第3話

     ◆


 私は一人で神殿の外で剣を構えていた。

 じっと動かないでいるだけで、汗が滲む。目は瞑っていた。

 まぶたの裏の闇の中で、剣が走る。見知らぬ誰かの剣、そして私の剣。

 私が切られ、切り刻まれ、死ぬ。

 同時に架空の相手は両断され、倒れる。

 最初は一人で一人を相手にしているイメージ、それを一人ずつ増やしていく。

 私は繰り返し繰り返し、何度も死んだ。

 達人級の三人を相手にしては、私でも太刀打ちできない。

 達人の剣というものは、数年前に知ったのだけど、今では一対一ならどうにか凌げる。十回やって六回か七回は勝てる。

 もちろん、本当に剣を向け合って斬り合うとなれば、十回もチャンスはない。一番初めの一撃で相手を屠れば私の勝ち、逆に最初の一撃が私を殺せば、私の負け。

 一発勝負だから、どれだけ訓練を積んでも、どれだけの技量を持っていても、負ける時は負ける。それは反対側から見ると、例え相手が三人でも私が勝つチャンスがあるということになる。

 とにかく、果てしなく続くと思われる時間、私の思考の中で剣がやりとりされ、形だけの命が失われる。

 息を吐いて、頭の中を真っ白にした。訓練を続けることで、この無心とでも呼ぶべき状態が意図的に生み出せるようになった。

 目を開くと、夜の闇の中、月明かりに照らされた木立が見える。

 普通の木立が、いつもと違うように見えるのが不思議だ。

 月から降り注ぐ光が木の幹を伝い落ちていく。

 空気が枝葉を撫で、わずかに光る。

 時間の感覚が消え、何もかもを把握できたような気がした。

 もう一度、息を吐くと普段の世界が戻ってくる。構えたままだった剣を鞘に戻す。

 アルカラッドはもう私に師をつけるとは言わないようになった。それは誰も私に及ばないからか、それとも別の理由かはわからない。なにせ龍なのだ、人間とは思考が違う。生きた時間も。

 私とオリフに剣を教えていたのは、かつてはアルカラッドが従えたという、神獣騎士団、と呼ばれた集団の剣士達だ。

 大昔、人と龍が争った時代があったらしい。人龍大戦と呼ばれた紛争だ。

 最初は人間が龍の領域を侵した、ということから始まったと伝わっている。今とは違い、龍は神秘の存在でありながら、確かに存在したのだ。

 で、人間と龍が争って人間が勝てる道理もないのに、ここで私からすれば不可思議な現象が起きる。

 それは龍が二つの派閥に割れたのだ。片方は人間を敵視する「赤龍」と呼ばれる集団、片方は人間と共闘すると決めた「青龍」という集団。

 人龍大戦は人類が滅びる寸前に、龍同士の争いになったのだという。

 その時にアルカラッドは青龍に属して、彼と共に戦ったのが神獣騎士団というわけ。

 人間の中でも超一流の使い手で、今はすでに肉体は痕跡も残さずに消えているけど、アルカラッドは時空を捻じ曲げて、彼らが存在する場所で、私とオリフを鍛えさせた。

 今もオリフは彼らと遊んでいるけど、オリフには私の目から見ても剣術の素質はないな。私の半分ってものだろう。魔術もそうだ。どうしてアルカラッドがオリフを見出したのか、そんな理由さえも私は疑っていた。

 だって、あまりにも特徴がない。あるとすれば、学問かな。

 汗を流す気になり、川へ行った。少し上流へ行くと、斜面に小さな滝のようになった場所があり、その形だけの瀑布が落ちた先は水深がやや深い。水浴びにはちょうどいい。

 真っ暗なので遠慮なく裸になり、汗を流し、最初から持っていたタオルで全身を拭って服を着直した。

 髪の毛を拭いながら、そばにある私の定位置の大きな岩の上に座り、空を見上げる。

 月がそこにある。

 オリフは少しも気にしていないけど、私も彼も、アルカラッドの極端に強力な魔術によって、ありとあらゆる時間と空間を行ったり来たりしている。それが、私たちの体や精神に、どんな影響があるか、知れたものじゃない。

 私たちはほとんど誰とも関わりを持たない。

 もしアルカラッドが私にもオリフにも伝えることなく、この神殿の時間を百年とか、ずらしていたらどうなるか。

 それは私とオリフが、本来、生まれて生きるはずの時間より前にいることになる。

 もっとぞっとするのは、世界では一日が過ぎているように見えて、同じ時間を繰り返していたら、どうなるのか。

 時間と空間と生命、全ての流れが混線する、奇妙な事態。そうでなければ、悲惨な事態。

 しかしそれは考えても仕方ない。不愉快なことだが、あの龍の考え次第なんだ。私にできることはない。

 岩を離れて神殿に戻る途中で、オリフとすれ違った。水浴びに行くんだろう。何かを考えているようで私には気づいていない様子なので、そのまま近づいた。

「わっ!」

 露骨に驚きながらオリフが声をあげたので、私の方も驚いてしまった。

「気をつけなよ、オリフ。熊が出るかもしれない」

「いや、ああ、うん。おやすみ、アンナ」

 どうも私の忠告は、すぐに再開された彼の思案に押しのけられたらしい。

 神殿に戻り、自分の部屋へ戻る前に下層へ降りていく。明らかに地下で、私からすればそこは宝の山だった。

 古代文明がどうして滅びたのかは知らないけど、少なくともこの神殿には古代人が様々なものを避難させていた。私には読めないけど、オリフが読んでいる書物の類もそうだ。

 私が興味を持つのは書物ではなく、ちょっと見ただけではガラクタにしか見えない雑多なものの山になる。

 倉庫と表現しづらいのは、それがただうず高く積み上げられているからだ。

 地下の狭い部屋で、私がだいぶ発掘したけど、まだ半分ほどは降り積もった土に包まれて、掘り返すと様々なものが出てくる。

 私の腰の剣もここから発掘したのだ。刃は錆びていたけど、一週間くらいかけて研ぎ上げるとびっくりするほど切れることがわかった。名剣と言ってもいい切れ味で、本気で振るえば木を切ることもできる。まぁ、魔術で身体能力を底上げしているけど。

 今日の午前中、ガラクタの山から取り出したいくつかの武具を見る。短剣が二本、一つは小さな盾らしい。しかし全てが錆びていたり、埃や土が張り付いていて、見る影もない。

 なんとなく盾を取り上げ、手で払うけど、それでも凝固した石のようになった土は剥がれなかった。

 まあ、いいでしょう、時間はたっぷりある。

 私は手の埃を払ってから、盾を投げ出して、部屋を出た。



(続く)

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