第13話

     ◆


 島に移動して、十日ほどが経った。

 僕は草原に寝転がっている時間を多くとって、以前ほど、剣術や魔術に時間を割かなくなっていた。しかしアルカラッドは神獣騎士団の剣士たちを呼び出すことはやめず、彼らはただそこに立ち尽くしていることが多かった。

 その日も良く晴れていて、風は弱く、静かだった。

 すぐそばに剣士が立っていて、僕の方を見ずに海の彼方を見ている。

 この島は絶海の孤島らしく、すぐそばにやや小ぶりの岩山のような島が二つある以外は、何もない。水平線の果てまで見渡しても、影はなかった。

「大勢がいた」

 だから、自分が語りだしたのは誰かのためではなくて、自分のためなんだろう。

「大勢の人間が、死に囚われて、蠢いていた。光はなくて、音もなくて、ただそこに固まって、うねって、こちらを見るんだよ」

 剣士がこちらを見ているが、彼には言葉が話せない。

「今になると、すごく怖い。でもあの時は、アルカラッドの手が僕を捕まえていたから、そんな様子を冷静に観察できた。馬鹿げているよね、死んでいるのに、安心するなんて。あの有象無象の中に飲み込まれるのは、遅から早かれ絶対なのに、安心するのは、馬鹿げている」

 寝転がった姿勢で、ちょっと無礼かな、と思いながら剣士を見上げた。

「死んだ時、死んだ後、どうだった?」

 剣士が真面目な顔になり、膝をつくと、僕の手に触れた。

 瞬間、様々なものが頭の中に流れ込んだ。

 剣士がまだ幼い頃。人龍大戦が始まり、彼は剣士を志す。

 訓練、戦い、訓練、戦い。

 家族が死に、仲間が死ぬ。代わりに龍を倒し、その眷属を倒していく。

 アルカラッドと出会い、神獣騎士団としての栄光を浴びる。

 しかし戦いは非情に、彼の命を奪う。

 竜の爪が胴体を貫き、絶命する。

 肉体が解体され、精神が昇華し、死の世界へと駆け上がる。

 真っ暗闇と光に挟まれた、どちらでもない世界。

 足元から黒い渦が起こり、それが手の形になると、彼を捕まえる。

 そこで何者かがその真っ黒い、闇そのものの腕を消し飛ばす。

 その余波が彼を舞い上がらせ、光の中へ。

 そこから先は、よく見えなかった。暖かな陽だまりの匂いがした。でもそれも、消えてしまう。

 意識がはっきりすると、剣士は僕から手を離していて、微笑んでいる。

「アルカラッドがあなたの恩人、ということになるのかな」

 彼がコクリと頷き、立ち上がり、また遠くを見た。

 誰もがいつか死ぬとして、なぜ闇と光がその先にあるのだろう。誰がそれを決めた? 死んでしまったのだから、誰にも等しく場所が用意されてしかるべきじゃないか。

 この世界、生者の世界ではありとあらゆるところで上下がある。食物、衣服、住居、仕事、金銭、技能、健康、寿命、ありとあらゆるものが平等と縁を切っている。

 それが死後の世界まで続くなんて、よほど神様って奴は趣味が悪いということか。

 その神様にアルカラッドは干渉している。龍は神の領域に踏み込み、人間はそこへまでは至っていない。いつか、魔術か科学が、そこへ踏み込むのだろうか。

 とてもそうは思えないけど、でも人間はきっと、努力する。それでも、そう、その努力ができるかできないかが、結局は不平等。努力するものが報われるのは当然だけど、努力できないものもいる。意識的にではなく、もっと根本的にだ。

 そもそも個体に差がありすぎる。背の高いもの、低いもの、太っているもの、痩せているもの、様々だ。

 それは龍にもあったはず。克服したんだろうか? どういう手法で?

 ずっとずっと前、アルカラッドが話してくれたことがある。どうして自分がまだこの世界にいるのか、という趣旨だった。まだ僕もアンナも幼くて、世界、というものがどういうものか、少しも理解していなかった。

 僕は単純に、僕たちのそばにいる理由だろう、と解釈していたし、今でもそれは大筋では変わらない。

 龍は人龍大戦の後、人間との関係を絶った。この世界の根源と深く結びついている龍はそのままに、ほとんど全ての龍は人間との関わりを捨てたのだ。

 だけど、アルカラッドはここに残った。実際には数体の龍はまだ存在するらしい。

 自分のことをアルカラッドは「悠久の座」と呼んでいた。未来の果ての果てまで、世界が終焉するまでを見守る役目なのだ、と言っていた。

 そのことを聞いた時も、その話を思い出す時も、考えることがある。

 アルカラッドは孤独ではないのだろうか。寂しくないのだろうか。

 誰にも知られることなく、世界が終わるその日まで、密かにその様子を眺め続ける。干渉することはほとんどなく、誰かと言葉を交わすことも本来はない、と彼は言っていた。

「私たちがいるじゃん」

 初めてその話をしたアルカラッドに、即座に幼いアンナが反論した。それに対して、アルカラッドは微笑んだ。今なら、珍しく気弱な笑みに見える。

「少し弱気になったかもしれない。でもいつかは、元に戻るさ」

 そう。アルカラッドと同じ時間を僕やアンナが生きることはできない。僕もアンナも、アルカラッドよりはるかに速い速度で成長し、衰え、そして死ぬ。

 もしかしたら神獣騎士団の剣士たちのように、未来のどこかで呼び出されることがあるかもしれないけど、話はできないし、できたとして、大して意味がなくなっていまう。だって、そうやって自由に死者を呼び出して対話することに価値があるなら、実際に生きている僕とアンナには存在理由がなくなってしまうから。

 アルカラッドは、生きている人間、生きている他者を、必要としたと僕は思いたかった。

 永遠の時間を生きる、孤独な存在。

 生死さえも無力にする、永久の存在。

 完成された、無謬の存在。

 何より、意思を持つ存在。

 僕は空を行く雲を眺めて、アルカラッドの孤独と、生も死も知る彼が安息の地をどこに見出しているのか、それを考えていた。

 どこへも行けない存在は、悲しすぎる。

「今日は稽古はしないのか?」

 声に体を起こすと、こちらへアルカラッドがやってくる。立ち上がって迎えようとすると、彼が身振りでそのままでいいと伝えてくる。それでも寝転がっているわけにもいかず、座った姿勢になった。

「いい場所だと前から思っていた」

 そんなことを言いながら隣へやってきたアルカラッドが座り込み、さっきまでの僕のように横になった。アンナは何をしているんだろう?

 アルカラッドは何も言わずに横になったまま、おもむろにこちらを見た。

「寝転がっていると少し不思議な感じだな」

 あまり意味のわからない、背景のわからない発言だけど、龍だから、人間とはどこか違うのかもしれない。

「空を飛んでいる時に似ている」

 そう言ってから、彼はまっすぐに空を見上げて、動かなくなった。

 やっぱり無礼かもしれないけど、僕もすぐ横に寝転がる。

 沈黙は少しも不快じゃなくて、風の音、草の音、自分の鼓動や呼吸、そんな全部が心地よかった。

「何を考えていた?」

 そう水を向けられて、僕は素早く自分の思考を整理した。

 こうして龍と語り合えるのも、そうあることじゃない。



(続く)

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