第2話

     ◆


 アルカラッドは龍だから、時間や空間に容易に干渉する。

 だから僕もアンナも、まるで当時に生きていたかのように、はるか古代まで遡ったことがある。ただしアルカラッドは遥かな未来を僕たちに見せることはない。何かの決まりがあるか、あるいは未来は人間が知ってはいけないか、どちらかだろう。

 基本的に僕たち二人と一体の龍が生活する時間は、共通暦で四〇九年とされている時間になる。大陸はおおよそ三つの勢力に分かれ、魔術王国、科学共和国、自由国家同盟、この三つだ。

 アルカラッドが言うには、「奇跡的な時代」で、この三つの勢力は協調路線を取っていて、衝突はここ三十年は些細な紛争さえも起こっていないという。それが人間の本質からすれば奇跡的、というのがアルカラッドの評価だった。

 でもそれを言ったら、大昔にはなるけど、人間を俯瞰している龍にも争いの時代はあったわけで、ものすごく特殊な存在とはいえ、偉そうなことは言えないと思うけど。

 そんな平穏な時代で、人々は繁栄を謳歌しているというのに、僕もアンナも、親に捨てられたわけで、育った環境もあるとはいえ、ちょっと拗ねたところはある。

 これは僕とアンナがもっと幼い頃に徹底的に話し合ったことで、人間は無責任だ、ということが結論になる。

 僕もアンナも、貧しい家に生まれ、しかも大勢いる兄弟の最後に生まれた子供だった。愛されるのではなく、放置され、最後には口べらしで孤児院の前に捨てられた。これを僕たちは「幸運にも」と表現する。

 アルカラッドはどういうわけか、遥かに離れた場所で生まれた僕とアンナを、人の姿で引き取り、彼の世界へ招き入れた。

 当時はまだ、四歳ほどだった。というか、はっきりわからないので、アルカラッドが四歳と決めた。

 アルカラッドは僕たちにまず体術を教え、魔術を教えた。だから僕とアンナは魔術を使える。そこは全く別の人間なので、力量に差があって、アンナの魔術ははっきり言って超一流の上に万能だけど、僕はそこまで立派じゃない。

 十歳になる前にアルカラッドは勉強を教え始め、即席の教師になった。

 今でも時折、利用する場所で、どうやら科学共和国の巨大図書館らしい場所へ時空を捻じ曲げて道を作り、こっそりと書籍を拝借するという手法で、アルカラッドは僕とアンナの自主学習を促した。その道を作る魔法は圧縮されて、僕とアンナ、それぞれで簡易的に起動できるようになった。

 文字を覚えることは魔術の指導の初歩の初歩で完璧だったので、人間が使う言語はおおよそ理解できた。僕は興味に任せて古代文字を勉強したりした。アンナは古代文明の失われた魔術を再現したい、などと言って、僕に文献を翻訳させたりもしたし、今もたまに頼まれる。

 体術の訓練は剣術のそれに取って代わり、様々な教師が用意された。アンナには魔術と同じくらい剣術の素養があって、あっという間に僕を置いてけぼりにしていたけど、そんな僕でも剣術は面白いと感じた。

 そんなことを続けて、もう十六歳になる。

 木立から脱出した時、僕とアンナはそれぞれにウサギを一羽ずつ確保していて、アンナが血抜きをするといったのでウサギを手渡し、僕は水を確保することにした。井戸なんていう気の利いたものはこの古代神殿にはない。

 水瓶を手にすぐそばにある細い川から水を汲んで、神殿に戻る。

 古代人も料理はしたようで、煙が逃げる部屋がある。そこには薪が用意されているので、魔術で火を起こして、水瓶の水を陶器の鍋に移し、沸騰させる。元から澄んでいる水だけど、沸かしてから飲むようにアルカラッドには言われている。

 ブクブクと泡がたってから、大きな陶器のポットにお茶っ葉を用意して、流し込む。ハーブを入れてあるお茶のいい香りが部屋に漂う。

 余ったお湯が冷めてから新しい水瓶に移す。

 ポットを手に食堂にしている部屋に行くと、狭い部屋の反対側の通路からアンナがやってくる。香辛料の匂いがする。彼女の手には鍋があり、雑な手つきでそれが石造りの机に置かれる。もうウサギを調理したんだろう。さっきまで僕がいた部屋よりも作りがしっかりした調理場があって、そこはここのところアンナの聖域だった。

「あの方を呼んでくるわ」

「うん、任せた」

 僕はポットを置いて、また元の部屋に戻り、冷めた水を別のポットに注ぎ、食堂へ移動する。

 アルカラッドが席について、何かの本を読んでいた。アンナの姿はないけど、机の上には鍋の他にもいくつかの料理があった。

 ちらっとアルカラッドがこちらを見る。

「森には何かあったか?」

 奇妙な質問だったけど、思い出したことがある。

「僕もアンナも使っていない罠がありましたね。小型で、バネを使った仕組みでした。どこかの猟師がいるのかも知れないと思いました」

「怖いか?」

 僕は思わず笑っていた。

「いつもの先生たちに比べれば、そこらの猟師なんて、なんでもないですよ」

「わからんよ、オリフ。銃というものがあるのは教えただろう?」

「火薬で金属の弾を飛ばす道具ですか。実際に見てみたいですが、こんなところで銃を持った猟師がいるのですか?」

 くすくすとアルカラッドが笑い、本を閉じた。

「人間の優れている点は、有利な道具がすぐに広まるところだよ」

 はあ、としか答えようがない。龍にはそういう概念はないのだろうか。

 そこへアンナが戻ってきて、温めたパンが机に置かれる。三人が揃って短い祈りを口にする。既に失われた宗教の、神竜に恵みを感謝する祈りだった。

 食事が始まり、アルカラッドがさっき僕にした質問をアンナにもした。

「人の足跡がありましたよ。でも一人みたいです」

 思わず僕は声をあげそうになった。気づかなかった。こちらをアンナが一瞥するのに、逃げるように料理を食べている姿勢を示しておく。

「切ってはいけないよ、アンナ」

「猟師を切って面白いとも思えませんね。どうせ弓矢程度でしょう」

 ここでアルカラッドが銃の話をするかと思ったけど、彼はそれをしなかった。

「矢を射掛けられたら、どうする?」

 そんな質問をする龍に、アンナは肩を竦めてみせた。

「そうなれば、正当防衛で切るかもしれない」

「だから切ってはいけないよ、アンナ。約束しておくれ」

「では、片腕を落とします」

「それもダメだ」

 器用にアンナが眉の片方を持ち上げる。

「じゃあ、矢を身に受けろってことですか?」

「避けられるだろう?」

「それは、まあ、不意打ちでなければ。良いじゃないですか、少しくらい」

「お前はまだ人を切るということを知らない。そしてまだその段階ではない」

 かもしれませんね、と唇を尖がらせ、アンナは食事に戻った。

 結局、アルカラッドはアンナに銃については何も言わなかった。それでもアンナの魔術と剣術の腕前なら、銃などものともしないかもしれない。

 食事の後片付けをして、僕はアルカラッドが生活している部屋に向かった。アンナは剣術の稽古のために外へ出たようだ。

 アルカラッドの部屋は、言って見れば図書室で、古い文献がある。これは彼が集めたものではなく、元々のこの神殿の持ち主、古代文明の神官か何かが集めた書物だ。巻物が大半で、傷みも激しい。

 それを連日、僕が解読し、アルカラッドは僕が意見を求めた時に、助言してくれる。

 きっと彼は全てを知っているはずだけど、僕が理解したことを補強するだけで、楽はさせてくれない。

 でもきっと、それが普通なんだろう。

 僕は人間なんだから。



(続く)

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