第11話 返事を聞きに

◇◇


 レイラがレナードに出会ったのは5年前――つまり彼女が故郷の決まりでアラス王国に預けられていた時のことだ。


 生まれつき人見知りが激しく、いつも独りぼっちでいた彼女に話しかけてくれたのがレナードだった。

 レイラとレナードにはいくつも共通点があった。


 稀有な英雄の資質を持った兄を持つこと。

 勉強がちょっぴり苦手なこと。

 小さな花が好きなこと。

 王宮の中庭を探検するのが、午後の楽しみだったこと。

 うんと砂糖を入れて甘くしたコーヒーと、チョコチップたっぷりのクッキーが大好物だったこと。


 ぱっと思いつくだけでこれくらいある。

 だから彼らが意気投合したのは当然の成り行きだったのかもしれない。


 レイラはレナードと一緒にいる時だけは、寂しさや退屈を忘れた。

 見るもの全てがキラキラと輝いて見えて、ずっとこの時が続けばいい、とまで思っていた。


 それでもはじめはレナードのことを『仲の良いお友達』としか思えなかったのは事実だ。しかし時の経過と共に、その感情はちょっとずつ『淡い恋心』へと変化していくのを抑えられなかった。


 だが彼女は知っていた。

 自分が一国の王女であり、アラス王国から故郷に帰れば、数年後にはどこぞの国の王か、有力貴族の跡取り息子と政略結婚をさせられる宿命を背負っていることを……。


 それでもこの恋をあきらめたくはなかった。

 

 だから彼女は、今から2年前――つまりアラス王国を去る時に、一世一代の勇気を振り絞って、自分の想いをレナードに告げたのだった。


 ――お慕い申し上げております。レナード様。


 正直言って、返事など期待していなかった。

 もっと言えば、「ごめんなさい」と返されるとばかり思っていた。

 しかしレナードは違った。

 彼は真剣に悩みに悩んだ挙句、彼女にこう返してきたのだった。


 ――ごめん。僕はまだ自分の気持ちがよく分からない。だから次に会った時に返事をさせてほしい。


◇◇


「ちょ、ちょっと待ってくれませんか?」


 レナードの部屋に向かう最中、レイラは突然立ち止まり、前を行くアウレリアの侍女に声をかけた。

 侍女はレイラの方を振り返り、何事だろうとまばたきを何度かしたが、すぐに事情を察して、柔らかな笑顔になった。


「はい、かしこまりました」


 レイラは「ありがとう」と小声でつぶやくと、ドレスを整え、髪を手でとかす。

 ほんの少しでも綺麗に身なりを整えてから、恋する相手に会いたいという純粋な乙女心に、彼女よりも少しだけ年上の侍女は微笑ましい気分だった。


「もう大丈夫です」


「では突き当りの扉が殿下のお部屋でございます。私はここでお待ちしております」


「え? 一緒にきていただけるのではないの?」


「ふふ。ここからはお一人でどうぞ」


 まだ何か言おうとするレイラに対し、侍女は頭を下げて目を合わせようとしない。

 レイラはあきらめて、一人でレナードの部屋に向かって歩き出した。

 足を踏み出すごとに、呼吸が早くなっていく。

 

 早く会いたい。

 でも迷惑がられたらどうしよう……。

 あの時のお返事を忘れられていたらどうしよう……。


 熱望と恐怖が入り混じり、何も考えられなくなっていく。

 それでも一歩また一歩と木製の大きな扉に近づいていった。

 

 ――もうすぐレナード様に会える!


 ついに喜びが恐怖と緊張に打ち勝つ。

 そして扉に手をかけようとした、その瞬間だった。


 ――ガチャッ。


 急に扉が開いたのである。

 中から出てきたのは黒髪で目つきの悪い少年だった。

 レイラが驚きのあまりに声を失っていると、少年の方から声をかけてきたのだった。


「ここはレナード様の部屋だ。何か用か?」


「あ、あの……。私……」


 何と言っていいか分からず戸惑うレイラ。

 すると彼女の背後から突き抜けるような声が聞こえてきたのだった。


「ラウル! このお方はティヴィル王国の王女、レイラ様よ。あなたなんか足元にもおよぼないくらいずーっと高貴な人なんだから。口の聞き方に気をつけなさい!」


 その声の持ち主は先ほどまでレイラを先導してきた侍女だった。

 きりっと表情を引き締めて、ラウルに鋭い視線を向けている。

 ラウルはやりにくそうに彼女から視線をそらし、吐き捨てるようにして言った。


「ちっ。セシリアか」


「何よ、その舌打ちは! ちなみに言っておくけど、私はあんたよりも10年も早く王宮で奉公しているのよ! 先輩をもっと敬ったらどうなの!?」


「うっせーな。歳は一緒じゃねえか。先輩もクソもあるものか」


 ラウルがめんどくさそうにセシリアに顔を向ける。

 セシリアは腕を組み、あごを上げて、彼を見下ろしている。

 

 にわかに二人の間に緊張が走ったところで、レイラが間に立った。


「私、レナード様に会いにきたんです! お願いです! 部屋に入れてください!」


 レイラの声が廊下中に響き渡り、ラウルとセシリアの視線が彼女に集中する。

 

「それは無理だ……です」


 ラウルが低い声で答えると、セシリアが即座に言い返した。


「それはあなたが決めることではないわ。中にいらっしゃるんでしょ? 今すぐ呼んできてよ」


「いや、できない」


「だからそれはあなたが――」


 そうセシリアが言いかけた時、再び扉が開けられたのである。

 そして中からあらわれた人物を見て、セシリアは慌てて廊下の端に寄って頭を下げたのだった。


「やあ。久しぶりだね。レイラ殿下!」


 すらりと伸びた高い背に、まるで彫刻のような美しい顔立ち。

 さらにかすかな香水の匂いとともに漂う気品。

 間違いない――。

 アラス王国の第一王子――つまり次の『世界を統べる王クレティア・コントーチ』を継ぐ者だ。

 

「ステファノ様!」


 ステファノはニコリと微笑むと、丁寧にお辞儀をした。


「ようこそ。……いや、この場合は『おかえり』と言うべきかな? とにかくまた会えて嬉しいよ」


 ステファノの全身から放たれる雰囲気にレイラは圧倒されて、頭が真っ白になってしまった。

 そんな彼女に対し、ステファノは残念そうに眉をひそめて言った。


「実は俺もレナードに会いにきて、部屋の中で待っていたんだけどね。父上のところへ行ったきり、まだ戻ってきていないのだよ」


「そうでしたか……」


 ガクリと肩を落とすレイラ。

 ステファノは穏やかな口調で続けた。


「ところでレイラ殿下はウィネットの誕生日をお祝いにきてくださったのだろう?」


「え? あ、はい。でも、どうしてご存じだったのですか?」


「招待客の名簿に名前があったから覚えていたんだ。パーティーを途中で抜け出して、他国の王子の部屋に長居をしていた――なんて噂になったらよくない。レイラ殿下がここにきたことは俺からレナードに伝えておくから、今日のところはお引き取りいただいた方がいいと思うのだが、いかがだろうか?」


 レイラは唇を噛んでうつむく。


 明日の朝にはこの城を発つことになっているから、今会えなければ次はいつ会えるか分からないのに……。


 声に出せないやるせない思いが、彼女の瞳に涙となってあふれてきた。

 そんな彼女と視線を合わせるように、ステファノは低くかがんだ。


「きっとまた会える日がくるからね。それまでの辛抱だ」


「はい……」


 かすれた声で返事をしたレイラに、ステファノは小さくうなずいた後、近くで控えていたセシリアに声をかけた。


「レイラ殿下がパーティー会場にお戻りになる」


「はい、では私がご案内いたします」


「うん。よろしく頼んだよ」


「かしこまりました」


 レイラはセシリアに連れられて、トボトボと来た道を引き返していく。

 ステファノとラウルの二人はその様子をしばらく見ていたが、互いに顔を見合わせて小さくうなずいた後、部屋の中へと戻っていったのだった。


◇◇


「本当にこれでよかったのか?」


 ステファノが部屋に戻るなり声をあげると、物陰から姿をあらわしたのはレナードだった。


「仕方ないよ……」


「そう言う割には、落胆の色が濃い気がするんだがな」


 ステファノが部屋の中央にある大きなソファに腰をかけながら深いため息をつく。

 レナードは白い頬をわずかに桃色に染めて口を尖らせた。


「もしかして兄さんは僕をからかっているの?」


「そういう訳じゃないけどな。女性は国の宝だからね。レナードも初陣を終えたのだから、そろそろ女性への接し方を学んでおいた方がいいぞ」


「ご忠告、ありがとう。でも今はそれどころじゃないよ」


「ああ、もちろんよく分かっているさ」


 レナードがステファノと向き合うようにして腰をかけたところで、ステファノはぐいっと身を乗り出した。そして眼光を鋭くして、低い声をあげたのだった。



「では再開しよう。レナードの王都脱出計画の話し合いを――」

 

 

◇◇


 同じ頃。

 近衛兵たちの詰め所には多くの男たちがコーヒー片手に談笑していた。

 彼らの話題の中心は「レナードが戦の途中にも関わらず一人で帰還してきたこと」だ。

 事情の知らない彼らは「戦の寸前に怖くなって逃げだしてきたのだろう」と口々に噂していた。

 そんな中、仏頂面で部屋に入ってきた隊長のエブラが、明日の警備の配置図を壁に張った。


「明日はライアン殿下らを見送った後は、反乱軍討伐をたたえたパレードが催される。いつもと配置が異なるから、よく頭に叩き込んでおけ」


 部屋で休憩していた兵たちが一斉に壁の周りに集まり始める。


「おお! やった! 俺、後宮の近くだってよ! 可愛い侍女たちの尻を拝み放題ってわけか! あはは!」


「俺なんてライアン殿下の馬車の警備だぜ! みんなの視線が俺に集まるじゃねえか! くぅ! 今から緊張するぅ!」


 皆がワイワイと騒ぎ立てる中、身じろぎ一つせずに配置図をじっと見つめる小柄な少女がいた。

 そんな彼女に対し、赤い鼻をしたひげ面のおっさん――サムが声をかけた。


「お前はどこの担当だ? ユーフィン」


「…………」


 ユーフィンと呼ばれたあどけなさの残る少女は、小さな口を真一文字に結んだまま、何も答えようとしない。


「なんだ? 自分の名前も見つけられないのか? どれどれ……。おっ! あったぞ! おまえさんはレイラ殿下を部屋から獅子王門まで警備するお役目じゃねえか! こいつは大役だぁ!」


「…………」


「つい3年前まで街の片隅で物乞いしてたおまえさんが、こんな役目をいただけるなんてよぉ。拾っていただいたレナード殿下に感謝しなきゃなんねえよ。よかったなぁ! ううっ……」


 サムが感極まってすすり泣きしだしても、ユーフィンはまばたき一つせずに配置図を食い入るようにして見つめている。


「おまえ? 何をそんなにジロジロと図面を見てるんだ?」


 不審に思ったサムがそう問いかけた瞬間、ユーフィンはくるりと振り返ると、部屋を後にしようとしているエブラの背中に向けて鋭い声をぶつけた。


「隊長。なぜ私をレナード殿下の警備から外したのですか? こうした行事がある時は、必ず殿下の周辺を見張るのが私の役目のはず。殿下からもそう言いつけられております」


 ピタリと足を止めたエブラは、振り返らずに答えた。


「理由などない。俺の命令に従え」


 有無を言わせぬ凄みのある口調に、それまでわき上がっていた部屋の中が静まり返った。

 だがユーフィンはたじろぐことなく続けた。


「殿下の警備を担当する、『ジョン』『ボブ』『フランツ』っていったい誰ですか?」


「……仲間に決まっているだろ」


「仲間? 近衛兵の名簿に名前がありませんけど」


 エブラがちらりとユーフィンの方を振り返る。

 ユーフィンは猫のような目つきでエブラをにらみつける。

 だがエブラは無表情のまま口を動かした。


「近衛兵1000人の名簿を全部覚えているというのか?」


「私のことよりも3人の素性をお教えください」


「|群青の騎士団(チアル・ハーリエル)だ。この日は人手が足りないから応援を頼んだ。悪いか?」


 エブラの声色がますます低くなり、瞳には殺気がこもっている。

 これ以上、つっかかればユーフィンが痛い目にあうのは火を見るよりあきらかだ。

 サムが肘でユーフィンの二の腕をつついて「やめておけ」と合図を送る。

 ユーフィンはちらりとサムの顔に視線を送った後、エブラに頭を下げた。


「いえ」


「ならいい。お前は自分の仕事をまっとうすることだけを考えろ」


「はい」


 エブラは部屋を後にしていった。

 あちこちから安堵のため息が漏れ、にわかに活気が戻る。

 しかし、


「おいっ! ユーフィン! 今日はおまえさんのお祝いをしに――」


 そうサムが声をあげた時には、ユーフィンの姿は部屋のどこにもなかったのだった。



 


 


 


 

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