第10話 足取り

◇◇


 王都シュタッツにある王宮の敷地は、1辺1ジグ(約1キロメートル)の広大な正方形となっており、さらにその奥の小高い丘の上に巨大なシュタッツ城がそびえたっている。


 ゼノス歴303年7月13日の昼さがり――。

 王国軍による反乱軍のせん滅戦が行われようとしていたその頃、王城のすぐ右わきにあるひと際大きな屋敷では、盛大なパーティーが催されていた。

 

「ウィネット様。まことにおめでとうございます」


 ピンクのドレスで着飾られた幼い女の子が、王族のみが座ることを許されたハヤブサの彫刻が施された巨大な椅子にちょこんと腰かけている。

 鮮やかなブロンド色の髪をクルクルと巻き、唇は薄い紅。

 多くの大人たちを前にして緊張しているのか、リスのようにつぶらな瞳をかすかに見開いている。

 彼女の名はウィネット・フットという。

 マテオ国王とアウレリア王妃との間に生まれた子で、レナードにしてみれば異母兄妹にあたる。

 この日は彼女の5歳の誕生日。だがもちもちした白い頬を少しだけ膨らませている様子からして、あまり乗り気ではないようだ。

 そんな彼女の隣で、ダチョウの羽で作られた扇をゆらりゆらりと揺らす女性――アウレリア王妃は、たいそう上機嫌だった。

 彼女は切れ長の細い目をさらに細くして、ウィネットに挨拶した貴族風の男とその横の女に声をかけた。


「あら、伯爵と奥方様。ようこそいらっしゃいました」


「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」


「ふふ。有力貴族と名高い貴殿を招かずしていかがするというのです」


「王妃様にそうおっしゃっていただけると、我々も鼻が高い」


「では今日はゆっくりと楽しんでくださるかしら?」


「ええ、お言葉に甘えさせていただきます。では、次の方が待っておられますので、私どもはここで」


 こんなやり取りをもう1ドンヌ(1時間)近くも行っているのだ。

 ウィネットが不機嫌になるのも当たり前と言えよう。だが駄々をこねることもなく大人しくしているのは、横に座る母の顔色をうかがっているからに他ならない。


 ――お母さまのご機嫌を損ねたら大変だもの。


 アウレリア王妃の勘気をかい、次の日から跡形もなく姿を消した召使いたちを、ウィネットは何人も知っている。

 だからもしここで自分が癇癪を起して、せっかくのパーティーが台無しになろうものなら、母からどんなお仕置きが待っているとも限らない。


 ――じっと座っているだけでいいんだもの。我慢しなくちゃ。


 姫の前に並ぶプレゼントを手にした貴族や町の有力者たちは、みなウィネットではなく、母のご機嫌を取りに来ただけであることを、ウィネットはよく知っている。

 その長さは100ノーク(約100メートル)にもおよび、なんと部屋を出た廊下まで続いていた。


 ――はぁ……。まだまだかかりそう。お外で遊びたいなぁ。


 そうして昼過ぎからはじまり、日が傾きかけたところで、ようやく列は途切れてウィネットは解放された。だがすでに疲れてぐったりとしており、ろくに食事すらとらずに奥の寝室へと退場していった。


 一方のアウレリア王妃は疲れた様子など微塵も見せず、立食形式のパーティー会場に姿を見せた。


「王妃様がお見えになったぞ!」

「王妃様!」

「アウレリア様!」


 直後には彼女の周囲はすごい人だかりとなる。


「ふふ。皆さん、楽しんでいただいているかしら?」


 王妃は嫌な顔一つせず、人々と談笑をはじめた。

 30を1つ超えたばかりの彼女。肌つやはよく、すっきりやせた頬には皺ひとつない。金色の髪は毛先まで丁寧に整えられており、何よりも目に力があり、とても若々しい。

 長年病弱だった前王妃に比べれば、燃えるような活気に満ちていて、それが人々を惹きつける要因の一つと言えよう。


 そんな彼女の真後ろに、背の高く細身な男が音もなく立った。

 彼こそがヘルムだ。常に黒い外套を羽織っていることから、近頃では『黒の宰相ブラカ・ミニス』とあだ名されている。

 彼は特徴的な丸眼鏡をくいっと右手であげながら、王妃の耳元でささやいた。


「レナード殿下が城にお戻りになられております」


 キツネのようなアウレリアの目がわずかに見開かれる。

 だが口元の笑みは絶やさず、ヘルムだけに聞こえる声で返した。


「お早い帰還だこと。反乱軍は随分と弱かったのですね」


「いえ、どうやら、戦の途中で殿下だけ帰ってきたようです」


「そう……。それで? あなたは私にどうしろと言いたいのかしら?」


「いえ……。無事・・に城に戻られたことをお耳に挟んでおいた方がよいかと思いまして」


 アウレリアは素早く背後を振り返ると、ヘルムの顔を見上げて言った。


「ならレナードにこう伝えて頂戴。『無事に帰還してきたことを母は嬉しく思っておりますよ』とね。これでいい?」


 有無を言わせぬ鋭い口調に、ヘルムは「かしこまりました」と小さく頭を下げて、その場を静かに立ち去っていった。

 アウレリアはヘルムの背中に突き刺すような視線を向けたまま、彼が部屋から出ていくのを見届けていた。

 

 ヘルムの足取りは鉛がついているかのように重く、見ているだけでそれまで上機嫌だったことが嘘のように忌々しい気分になる。手にしていた赤ワインをくいっと飲み干しても、心のもやもやは取れない。


「それがなんだと言うのよ。私は最初からあんなこと・・・・・なんて望んでいないというのに……。ああ、もう‼」


 人のごった返す部屋の中が急に息苦しく感じられ、彼女は中庭の方へ向かおうとした。

 ……と、その時、彼女に背中に、明るい声がかけられたのである。


「アウレリア様! お久しぶりでございます!」


 アウレリアはさっと表情を元通りにして、声の持ち主の方に顔を向ける。

 するとそこにはよく日に焼けた赤毛の少年が白い歯を見せてニコニコしていた。彼の隣には、同じく赤毛の少女が緊張した面持ちで唇を噛んでいる。

 アウレリアは高い声をあげて、彼らのそばに寄っていった。


「ライアン! それにレイラ! よく来ましたね! ここまで遠かったでしょう?」


「城を出てから2日で着きました!」


 そう快活な声で答えた赤毛の少年は、ライアン・バルト。レナードと同い年の17歳で、『水の国』と呼ばれるティヴィル王国の王子である。

 そして隣の少女はレイラ・バルト。ライアンの2つ下の妹だ。


 彼らの国――ティヴィル王国は、建国当初からアラス王国に服従をしている。

 服従といっても、主人と奴隷のような関係ではなく、親子のような関係であり、強い絆で結ばれていた。

 ティヴィル王国の王子と王女は10歳になると3年間、アラス王国の王都シュタッツに預けられる習慣があるのだが、これも『人質』というわけではなく、アラス王国が長い歴史をかけて培ってきた学問や作法を『教育』するためという側面が強い。


 ライアンとレイラもまた例外ではなく、ほんの数年前まで、アウレリアと同じ王宮で暮らしていた。

 そのため彼女にとってライアンたちは、血のつながりがなくとも我が子のようなものだ。

 こうして再会できただけでも、喜びはひとしおだった。


「まあ、2日も! それは長旅でしたね。お父上は元気にしてる?」


「はいっ! とっても! 今日も今ごろは城の近くの森で鹿を狩りにでかけているかと!」


「そう、それはよかったわ。今度は私がお父上が仕留めた鹿のお料理をいただきに、ティヴィル王国にうかがおうかしら。ふふ」


 王族や貴族の世界ではありがちな社交辞令にも、ライアンは目を輝かせて「はい! いつでもお待ちしております!」と真剣な顔つきで答えている。

 その純真さに、先ほど覚えた嫌な気分が吹き飛んでいく。

 アウレリアの顔に自然と柔らかな微笑みが浮かんだところで、レイラがライアンから一歩前に出てきた。


「レイラ? どうしたのかしら?」


 アウレリアの穏やかな問いかけに対し、レイラは顔をリンゴのように真っ赤にして、うつむいてしまった。

 くりっとした大きな瞳には涙がたまり、薄いピンク色の唇は小刻みに震えている。


 明らかにおかしな反応だが、アウレリアは怪訝に思うどころか、むしろほっこりと温かな気分に包まれていた。

 そして彼女の方から助け舟を出してやることにしたのである。


「ふふ。レナードならきっと自室に戻っているでしょう。誰かに案内させるから行ってみるといいわ」


「へっ!? え、あ……はい……。ありがとうございます!」


 レイラは大きく目を見開いた後、ペコリと頭を下げる。

 顔を上げた彼女は、真夏の太陽のように目を輝かせて隠しきれない喜びをあらわにしている。

 その様子は彼女のことを知らない者でも『彼女は恋をしている』と見抜くだろう。

 いや、ライアンだけはそんな妹の変化の原因など、まったく気づいていないようだ。


「よしっ! 俺もレナードの部屋に――」


 そう言いかけたところで、アウレリアは彼の腕をつかんだ。


「あ、ライアンは私のダンスの相手をしてくれるかしら?」


「えっ?」


 とまどうライアンをしり目に、アウレリアはレイラに目配せをした。

 レイラはもう一度深々と頭を下げた後、若い侍女に連れられて部屋を後にしていった。

 その足取りはまるで背中に羽が生えたかのように軽く、はたから見ているアウレリアですら胸が躍ったのだった。


◇◇


 一方、同じ頃。

 レナードの姿は自室にはなく、国王の執務室にあった。

 中央に置かれたゾールトという希少な木材で作られた机の前で、山積みされた書類の一つ一つにペンを走らせているのは、言うまでもなく国王のマテオである。

 彼は戦場から命からがら戻ってきた息子と目も合わそうとせず、低い声で問いかけた。


「戦の途中で総大将が持ち場を離れて、こんなところで何をしている?」


「そのことで父さんに頼み事をしたいのです」


「頼み事?」


「ええ、『戦の途中で抜け出してしまったことの処罰』に関することです」


 マテオはわずかに顔を上げてレナードの方を見た。

 レナードは普段通りに穏やかな微笑をたずさえて、父のことを真っすぐに見つめている。

 マテオはふぅとため息をつくと、革張りの背もたれに寄り掛かりながら、乾いた声をあげた。


「言ってみろ」


 レナードは小さく頭を下げた後、ゆったりとした口調で願い事を告げた。

 だがその内容は驚くべきものだった。

 国王は大きく目を見開き、言葉を失っている。


「では父上。よろしくお願いいたします」


 レナードはマテオの返事を聞かぬまま、静かに部屋を後にした。

 その足取りはまるでせせらぎのように一点の濁りも迷いもないもので、それがかえってマテオの混乱を大きくしたのであった。


 

 

 



 

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