第30話

     ◆


 ホーナーが入ってきて、申し訳なさそうに笑みを見せた。

「ごめん、割って入れなかった」

 それが普通と私は笑ってあげた。そう、それくらいの余裕が戻ってきた。

「あれは人間じゃないよね。魔力の流れが異常だった」

「そうね。まぁ、あまり知らない方がいい」

「話をしていたようだけど、よく聞こえなかった」

 本当だろうか。じっと見ても、彼もこちらを見返している。嘘ではない。

「あまり関わらない方がいいよ。普通の世界にいたいなら」

「アンナさん、あなたは、どういう過去を背負っているんです?」

 彼の方が年上なのに、彼は私をそう呼ぶのだ。不自然だけど、もう慣れてきていた。

「私の過去を知ってもいいことはないと思うけど」

「龍を討伐する凄腕で、魔術と剣術の達人。しかし人間とは思えない刺客に襲われ、腕は呪われていた」

「そう、それ。私の腕がどうなったのか、詳しく知りたいのだけど」

 うん、そう、とホーナーが記憶を探る顔になった。

「医者が鉈みたいな刃物で、一撃で切り落とした。その時にはもう、肘から指の先までは真っ黒く染まっていて、よく見ると虫の塊なんだ。湿った音がずっと、それこそ途切れることなく続いていて、アンナさんの腕を食べているようだった。気持ち悪い話だけど」

「そう。それで、切り落とした後は?」

「ポーンと腕が飛んで、ちょっと血が飛び散った。軽い音を立てて、床に落ちた」

 それから、と言ってから、ホーナーが首を振る。

「魔力が渦巻いて、虫が全部、弾き飛ばされたけど、そこにはもう腕はひとかけらも残っていなかった。虫が全部を食べた、食べ尽くしたって感じでもないけど、とにかく、アンナさんの腕は消えてしまったんだ」

 彼の話を疑う理由はない。

 これはきっと、龍の仕業だろう。好意的なものか、それとも悪意によるのか。

 私はそれを考えるのを先送りにして、ホーナーに頼んで義肢を手配してもらうことにした。

「もう体はいいの?」

「不思議とね。あなたの応急処置のお陰でもある。ありがとう」

「これで少しは借りを返せたかな」

 貸しを作ったつもりもないけど、彼の命を助けたのは私だった。これでお互い、命を助け合ったことになる。

 ホーナーが出て行ってから、一人でじっくりと考えた。

 私の腕を欲しがる奴なんて、どこにいるだろう。

 いるとすれば、一人だけだ。一人というかは謎だけど。

 それは、アルカラッドだ。あの龍なら、そういうおせっかいをするかもしれない。

 でもなんで、私の腕を奪ったんだろう? 死龍に侵されている腕を引き取る理由はない。

 待てよ。別れ際に、言っていたじゃないか。代償をいつか差し出すように求めていたんじゃないか? なら私の左腕は、彼が代償として奪ったのか。

 あんな使い物にならない呪われた腕に、どんな意味があったのか。

 考えても答えは出そうにないな。

 その日の夕方にホーナーがやってきて義肢を作る老人を手配して、明日の昼間には来るだろうと言った。ほとんど間をおかずに医者がやってきて、明後日まではここで様子を見るが、おそらくもう健康体だろう、と告げて去っていった。

 予定の日にやってきた老人は、すでにいくつかの義手を用意していた。

「多量生産品の魔術を応用した義手です。相性がありますし、手術の必要もあります」

「手術はすぐに済むのですか?」

「ほんの三十分ほどです。それで自分の腕のように義手が動きます。もし特注品をお望みなら、作りますが」

「おかしな話ですが、義手を使った経験がありません。まずは、様子を見たい」

 わかりました、と老人が頷く。最低限の手術をするというので、任せた。注射器で薬を打たれ、感覚のない状態で左腕の断面に何かが埋め込まれた。びっくりすほど早業で、あっけないほどだ。

 用意されていた義手のうち、一つは全く反応しなかった。相性が悪いということか。

 あとの二つはどちらも動いたが、そのうちの一方は、確かに自分の腕のように動くし、どういう仕組みか、神経さえも繋がっているように感じた。手で触れると、本当の腕のように、触れられた感触が伝わってくる。

「こちらの型がよろしいようですね。夕方には、いくつか見繕ってきます」

 老人はそう言って、相性のいい義肢を残して退室していった。離れて見守っていたホーナーが近づいてくる。

 義手について話して、彼が昼食を買いに出て行った時、そっとベッドを降りて、壁際に立てかけてあった剣に向かった。

 左手で掴み、右手がゆっくりと剣を抜く。

 何故そうしたのか、自分でもわからない。

 刃を見ると、光が反射し、私が映る。

 私の背後に、巨大な黒い影があった。

 反射的に鞘に戻し、勢いよく振り返るが、何もいない。

 自然と手が震えていた。剣がカタカタと鳴る。それを義手で握り直し、ベッドに戻った。

 昼食を買って戻ってきたホーナーが剣に目を留め、「歩けるんですね」と言った。気を使っている声音だった。私は無言で頷いた。

 あまり明るい空気でもない昼食が終わり、医者の診察も終わり、まだ夕方というには早い時間に義手を商う老人が戻ってきた。いや、商っていると言っても、もしかしたら自分で作っている職人かもしれない。

 節くれだった手に、どこかオリフのそれに似た気配がある。

 彼は今も職人のようなことをしているのかな。

 老人はトランクを持っていて、中から四種類の義手が取り出された。その中でも軽量なものを私は選んで、老人が値段を口にした。びっくりするほど安い値段だ。

「それで儲けがあるのですか?」

「ええ、特注ではありませんから部品を流用できますので。初めて義手を使われる方は、慣れるまでに苦労もありますし、義手が破損することもあります。一週間後に、確認させていただければと思います」

「ええ、それは、こちらからもお願いします」

 私はホーナーに預かってもらっていた銭から、言われた額を老人に渡した。

 それから何事もなく病室を出て、新しく借りた宿の部屋で日々を過ごした。義手の動作を確認するのに長い時間を割いた。

 私にできるのは戦いだけで、戦いというのは常に不規則がつきまとう。

 とっさの瞬間に義手が故障し、遅れをとるのは最悪の展開だった。だから義手の限界を確かめるようなことばかりしたのだけど、性能がいいのか、義手には不具合はなかった。

 あっという間に老人との約束の日になり、宿を訪ねてきた老人は、義手をその場で分解し、二つのパーツを交換した。小指の爪ほどの部品だ。そういう細かな部品が多く組み込まれているのがわかった。

「一年後には、分解して整備しないといけないと思います」

 老人がそう言った時、私が考えたのは、その一年後のことだった。

 血に塗れて、死ばかりを見てきたからか、一年後なんて、考えられなかった。

 それでも平静を装って、自分が一年後も息をしていると確信を持とうとするかのように、はっきりと答えた。

「一年後、この街へ戻ってくるようにします」

 老人がさっと頭を下げた。

「ご無事を祈っております」

 祈る? いったい、何に、何を祈るんだ?

 私は何も言わずに、愛想のいい笑みを見せて、それで済ませた。

 あの病室で剣を抜いて影を見てから、私は剣をまだ、抜いていない。

 それなのに何かが私の内側で、密かに私自身を食い潰そうとしているのは、気のせいだろうか。見えないものが着実に、私を変えようとしている、この気配は、嘘なのか。

 部屋の隅で誰も触れていない剣が、わずかに揺れた気がした。



(続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る