第39話

     ◆


 僕はその日のことをよく覚えている。

 いつものようにアンナと一緒に古代文明が残した神殿を駆け出して、森に飛び込んで、大量の山菜を獲得して戻った時だ。

 開けた場所へ出ると、アルカラッドが珍しく一人でそこに立っていた。斜め上を見て、どこか遠くにまなざしを向けているようだった。

 どうしたの? と訊いたのはアンナで、アルカラッドはこの時、今までに見せたことのない種類の笑みを僕たちに向けたのだ。

「嬉しい来客があってね」

 そうアルカラッドは答えた。そして、早くお入り、と僕たちを神殿の方へ行かせた。行かせたのに、自分だけはその場に残って、またどこともしれな場所を見ていた。

 あれからもう長い時間が過ぎて、僕たちは十六歳を迎えていた。

 外に誰かの気配がある、とアンナが言った。そして外に通じる通路の、その壁際に体を寄せて外を見ている。僕もすぐ彼女の横で外を見た。

 うろついているのは猟師だった。手には短剣を持っている。明らかに動物を狩るときの様子ではない。

 少し前に、森の中で一人の猟師と遭遇して、アンナがほとんど致命傷を与えた時があった。あの時は僕が応急処置をして、アルカラッドが猟師を間一髪で助けてくれた。

 そうだ、あの時の猟師は、弓矢を持っていて、僕の片足を矢が貫いたっけ。

 なら今も、どこかで仲間が弓矢でこちらを狙っているのか。それとも別の何かを持っているか。

 そんなことを思っているうちに、アンナはいまにも飛び出そうとしている。 

 僕は彼女の肩に手を置いた。

「嫌な予感がする、少し様子を見よう」

 こちらを振り返ったアンナの瞳には、嘲笑する色がある。確かに僕も彼女も並じゃない体術と剣術を身につけているし、魔術だって使える。

 でも相手の猟師は見たところでは六人いて、魔力の流れで探ると十人を超えている。

 やっぱりここは慎重に動くべきだろう。

 ぐっとアンナの肩に置いたままの手に力を込めた。

 そこであっけないほど簡単に、アンナが身を翻した。僕の横を抜けて、神殿の奥へ向かう。僕も慌てて従った。

「あんた、気づかないの?」

 背中を向けたままアンナが言う。

「木立の中に、身を隠している奴がいる。全部で二人で、様子からするとあれは弓矢じゃないわね」

「弓矢じゃないって、もしかして、銃ってこと? そんな装備がこんな田舎の猟師にもあるんだね」

 自分でもトンチンカンだと思ったけど、本音だった。銃か。間近に一度、見てみたくはある。

 神殿の奥にあるアルカラッドの部屋に入り、アンナが猟師のことを報告した。このままだと中に入ってくるだろうし、そうなると厄介だと告げた。正面からぶつかるんじゃなくて、こっそりと逃げだせばいいとアンナが主張するのは、珍しいことだ。

 彼女はどちらかといえば楽観的で、好戦的で、大胆だ。そもそもさっきの場面で、アンナが猟師を追い払わなかったのは、本当の彼女らしくない思慮深さだった。

「少しは分別がついたかな」

 アルカラッドが嬉しそうに笑う。アンナはその一言で案の定、気分を害したようで、そっぽを向いた。アルカラッドはこういうところで、まだどこか人の扱い方を知らないな、と感じる僕である。

 それから僕たちはアルカラッドが生み出した魔術通路で、どこかの孤島へ移動した。こちらにも石造りの遺跡があり、どうやら雨露を凌げる場所は十分にありそうだ。

 遺跡の中を探検してから、僕とアンナは揃って外へ出て、島の一番高い岩場に登った。崖の向こうは一面の海で、はるかな水平線まで影一つ無い。あるとしても波のうねりくらいだ。

 こんな孤島に、誰がどうやって遺跡を残したんだろう。

「何か声がしたのよ」

 急にアンナが言ったので、何のことかと思った。

「誰の声? いつ?」

「さっき、神殿で通路に隠れていた時」

 猟師を偵察していた時のことらしい。

「やめろ、って聞こえたけど、よくわからない。でも何か嫌な予感がして、それで周囲を念入りに調べたの。あの声は、幽霊か何かかしらね。龍がいるんだから、幽霊がいてもおかしくないけど」

「幽霊ねぇ」

「なによ、あんた、バカにしている?」

 そんなことないよ、と答える前にアンナの拳が軽く僕の肩を打った。

 その後、遠くの海に太陽が沈んでいくのを僕たちはただじっと見ていた。

 いつかどこかで似たような光景を見た。あれはいつなのか。初めて来たはずなのに、初めてではないような感覚がある。この斜面の感じ、太陽の眩しさ、海からの風、草から立ち上る匂い。

 全部が懐かしいのは、何故だろう。

 アルカラッドなら。その答えを知っているのかな。龍なんだから、わかるかもしれない。人間とはまるで違うんだし。

 でもきっと聞かない方がいいだろう。

 龍と人間はどこか違う。近い知性を持っていても、生きる世界が違う。できることも、知ることさえも違う。

 なら、僕は人間が知ることだけを知って、できることだけをやろう。

 それが人としての生き方だし、人でいるということだろうから。

「夕飯にしなくちゃいけないけど」

 急にアンナが言った。

「この島には植物もないし、動物もいないようね。どうするつもりかしら」

「それは、どこかに魔術通路を開いて、仕入れるんじゃないの?」

「仕入れるって、どこに銭があるのよ」

「それはまぁ、アルカラッドが考えているはずだよ」

 そう答えたところで、こちらへやってくる気配に気づいた。振り向けば、アルカラッドが歩み寄ってくるところだった。

 龍は当面の食料があることと、僕が想像した通りのことを言った。魔術通路で人間の集落まで行って、何かの商売をしろというのだ。

 その日は寝るまでアンナと何が商売になるか、議論していた。この島に何か特産があれば、高く売れるだろうというのは共通の意見だけど、さて、どんなものがあるのだろう。

 夜遅くになって、僕たちは揃って眠りについた。

 夢の中で星を見た。

 真っ黒い背景に、無数の光点が瞬いている。夜空みたいだ。

 その光景が急に反転し、背景が真っ白に、光点は黒い点に変わる。

 僕はどこかへ落ちていって、その黒い点もまた飲み込まれていく。

 不安と恐怖に身がすくんだ時、目が覚めていた。

 どこかで鳥が鳴いている。起き上がると、まだ隣でアンナは眠っている。明日、というか今日、それぞれの部屋をはっきりさせる約束なのだと、急に思い出した。

 僕は一人で外へ出た。

 びっくりしたのは、そこにアルカラッドが立っているからで、彼は空を見上げている。空は夜明け間近で、高い位置は濃紺に、水平線に近くなるほど明るい色になり、白に近づいている。

 僕はアルカラッドの背中を見て、言葉を探した。

 何かを彼に言わなくてはいけない気がした。それもすごく、強く。

 でも何を言えばいいのかが、思い出せない。

 しばらく立ち尽くしていると、水平線に太陽が浮かび上がってきた。

 新しい朝の、新しい光。

 その灼熱のような太陽を背景にして、アルカラッドがこちらを振り返る。顔は影になっていて、よく見えない。

「おはよう、オリフ、アンナ」

 背後を振り返ると、遺跡の壁に寄りかかって、そこにアンナが立っている。

 肩をすくめて、彼女が言う。

「おはよう、オリフ」

 僕は何かに安堵して、小さく頷いた。

「おはよう、アンナ」



(続く)

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