第40話 約束を果たす時

◇◇


 5日後――。


 アラスの英雄ハンナが、王都シュタッツに凱旋した。

 城下町に入った直後から、多くの人々が拍手喝采で彼女を迎え入れ、紙吹雪が夏空を覆いつくした。


 彼らが喜びを爆発させた理由は、盟友であるティヴィルを救ったから、というよりは、アラス王国を脅かしていたユルゲルトを討ち取ったからという方があてはまるだろう。


「人を殺した方が英雄と称えられるか……」


 城下町が一望できる王城の最上階の一室で、レナードはそうつぶやいた。


「レナード様。そろそろ獅子王門へまいりましょう」


 背後にいたユーフィンに声をかけられた彼は、テーブルの上にあった絹の手袋をしてドアの方へ足を進めた。

 部屋の隅で待機していたラウルがそっとドアを開ける。

 一度足を止めたレナードはユーフィンとラウルの方へ顔を向けて言った。


「さあ、行こうか」


 その口調はとても力強く、凛々しい表情からは威厳がうかがえる。

 5日前。目を覚ました彼は、何が起こったのか多くを語らなかった。

 ステファノによれば『勇者』と『魔王』が激しく争っていたのだというが、本当のことは分からない。

 それでも彼の中で何かが変わったのは明白だった。

 何と言い表せばいいのか、ユーフィンにはよく分からないが、一言で言ってしまえば『強くなった』ということだろう。

 引き締まった口元、自信に満ち溢れた瞳……。

 1か月前の彼と比べれば別人かと間違えてしまうほどで、ユーフィンは思わず胸をドキッと高鳴らせた。


「どうした? 顔が赤いぞ」


 意地悪な顔して脇腹を小突いてきたラウルの背中を、思いっきりはたいた彼女は、


「私が先導いたします」


 と短く告げて、レナードの前に出る。

 

「ってーなぁ。何しやがる」


 背後でぶつぶつと文句を言っているラウルに、今の彼女の顔を見せるわけにはいかなかった。

 

 ――私はレナード様の『目』なのよ。しっかりなさい。


 しかし彼女の使命感とは裏腹に、レナードの足音が耳に入ってくるたびに、顔が熱くなるのを、彼女は抑えられなかったのだった。


◇◇


「獅子王門、開門!!」


 門番兵の掛け声とともに、門が大きな音を立てて開き、同時に宮廷音楽隊が凱旋曲を勢いよく奏で始める。

 人々の熱気が絶頂に達する中を、ハンナは白馬でゆっくりと進んでいった。

 そうして国王の代理をつとめるステファノから少し離れたところで馬を降り、つかつかと足音を立てながら彼の前までやってきた。


「よくやった。ハンナ将軍」


 ステファノが、ひざまずくハンナに対して厳かな声色で労をねぎらう。

 ハンナは頭を下げたまま、大きな声で返した。


「はっ! まことに畏れ多いお言葉。ありがたき幸せでございます!」


「うむ。では面を上げよ。そしてここに集まった全ての人々に、その雄姿を見せるのだ」


 ハンナはゆっくりと立ち上がり、広場に集まった人々の前で深々とお辞儀をする。

 これで形式的な凱旋式は終わりだ。

 ステファノは満面の笑みで、天まで届くような大声をあげた。


「みなのもの!! 我が国の英雄、ハンナ将軍に、今一度大きな拍手を!!」


 万雷の拍手が地鳴りとなってハンナを包む。

 彼女は誇らしげな表情で、背後にいた兵たちに向けて両手を突き出す。

 それは「私ではなく、彼らをたたえてください」という意味だ。

 そんな彼女の謙虚さが、さらに人々の興奮を誘い、彼らの祝福はいつまでも続いたのだった。


◇◇


 ゼノス歴303年9月3日――。


 レナードを巡る一連の騒動と、ティヴィル王国を救った奇跡の一戦からおよそ1ヶ月がたったその日の朝。

 シュタッツ城の国王の間にはマテオの姿があった。

 一時、悪魔と魔王の召喚に関連して、ルーン神国に身柄を拘束されていたマテオだったが、嫌疑不十分ということで釈放され、元の玉座に戻った。

 ティヴィル王国のライアン王子もまた、彼と同じ容疑で捕まっていたが、こちらも同様の理由で、自分の国に戻ることを許されたのである。


 しかし彼らの釈放のために、ステファノがアデリーナに掛け合ったのは公然の事実だ。そのため、マテオに王としての威光はすっかり影を潜めてしまった。


 ――今年中に玉座をステファノに譲ることにした。


 そう彼が決断したのは、もはや決められた運命だったのかもしれない。

 今はステファノに王位を引継ぐことが、マテオの王としての最後のつとめであった。


「あとひと踏ん張りか……」


 彼がそう漏らしたところで、部屋を訪れてきたのは、レナードだった。

 少し見ないうちに雰囲気がガラリと変わり、大人っぽくなった彼に、マテオはしゃがれた声で問いかけた。


「もう発つのか?」


 髪は真っ白となり、急激に老けた父を、真っすぐ見つめていたレナードは、ぺこりと頭を下げて答えた。


「はい。行ってまいります」


 実はこの日、レナードは王都シュタッツを出て、王国の南にあるヴィルモン城に城主として移ることになっている。

 そこは山と湖に囲まれたのどかな場所であり、静かに暮らすにはうってつけだ。

 しかし裏を返せば、世間から取り残され、政治と軍事の表舞台からは姿を消さねばならないことを意味していた。


「うむ……。もう王宮内におまえの命を狙う者はいないのだ。ここを出る理由もあるまい」


「父さん。これは僕が自分で決めたことなんだ。それに僕には母さんを守るという立派な役目もあるから」


 メリアはすでにジュヌシーを出て、ヴィルモンに移っていた。

 彼女の生存を喜ぶ者は多かったが、一方で面白くないと感じている者も少なくはない。特にアウレリア王妃と仲の良い貴族たちからは、「なぜ今さら出てきたのか」という疑問が多く聞かれた。

 疑問は放っておけば不満となって、ついには国難へと発展していくのを、マテオ王はよく知っている。

 そこでメリアを政治的な介入のできないヴィルモンに隠棲させ、レナードが彼女の警護をすることになったと世間に公表したのだった。


「そうだな。レナードよ。立派につとめを果たすのだぞ」


「はいっ!」


 爽やかなレナードの笑顔を前に、マテオは目を細めた。

 とても不思議な子だ。

 こうして言葉を交わすだけで、活力がわいてくるのだから。

 でも今日、この時から自分の手元を離れていく……。

 もし自分が彼の『力』を利用しようと画策しなければ、明日もまたそばにいてくれたであろうか……。

 後悔と悲しみが胸をしめつける。

 そんなマテオにレナードは右手を差し出した。

 目を丸くしたマテオだったが、すぐに表情をもとに戻して彼の手を強く握った。

 

 温かくて、柔らかい手だ。

 その手を通じて伝わってきたのは、純真な愛情――。


 あんなことがあっても、レナードが父を愛しているのは変わらなかったのだ。

 腹の底から様々な感情がこみあがり、目頭が熱くなるのを、マテオは抑えられなかった。


「すまなかった。辛い思いをさせて……」


 震える声を絞り出すのが精いっぱい。

 ただ、それだけでレナードにとってはじゅうぶんだったようだ。

 彼は口元に微笑を携えながら、首を横に振った。


「いえ」


 それだけ口にすると、静かに部屋を後にした。

 父の悲哀に満ちた眼差しを背中に感じながら……。


◇◇


 次にレナードが向かったのは後宮だった。

 侍女のセシリアが彼を迎え入れる。


「まあ、レナード様」


「やあ、セシリア。母上はいらっしゃるかい?」


 彼女は残念そうに眉をひそめた。


「本日は朝からウィネット様とともにお出かけされております」


「そう……。残念だな」


 顔を曇らせたレナードを前に、セシリアの胸が痛んだ。

 なぜならアウレリアには、レナードが出立する日が今日であることを事前に伝えてあったからだ。

 つまり彼女はレナードと顔を合わせるのを拒んだ、ということになる。

 それでもセシリアがアウレリアを責める気にはなれなかった。

 レナードは『現在の母』である自分ではなく、『過去の母』であるメリアと共に過ごすことを決めたのだから……。


「じゃあ、母上とウィネットに『お元気で』と伝えておいてくれるかい?」


「かしこまりました」


 レナードは早くも後宮を後にしはじめる。

 お供であるラウルもまた、その背後についていったが、ドアを出る手前でセシリアの方に振り返った。


「あの……。その……」


 いつも何かと突っかかってくるラウルが、目を伏せて口ごもっている。

 柄にもなくお別れの言葉を口にしようとしたが、いざとなると気恥ずかしくなってしまったのだろう。


 ――まったく……。素直じゃないんだから。


 セシリアは「ふぅ」と小さなため息をつくと、ニコリと笑みを送った。


「レナード様のこと、頼んだわよ」


 ぱっと顔を上げたラウルと視線を交わす。

 これまで彼とは何度も言葉を交わしてきたが、こうして面と向かって目を合わせたのは初めてかもしれない。

 ドキドキと心臓は音を立て、体温がグンと上がっていく。

 そうしてしばらく経ったところで、彼女は慌てて声をかけた。


「早く行かないと、レナード様が王宮を出ちゃうわよ!」


「あ、ああ。分かってる。……またな」


「うん。またね」


 早足でレナードを追いかけていくラウルの背中を、セシリアはずっと見送いたのだった。


◇◇


 アウレリア王妃に会うことはかなわなかったが、両親への挨拶をすませたレナードは、ユーフィンとラウルを連れて獅子王門までやってきた。

 そこで彼らを待っていたのは、ステファノとハンナだった。


「レナード!」

「兄さん!」


 両手を広げたステファノの胸にレナードが思いっきり飛び込んでいく。

 レナードは言葉にならないほどの感謝を、熱い抱擁に込めた。

 

 もし、あの時、ステファノが助けにこなかったら……。


 この1ヶ月間、そのことを考えない日は1日もなかった。

 あの時、レナードが目を覚ましたのは自室のベッドの上だった。

 国王の代理として執務にあたらねばならなかったステファノの姿はなく、翌日から礼を言う機会をずっとうかがっていたのだ。

 しかしガタガタになった王宮の立て直しに奔走した彼とは、顔を合わせる機会すらなかったのである。


「兄さん、ありがとう」

「約束したろ? 絶対に助けてやるって。その約束を果たしたまでだ」


 しばらくした後、二人はゆっくりと離れた。

 するとステファノが、先ほどまでのにこやかな表情を一変させ、真剣な顔つきで言った。


「ルドリッツ帝国からの脅威がなくなったとはいえ、アラスはまだまだ危うい状況にあるのは分かっているな?」


 ずしりと重い話題を振られ、レナードはドキッとしたが、すぐに低い声で答えた。


「はい」


「レナードの『力』が露見されてしまった以上は、その『力』を借りたい。そう思うのは当然の気持ちだ」


「うん……」


 もしかしたらステファノは自分が辺境の地で隠棲するのを止めようとしているのではないかと、不安が胸の内を覆う。

 だが次に耳に入ってきたのは、意外なものだった。


「だからレナードの『力』を利用しようとした、父さんやライアンのことを許してあげてほしい」


「えっ?」


「父さんにはアラスのためにまだまだ頑張ってもらわなくちゃならないし、ティヴィルとの絆を強くするのにライアンの協力は不可欠だからな」


 ステファノが自分のことを利用しようとは考えていなかったことが分かり、ほっと安堵するとともに、ちょっとでも彼を疑ってしまったことへの罪悪感が胸をしめつける。


「どうした?」


 顔を覗き込んできたステファノに対し、レナードは慌てて返事をした。


「な、なんでもない。そ、それに言われなくても、父さんやライアンを恨むような真似はしないよ!」


 思いのほか強い口調にステファノはキョトンとしたが、すぐに目を細めてレナードの頭をなでた。


「よかった。

あ、それからアラスとティヴィルの両国のために、俺からお願いしたいことがある。

でも、嫌なら断ってもらってもいいんだ」


「え? なにを?」


「ヴィルモン城につけば分かるさ」


 含みのある言い方に、レナードは露骨に不満顔をステファノへ向けたが、彼は気に留めることなく、馬車の隣で待機しているハンナに声をかけた。


「じゃあ、ハンナ。将軍としての最後の・・・仕事を頼むよ!」


 その言葉にレナードたちが目を大きくしてハンナを凝視する。

 まさかハンナは王国軍から退くつもりなのか……。

 今のアラスが英雄を失えば、大変なことになる……。

 動揺を隠せないでいる彼らを前にして、ハンナは苦笑いして答えた。


「実は来月から『大将軍』を拝命することになったの」


 大将軍といえば、王国軍の将軍たちをまとめる立場であり、言わば軍の頂点だ。

 1ヶ月前まではハーマンドが担っていたが、彼の失脚によってハンナがその座におさまることになったというわけらしい。


「おめでとうございます!」


「ありがとう、ユーフィン」


「あはは! さすがに大将軍になれば先陣をきって戦場を駆け巡ることはなくなるだろうからね!」


「それはどうかしら?」


 肩をすくめたハンナに、ステファノは顔をしかめた。


「やめてくれよ。ハンナはベン卿の跡を継いでアスター家の当主にもなったんだぜ。お家のためにも無理は禁物だ」


 その言いぐさに、レナードが横やりを入れた。


「ハンナに無理してほしくないのは、アスター家のためなの? ほんとは兄さんのためじゃないの?」


 ハンナとステファノが二人して顔を真っ赤にする。


「なっ!?」


 必死に笑いをこらえているユーフィンとラウルを横目に見ながら、レナードは用意された馬にまたがった。


「じゃあ、そろそろ行くよ! 兄さん、元気でね!」


 こうしてレナードは王都シュタッツを出た。

 秋の足音が聞こえてきた青空には、大きな白い雲が一つ。

 それを見げながら、レナードはニコリと微笑んだ。


 その笑顔は天使と形容するにふさわしい、とても爽やかなものだった――。


◇◇


 ゼノス歴303年9月4日、昼過ぎ――。


 緑の山々と、青い湖に囲まれた風光明媚な景色の中に、ポツンとたたずむ古城――ヴィルモン城に、レナード一行が到着した。


 城下町もさほど大きくなく、住民の多くは畑を耕し、家畜を育てている。

 まるでタイムスリップしたかのようにノスタルジックな街中を、ゆっくりと進んでいく。

 住民たちは道の端に寄って。笑顔で新たな城主であるレナードを歓迎した。


「レナード!」


 城門をくぐったところで、メリアが声をかけてきた。

 レナードは馬を下りて、母の前でひざまずく。


「ヴィルモンの城主として、城と母さんを守りにまいりました」


「ふふ。堅苦しいあいさつはいいわ。それよりも、あなたを待っている人がいるのよ」


「僕を?」


 姿勢を戻したレナードは小首をかしげた。


「ふふ。いいから、いいから」


 いたずらっぽく笑ったメリアがレナードの手を引っ張って城内へと連れていく。

 そうして謁見の間に入ったところで、レナードは大きく目を見開いたのだった。



「レイラ……」


 

 淡い水色のドレスに身を包んだレイラが、大きな瞳に涙をいっぱいにためて、レナードを見つめているではないか。

 言葉を失ってしまったレナードに対し、彼女は震える声で告げた。


「また会えるって約束したから……」


 パンと頬を張られたような痛みが走るとともに、記憶がよみがえってくる。

 ユニオール王国で悪魔に襲われた時にかわした約束のことだ。


「ずっとお会いしたかった……」


 レイラの目からポロポロと涙が落ちる。

 彼女のすぐ目の前までやってきたレナードは大きく息を吸った。



 ――お慕い申し上げております。レナード様。



 そうだ。僕はまだ彼女の気持ちに対する答えを口に出していない。



 ――きちんとレナード様の言葉で、あの時のお返事を聞かせてください!


 

 その約束を果たすのは今しかない。

 

 レナードはレイラの手を取り、はちきれんばかりに高鳴った胸の動悸をどうにか鎮めながら、震える声にありったけの想いを込めたのだった。



「僕も君のことが好きだ――」



 そう言い終えた瞬間に、彼はレイラを強く抱きしめた。

 自分の顔が真っ赤になっているのはよく分かっており、それを見られるのが恥ずかしかったからだ。


「ありがとうございます。嬉しい」


 レイラもまたレナードの背中に手を回し、ぎゅっと彼を抱き寄せた。

 どんな言葉でも言い表すことができないほどの幸せと喜びに、レイラとレナードは包まれた。


 どれほど時間が経っただろうか。

 ようやく二人が離れたところで、そのタイミングを見計らったかのようにメリアが部屋に入ってきた。


「ステファノから二人あてに書状を預かっているの。読み上げていいかしら?」


 ステファノは「お願いがある」と言っていたけど、この書状にそれが書かれているのだろうか……。

 レナードはメリアに向かって、小さくうなずく。

 それを見たメリアは「こほん」と咳払いすると、部屋中に響くよう大きな声で書状を読み始めた。


「アラスとティヴィル、両国の絆をより一層強くするため、レナードの妻にレイラ姫を迎えることとしたい。婚儀はレイラ姫が18歳を迎えた後に執り行いたい。

ただしこの話は、レナードとレイラの両名の賛同を必要とする――。

ですって。二人とも、どうする?」


 顔を見合わせレナードとレイラが、心の底から嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。

 そしてメリアに返事をする代わりに、熱い口づけを交わしたのだった。






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