第4話

     ◆


 翌日の朝、朝食の後にオリフと二人で山菜や木の実を集めに出た。

 この木立の中には様々な植物があり、その中でも私もオリフも名前を知らない木の一つになる実が、重宝されている。この木の実を砕いてすり潰して粉にする。そしてそれを干しておくと、サラサラになって、これが小麦のようなものなのだ。

 オリフが植物の図鑑を調べたようだけど、載っていないと言っていた。もっとも、世界の全てが図鑑に凝縮されているわけでもないので、漏れているだけだろう。

 その日も私たちは籠を背負って山に分け入り、山菜を採取しつつ、位置を把握している名称不明の木々を巡り歩いた。不思議な木で、花が咲いている横に実がなっている。なのでかなり寒くならなければ、常に実が手に入る。

 若い実を残して、落ちている実や枝にある熟した実を集めた。

「籠、いっぱいになった?」

 オリフがこちらへやってくる

「おおよそね。帰ろうか」

「うん」

 そうオリフが答えた瞬間だった。

 何かが空気を裂く音がした。しかし遠い。

 反射的に私とオリフはそちらを見て、ほとんど同時に目を細めた。初歩的な魔術で視力を強化し、木立の奥を見る。

 見えた!

 私は籠を投げ出すように下ろし、駆け出す。オリフが何か言ったような気がしたけど、無視。

 木の陰から陰へと走る。風切音を伴い、何かが幹に突き立つ音。矢だ。

 相手がよく見えた。

 一人。年齢は三十代か。弓を構えている。矢がこちらを向く。

 しかし間合いは消えた。

 光のように矢が向かってくる。

 魔術が全ての手順を省略して発動、それによって全身が強化される。動き、そして感覚も。

 首を傾げ、矢を避ける。なかなかいい腕をしているじゃないか。

 私は居合で相手に斬りつけていた。

「アンナ!」

 甲高い音を立てて、私の剣が停止する。

 ぎょっとしている猟師の前に、オリフが割り込んでいた。

 猟師が私を狙っている隙に、最短距離で間合いを詰めたのには気づいていた。私の斬撃を短剣で止めるのも予想できた。だから少しだけ、力を抜きさえしたのだ。

 私が本気で剣を振れば、止められることもなく、一撃でオリフさえも倒しただろう。

 睨み付けてくるオリフは、真っ青な顔をしている。

「冗談よ、冗談」

 腰を抜かしている猟師をちらっと見てから、私は剣を鞘に戻した。オリフはまだこちらを睨んでいるので、視線をそらす理由でもう少し猟師を確認した

 すぐそばにウサギが一羽、転がっている。足がおかしな形に折れているから、罠にひっかかったんだろう。私とオリフが仕掛けた罠じゃないはず。

「大丈夫ですか? 立てますか?」

 私を責めるのをやめたオリフが手を差し出すと、猟師は尻餅をついた姿勢で後退した。怯えている、それも今にもショック死しそうな怯え方だ。滑稽だけど、笑うと失礼かもしれない。

 ここで笑ったら、ものすごく嗜虐的だし、慎もう。

「僕たちは、その」オリフが言葉を選んでいる。「怪しいものではありません」

 いや、ものすごく怪しいよ。

「あ、あ……、あ……、悪魔、悪魔だ」

 猟師がそう言った途端、矢を構え、一瞬で矢をつがえた。

 さすがに早い。慣れている。

 だけどオリフは慣れていない。あまりにも猟師が近すぎる。

 反射的に肩からぶつかるようにオリフをどかした。そうなると、矢尻が私をまっすぐに向く場所に、自ら進みでた形だ。

 私も大概だな。

 矢が放たれ、私の手がそれを掴み止める。

 猟師は矢を掴み止めるという離れ業を理解する前に、私の蹴りで胸を砕かれ、昏倒していた。

「大丈夫? オリフ」

「ちょ、ちょっと、アンナ、なんてことを!」

 命を救ってやった感謝はないのかしらね。

 ブルブルと痙攣している猟師にオリフが飛びつき、魔術で治癒させていく。本当なら一撃で絶命させられたけど、結局は私も手加減したわけだ。

 猟師の痙攣が治まり、オリフが手首の辺りで額を拭い、立ち上がる。

「危うく死ぬところだった」

「あんたが? 私が?」

「この猟師がだよ! 無駄なことをするべきじゃない」

「無駄っていうか、正当な反撃だと思うけど?」

 今度ばかりは私もオリフを睨み付けていた。二人で視線をぶつけ合う。

 木立の中でしばらく睨み合い、とりあえずは帰ろう、とオリフの方からその場を離れた。私が後を追う形になった。

 二人で放り出していた籠を回収し、神殿へ向かう。

「あんたを救ってやった感謝の言葉はないわけ?」

 なんとなく、沈黙が苦痛だったので少し突っかかってしまう私である。そんな私を肩越しに振り返り、すぐにオリフは前に向き直って進んでいく。

「感謝はしているよ。最後は、あまりに近すぎたし、僕も、油断していた」

「殺されそうだった、という自覚はあるわけだ」

「だから、それは油断だった。ごめん、アンナ、ありがとう。助かったよ」

 ならよろしい、と応じようかと思ったけど、それより先に、でも、とオリフが続ける。

「でも、殺しちゃだめだ。僕たちはそんなことをするためにいるわけじゃない」

 妙な言葉だった。

「じゃあ、アルカラッドは、あの方はなんで私たちを鍛えたわけ?」

「生きるためだよ」

「つまり死なないためでしょ? 死なないってことには、殺すことも含まれる気がするね、私には」

「殺さずに済むように技を磨くんだよ。違う?」

 やれやれ、生ぬるい事で。

「あんたは殺されたよ。あの瞬間にね」

「アンナなら、僕を死なせず、彼を殺さず、場を収められた。それだけの技量がある」

「もし私がいなければ、あんたは今、倒れてもう息をしてないね」

 そういう未来もあるだろうけど、とオリフは呟いて、足を先へ進めた。

 神殿が見えると、珍しく入り口の脇にアルカラッドが立っていた。

「魔術の気配がした。無事でよかったよ」

 はい、と私たちは答えた。オリフも私の行動を取り立てて報告しないようだ。

 しかし問題はアルカラッドが龍であるということで、彼の知覚は生物のそれとは全く違う。障害物があろうと、距離があろうと、時間さえも超えて認識する。

 きっと、私が何をやったかも知っているんだろう。

「何か言うことは?」

 そう促すアルカラッドのえげつなさと言ったら。さすがは龍だ。

「アンナに命を救ってもらいました」

 オリフの言葉に、うん、とアルカラッドが頷く。そしてこちらを見た。何か言え、ってことなんだろう。

「何もありません」

 ボソッとそう答えても、龍は少しも動じないし、雰囲気を変えることがない。全く動じない、怒りもしない。

「良いだろう。木の実を処理して、昼食の後は講義だよ」

 落ち着いた歩調でアルカラッドが神殿の中に消える。私とオリフはどちらからともなくため息を吐き、それがあまりにも息が合いすぎて、顔を見合わせてしまった。気まずい。

 気を取り直して、二人で木の実を砕いて、ゴミを取り除いてから、神殿の上に運んだ。開けた場所があり、日の当たる場所を選んで布を敷いて、そこに粉を広げた。

 強風が吹けばゴミも入るし、粉自体も吹き飛びそうなものだけど、木立の中に埋もれるように神殿があるからか、風が殆ど吹かないのだ。古代文明では、そういう計算というか、信仰があってここを選んだ可能性もある。

 料理をしようか、とオリフが言って、神殿へ向かうのに私もついていった。

 あの猟師はどうしただろう。

 本当に悪魔に出会ったと思ったかもしれない。。

 片方が殺そうとして、片方がそれを生き返らせるなんて、悪夢だろう。



(続く)

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