ユートピア・ユートピア・ユートピア 〜龍に育てられた少年と少女の辿り着く世界
和泉茉樹
第1部 二人の時代
第1話
◆
呼吸が荒いのが、自分でもわかる。
右手にある短剣の切っ先が揺れる。腕の疲労のせいだ。ジリッと足の位置を変える僕に対して、相手は平然と構えを変えない。どんな攻めも防げる、という自信があるんだ。
そんな相手に対して、僕は少しも隙を見いだせていない。構え自体は基本の基本で、だからこそどこにも打ち込む余地がない。
こういう時には相手を崩していくべきなんだけど、間合いを変化させて揺さぶろうとすれば、そこを攻められるかもしれない。動けないほどの圧迫感が、相手が構える剣にはあった。
動いていないのに、汗が流れ、息が苦しくなる。
どれくらいをそうしていたか、ぐっと引きずり込まれるように前に出ていた。
自分で動き出していながら、負けを確信している僕だった。
誘いに乗ってしまった。長い対峙の緊張が、安易な勝負を選んでしまった。
飛び込んだところで、両者の剣が弧を描く。
白銀が走る。
僕も相手も剣を止めた。
こちらの刃は相手にとても届かない。逆に、僕の首筋には剣がほとんど触れんばかりにあり、ほんの少しの力で食い込みそうだ。
無言でお互いに剣を引き、間合いをとって一礼する。
勝ち急ぎましたね、という表情の相手の青年が、身振りで僕の間違いを指摘してから、剣を腰の鞘に落とす。僕も同時に短剣を腰へ戻した。青年が身につけているのは動きやすそうな軽鎧で、今すぐにでも戦場へ出られそうだ。対して僕は軽装だった。
青年が穏やかに笑いながら、また身振りでいくつかの指摘をする。声はない。僕はまだ彼に勝ったことはなかった。悔しいけれど、当たり前だと思う自分もいる。
僕はちょっとばかり特殊なだけで、おおよそは普通の人間で、一方の彼は超一流である。
「オリフにはまだ、落ち着きがないね」
青年がそう言ったわけではない。声は女性の、まだ幼いそれ。声がした背後を振り返ると、近づいてくる人影がある。
まだどこか童顔の少女だけど、年齢は僕と同年だ。青年が彼女に頭を下げる。さっと少女が身振りで応じる。
「アンナ、いつから見てたの?」
僕が訊ねるのに、肩をすくめる動作が返ってきた。
「そうね、あんたが血迷ったところから」
少女、アンナは素っ気ない。青年をもう無視して僕の前に立つ。
「少しは腕を上げた? オリフ」
「すごい皮肉だね。さすがにアンナほどにはいかないよ」
「私が教えてあげるのに。大昔の剣士に教わる必要もないでしょ」
大昔の剣士、と表現された青年が微笑む。構成要素は困ったのが半分、可笑しがっているのが半分かな。
アンナの腰にも剣があるけど、柄に細かな細工が施され、鍔の形状も芸術的だ。そして刃それ自体も、極上の逸品である。
「アンナと稽古してたら、命がいくつあっても足りないよ」
誤魔化す僕にアンナは鼻で笑い、「あの方が呼んでいるわよ」とやっと本題を告げた。
頷いて、青年に礼を言う。
青年の姿が解けるように消え、僕と彼が立っていた場所、どこかの草原さえも消えていく。
全ての草が枯れ、土に帰り、地面が隆起し、割れる。
その激変の中に立ち続ける僕とアンナだけがまるで別の存在のようだった。
地面が沈み、頭上で逆に盛り上がった岩と岩がぶつかり、自然の天井ができる。まるで洞窟になり、今度は洞窟の床、壁、天井が見えない芸術家によって、精緻な彫刻で飾られる。
全ての変化が終わった時、僕たちはまさしく古代文明の地下神殿の中にいた。
どこか湿った空気を吸い込み、アンナが歩き出すのについていく。魔術の応用の灯りが頼りなく周囲を照らしていた。
今ではもう細部まで知り尽くしている神殿は、人気はないけど、所々に僕かアンナの生活の痕跡はあった。
広間から広間へ抜け、一番奥の空間に入る。
僕たちが謁見の間とか呼んでいるそこは、二百人は悠に入ることができる広大な空間だ。その一番奥、階段状になっている段の一番高いところで、崩壊寸前の巨大な椅子、言ってしまえば玉座に、その男性はいた。
僕とアンナが歩み寄ると、男性が立ち上がる。
顔の作りが極端に整っていて、人形めいているのに、無表情から今みたいな柔らかい笑みに変わると、ぬくもりのようなものを感じる。生きているし、感情もある、とわかる一方で、最初の不自然さの理由も、やはり考えてしまう。
人間の姿をしていながら、人間ではない存在なのだ、彼は。
「オリフ、剣術はどうかな?」
落ち着いた低音の声。
「ええ、まあ、ぼちぼちです」
階段を下りきった男性、僕とアンナの養父であるアルカラッドが頷く。
「こっちへおいで、二人とも」
促されるまま、謁見の間の隣の広間に向かう。入った途端、ぐらりと空間が歪むのがわかる。
朽ちかけた地下神殿から、今度は断崖になっている。風は海独特の生臭さがある。
「ここに何があるのですか?」
どこかふてくされたような調子で、アンナが訊ねても、アルカラッドはじっと海の向こうを見ている。アンナは最近、何か不満があるようでアルカラッドに少し攻撃的だ。でも僕はアンナにそのことについて訊ねてもいない。きっと一過性のことだろう。
「あの船が見えるかい?」
急にアルカラッドが遠くを指差した。
じっと目をこらすと、波から波へと小舟が渡っていて、こちらへやってくる。
ただし、帆があるようではない。人が人力で漕いでいるようだ。
不意に気づいた。
「ここは過去ですか?」
疑問をそのまま口にすると、アルカラッドが嬉しそうに笑う。
「ここは遥か昔、一千年よりもさらに大昔だよ。あの船は、離れ小島のドラードからこの大陸に向かっている、移民の船のうちの一つだ」
「ドラードは人類発祥の地ね」
あっさりとアンナが答える。僕も彼女も、アルカラッドから様々なことを教わっていた。その授業の中に、ドラードについての話があったのだ。
アンナが淡々と続ける。
「ドラードにおいて人類は発生し、そこで増え続け、ついに海の向こうに新天地を求めて旅に出た。その連中があの船の人なのね?」
「大陸にたどり着いたドラード人は、総数では百人にも満たない。人種は違うが、大陸にも人はいたのだよ」
へぇ、と興味なさそうに応じるアンナに対し、僕はアルカラッドに質問していた。
「ドラードが特別ではない、ということですか? ドラードは今も、有力な海軍力を持って、人類の国家の一角ですが」
「人間は記録を残す。逆に言えば、記録を捏造すれば、いくらでも自分を改造できる」
「ドラードが真実ではないことを喧伝している?」
「最初期はね、オリフ。すでにそれが常識、当たり前になった。それだけさ。さて。帰るとしよう」
剣術の稽古の時と同じだ。周囲の光景が超高速で変化し、今度は誰が建築したのが、石で作られた神殿が目の前に現れていた。周囲は濃密な森に囲まれている。アルカラッドの居場所の一つで、僕もアンナもここはよく知っている。
「オリフ、アンナ、夕飯を調達しておいで」
二人で返事をして、神殿に入っていくアルカラッドとは逆に、僕たちは神殿を囲む濃密な木立の中へ入っていった。
「いつまで続くのかしらね、こんなこと」
下草をかき分けて僕を先導するアンナの背中から、そんな声がする。
「あの方にはあの方の考えがあると思うよ」
「龍が人間を育てて、それでどうなるやら。しかもこんな、現実離れした育て方をして」
そうなのだ。
アルカラッドは人間の姿をしているが、それは形だけで人ではない。
世界を創造した神の一角ともされる、龍。
それがアルカラッドであり、僕とアンナの育ての親なのだ。
すでに十年以上を、僕とアンナはアルカラッドとともに過ごしていた。
(続く)
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