第26話

     ◆


 蛇龍を運ぶのに丸一日が必要だった。

 テッドが運ぶ前に市の開催を告げたので、オルーの街には龍だったものを求めるものが大勢、集まっていた。

 蛇龍の瞳、牙、爪、鱗、骨、肉、脳、全てが金に変わった。

 市が終わって今度は新聞社の取材。ここではテッドは平然と、ブレインズの死者に対しての謝罪を口にして、自分たちがもっと早く加勢すればよかったと口にした。二枚舌で、いくつもの顔を持つ男である。

 オルーではほとんど英雄となった私たちだけど、一方でブレインズからは露骨な敵意を向けられた。それに空前の金額の持ち主である私たちは、むしろ逆に危険な立場と言える。

 それもあって私はベアンの病院にいることが多かった。

「もう仕事をしなくていいとは、うらやましい」

 笑いながらベアンはそう言うが、冗談だということはわかる。彼は私に接する態度を変えない、稀有な人間だ。

「まぁ、それでも何かをするでしょうけどね」

「田舎に引きこもって、のんびり自然でも見て過ごしたらどうだ? 酒でも傾けて、干し肉なんかを噛みながらな。木々に花が咲き、葉が伸び、色を変え、散り、骨みたいな枝に雪が積もる。いいじゃないか」

「爺さんの願望ね」

「理想の一つだよ。もっとも、私はこのまま死ぬまで、病人の相手をするだろうがね」

 ホーナーはなかなか起きなかったが、ベアンが言うには時間がかかるということだった。私は彼が寝かされている病室で、本を読んで時間を潰したりもした。

 テッドとランクがやってきて、三人の集団を解散したい、という話になった。

「この武器を返したほうがいいかな」

 そういったのはランクで、テッドはうやむやにしたいようだ。彼らが振るう強力な武器は、私が貸した形になっていたのだ。

「銭を払う」

 テッドが言った。それから口にされた額はかなり大きいが、今のテッドなら払えるだろう。

「いらないわ」余計な混乱は避けたかった。「どこへなりとも、行きたい所へ行きなさい」

 テッドは明らさまににホッとしたようだった。礼を言って席を立ち、別れの言葉もそこそこに部屋を出て行った。ランクはまだ残って、こちらを見ていた。

「あんたは、謎だった」

 ぼそりとランクが言う。

「何のために戦っている? 目的は? 金じゃないんだと、今回の件でわかった」

「確かに、金じゃないわね」

「俺が見たところでは、その……」

 言いづらそうにしてから、それでもランクは言葉に変えた。

「死に場所を探してるのか?」

 死に場所、か。

 そもそも私は生きているのか。

「生きていると思える場所を探している、かな」

 言葉遊びだけど、それはしっくりくる表現だった。理解できない、という素振りでランクは首を振り、立ち上がった。

「もう二度と会わないだろうが、この短剣を見るたびに、あんたのことを思い出すとするよ」

 ありがとう、と言葉を返していた自分が、可笑しい。いったい何に感謝したんだ?

 ランクも去っていき、私は寝台に横になったままのホーナーを見た。穏やかな顔で、眠りについている。

 生きていると思える場所。それは死と隣り合わせの場所だ。私は死を意識して、初めて生を実感できる、不完全な人間のようだった。

 死ぬ寸前のホーナーを背負った時、背中から命が抜けていく感覚に、私は逆に自分の生を感じた。

 酷い人間じゃないか。

 そして、救いがない。

 ホーナーが目覚めたのは病院に運び込まれて十日目だった。うっすらと目を開け、咳き込んだ。ここがどこなのかわからない、という顔で、私を見てくる。

「記憶は残ってる?」

 そう訊ねると、途端に苦しそうな顔になり、ホーナーが答える。

「龍と、戦った」

「その通りよ。あなたは生き残った」

 その一言で、ホーナーの顔がくしゃくしゃになり、苦しそうな嗚咽とともに、目尻から涙が溢れた。

 私は時間をかけて彼に事情を説明した。

 私の都合だったけど、テッドとランクも同意して、ホーナーはイィシ山で戦死して埋葬されたことになっている。あの件での生存者は、私たち三人だけなのだ。テッドはそれを自分たちに箔をつけるために意図して行い、ホーナーはやがて死ぬと算段をつけていたわけだが、生き延びたホーナーからすれば怒りの対象にもなるだろう。

「あなたの家族は?」

「俺は、元は孤児だ。傭兵に拾われて、雑用から始めて、戦士になった」

 孤児か。奇妙な一致ではないか。

 その日から、ホーナーは順調に回復し、訓練も重ね、二ヶ月ほどで健康な人間と大差ない状態に戻っていた。二人で話し合って、地方の街でしばらく静かに過ごそうとなった。

 ホーナーはオルーから離れたいだろうし、私は少し休みたかった。静かに、何も考えずに。そしてそれをするだけの金銭的余裕はありすぎるほどにある。

 ベアンに今までの全ての治療費を払った。ついでにこの医者はホーナーのために新しい戸籍を用意してくれた。かなり銭を使ったはずだけど、詳細はわからない。言われた額を彼に手渡すしかない。

 医者は行き先を聞かなかった。

「達者で暮らせ。静かにな」

 それが別れの言葉だった。

 私は荷物をまとめて、ホーナーと一緒にオルーを出て、また旅の空の下を進んだ。

 いくつもの街が街道で結ばれ、いくつもの村が存在するこの世界は、果てがないほどに広い。どれだけ歩いても、地面は続く。海というものも、果てしなく存在するようだ。

 海が見たい、と思ったのはほんの気まぐれだった。あの孤島のことを思い出した。

 そしてオリフのことを。あいつは今頃、何をしているんだろう。

 海のことをホーナーに告げると、川を下るというやり方があると教えてくれた。街道をさらに進み、短い秋が終わる頃、大きな川にぶつかった。そこから大型船で下っていくと、港町に着くという。

 私たちは船に乗り込み、やることもなく、揃って甲板の一角で川岸の光景を見ていた。

 漁師が大勢いる。こんなに漁師が大勢いるとは、今まで考えたことがなかった。どれだけの魚が取れるのだろう。そしてそれは、どれだけの銭に変わる?

 誰もが必死に生きている。私だってそうだ。

 でも、命を張る人間と、もっと安全な生き方をする人間、そういう違いはある。

 どちらが高尚で、どちらが愚かかはわからない。今の今まで考えたこともない。

 脳裏では、テッドが龍の血に塗れている姿が何度も瞬いた。

 傭兵は、龍殺しは、確かに勇敢で、確かに英雄的な仕事だ。

 でも実際には、生命を奪うだけの仕事。それが英雄のやることか。

 船は港町に着いた。私たちは小さな家を借り、ここで冬を過ごすことに決めた。

 平穏な日々だった。

 その日は雪が降っている日で、強く冷え込んでいた。明け方からの雪が降り積もり、周囲をまっ白く染めていた。

 借りた部屋は二階建てで、私たちは大抵を二階で過ごしていた。

 玄関にあるベルが鳴らされたので、私はホーナーに目配せして、階段を降りた。私はいつも剣を腰に帯びていて、この時も左手で剣を掴んだ。

 玄関はシンとしている。

 扉を開けると、長身の男が立っていた。

 全身が緊張し、私が身構えるのと同時に、男の蹴りが私を吹っ飛ばしていた。



(続く)

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