぐっと表情を引き締めて言った。


「王国脱出の件ですが……。5日後では遅すぎます。ギル将軍とエブラ隊長がレナード様のことを害そうと考えているならば、明日以降も執拗に命を狙ってくるでしょうから」


「では、いつがいいと思う?」


 ステファノが落ち着いた声色で問いかけた。

 ユーフィンは一度大きな深呼吸をした後、意を決したようにはっきりとした口調で答えたのだった。



「明日しかないかと――」



◇◇


 窓の外はすっかり暗くなり、空には星がまたたいている。

 だが煌々と灯りがともったレナードの部屋では、未だに王都脱出計画が練られ続けていた。


「ライアン様とレイラ様の出立式が始まる3オクト(約30分)前に、レナード様の部屋に護衛たちがやってくる予定です」


「刺客の間違いだろ」


 ラウルが吐き捨てるように言うと、ステファノが彼の肩を優しくたたきながら口を開いた。


「今は『護衛』ってことにしておこう。ところでユーフィン。出立式が始まる前にレナードが王都を抜け出すことはできないか?」


「それは無理です。仮に王宮から出られても、獅子王門から先に進むことはできないでしょう」


「王子が命じれば門番も通してくれるんじゃねえか?」


 ラウルの問いに、ユーフィンは口をへの字にして首をすくめた。


「相手はエブラ隊長なのよ。彼にしてみればレナード様を絶対に外に出したくない。だからたとえ国王様が命じても通してくれないに決まってるわ」


「獅子王門以外の門は?」


「王宮から外に出る門は東西南北に4つあるけど、この日、橋げたが上がっていないのは獅子王門だけよ」


「くっそ……!」


 ラウルが悔しそうに唇をかんだところで、ステファノがため息交じりに低い声をあげた。


「となると出立式の最中か、それとも凱旋パレードの最中か、いずれしかないな」


「しかし先ほどからお話ししているように、警備は万全で、とてもじゃありませんが、レナード様が隙をついて逃げ出すことはできません」


「隙……か……。作るとすれば凱旋パレードだろうな。その名の通りに戦場から将軍が凱旋してきたことを模して行われる。つまり将軍が王宮に入る時は獅子王門は大きく開かれるということだ。ユーフィン。将軍が王宮に入ってから、門が閉まるまでの時間はどれくらいか分かるか?」


 ステファノの問いに、ユーフィンはこめかみに人差し指を当てながら目をつむった。


「ええっと……。ちょっとお待ちください。今、凱旋パレードの流れを記録した書類を思い起こしておりますので……」


 しばらく考え込んでいたユーフィンだったが、ゆっくりと目を開けた後、重い口調で答えた。


「3ニノ(約30秒)……。しかしそのわずかな時間でも警備の目をそらすのは不可能です……」


「3ニノか」


 ステファノはそうつぶやき、ちらりとレナードを見た。


「どうだ? やれるか?」


 レナードは一瞬だけ戸惑ったが、すぐに口を固く結んでうなずいた。


「うん。ギリギリだけどね」


 ステファノが確信を得たように小さな笑みを浮かべる。そしてレナードの様子を不思議そうに見つめているラウルとユーフィンに対し、声の調子をいっそう落として告げたのだった。


いにしえの禁呪ラグナロク・マジカの一つ。『時の迷路ティム・ラビリン』――時間を止める魔法で、レナードだけの隙を作るんだ」


 

 


 


 


 


 

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