第24話
◆
アルカラッドは平然としている。
「アンナを守るって……、危険なことになっているんですか……?」
「それをきみが救う。そのための守護者としての契約だ」
「あ、あなたが、守れないのですか?」
我ながら間の抜けた問いかけで、アルカラッドも可笑しそうだった。でも笑われても、僕は真面目だった。アルカラッドの能力ならどんな場面にも対応できる。
それなのに僕が手を出す理由は、見つからない。
「人間を救うのは、人間だろう?」
口元を手で隠しつつ、笑いまじりに人の姿をした龍が言う。
それは確かに、そうだけど……。僕を救ったのも、アンナだった。人間は人間同士で助け合う存在なのだ。それは僕もよく知っている。知っているけど……。
僕に何ができる?
「すぐに決める必要はない。一週間後でも、十日後でも問題ない。アンナにきみの助けが必要なのは、まだ先になるだろう。そして私たち龍がきみの力を求めるのも」
「僕には、僕自身が何をできるか、わかりません」
「それがわかる人間はいないし、龍もいないと私は考える」
アルカラッドの瞳がキラキラと光る。
「みんな、自分が何をどこまで支配できるか、探っているんだ。できることと、できないことが、誰にでもあるのさ。人にも、龍にも、全ての意識に。わかるかな」
「ええ、はい……、すみません、取り乱しました」
取り乱すという感じじゃないな、とアルカラッドが応じて、いよいよ僕は恥ずかしくなった。
その日は話が終わり、一晩、自分の部屋で色々と考えた。考えても時間ばかり流れ、朝になる。朝食の席に気を利かせたのか、アルカラッドはやってこなかった。
魔術通路で作業室に移動し、空気を入れ替えて、椅子に腰掛けた。
窓の外が見える。朝の空はまだ白に近い青だ。鳥が二羽、もつれ合うように飛び、去っていくのが見えた。
僕がアンナを守る。アルカラッドや龍を守る。
こんなしがない、職人みたいな人間が? 魔術も剣術も形にならなかった、僕が?
「おはようございます」
いきなりの声に危うく椅子から落ちそうになった。振り返ると助手の女性が立っていた。僕の挙動に驚いたようで、目を丸くして口元を押さえている。
「どうかされましたか?」
「なんでもない、なんでもないよ」
姿勢を整え、ちょっと頬が熱いの感じながら、その日の仕事の打ち合わせをした。真面目な顔で話を聞いて、女性が部屋から出て行く。
部屋にひとりきりになり、また考え事をした。でも答えが出るわけがない。何かに答えが出るとすれば、変化するはずの未来が動かなくなった時、決定した時だ。そして決定してしまえば、二度と後に戻ることはできない。変えることはできないのだ。
作業を始めれば少しは迷いも消えるだろうと考えて、僕は道具を手に取り、竹に文様を掘り始めた。
没頭しているうちに、時間が流れていく。それもものすごく早く。
これなら、時間と切り離されることなんて、大したこともないかもしれない。
お昼ご飯の時間になり、席を立って肩を回しながら部屋を出る。そこには僕が作った竹細工が並ぶ狭い店舗があり、部屋の隅にある机で助手の女性が帳簿を作っている。彼女が僕に気づいて、微笑む。僕も自然と笑みを浮かべていた。
いつの間にか、こういうことができるようになるのだ。
もう僕は、龍と一人の少女との三人で過ごす、狭い世界の中だけの存在じゃない。
「お昼ご飯を食べてくるよ。きみは?」
きみなんて呼びかける自分が、どこか変な時間に飛んでしまったようで、でもそれが現実だ。
女性が頷く。
「お弁当を持ってきています。オリフさんが帰ってきたら、食べます」
いつも通りってことだ。
「早めに帰るよ」
「オリフさんはいつも早すぎますよ」
苦笑いしてそう言われて、やっぱり僕も笑っていた。
店の外へ出て、通りを歩く。村を形成しているのは大半が農民だけど、道自体は街道に近いこともあり、人通りがある。だから僕の店もほどほどに儲けを得ているのだ。
通りから脇道へそれたところにある店は、野菜と肉を煮込んだ汁を出す店で、椅子がない。立ち食いの店で、慌しく過ごす人たちに好まれている。
暖簾をくぐって中に入ると、ほとんど入れ違いに体格のいい男性二人が出て行った。どちらも肉体労働者だとはっきり分かる。
奥に進み、カウンターの空いているところに立ち、銭を渡す。店主は老人で、銭をさっと受け取って注文も聞かずにどんぶりに汁を盛って出してくれる。この店では丼の中身の量は大雑把だ。当たりの時は多くて、ハズレの時は少ない。今日は当たりだった。
箸を手に、流し込むように食べ、空の丼を返して「ごちそうさま」と声をかけると、店主がやっと一言「あいよ」と言う。いつも、どんな時でも店主の発する言葉は極端に少ない。
外へ出て、店までの途中にある茶屋でお茶を飲む。そして店へ戻った時には、いつも通りに助手の女性が目を丸くする。
「やっぱり早いですね」
「まあ、急いだかも。店番を変わるよ」
ええ、と頷いて、女性が席を立つ。作業室の隣に狭い部屋があり、僕たちは休憩室と呼んでいるけど、僕は滅多に利用しない。それに休憩室と言いながら、これまでの帳簿などがそこに保管されていて、実質は休憩室ではないかもしれない。
女性が奥へ行ってから、彼女が立ったばかりの席に腰を下ろし、自分の店を眺める。
取り立てて特徴のない、竹細工の店。どこにでもあるような店だ。客が入ってくることはなく、椅子を揺らしながら、やっぱり考え事をしていた。
アンナか……。今まで、何をしていたんだろう。どんな風に生きていたのか。
僕が必死に水晶や竹を相手に格闘して、多くの人と関わってきたのとは違って、本当に格闘し、そして多くの人と関わったはずだ。そして僕が関わる人たちと、アンナが関わった人たちはきっと違う。
アンナと他人との関わりには、きっと血や死が伴ったんだろう。
今まで僕は彼女のことを誤解していたのか。彼女が心の奥では正しいことを願っていると思っていた。他人のために自分を犠牲にできる、そう思っていた。
アンナは、自分を犠牲にして、同時に他人の犠牲も許容したのか。
僕には真似できないだろう。心が引き裂かれて、苦悩に押しつぶされたかもしれない。
人にはそれぞれの生き方がある。出来る生き方と、出来ない生き方がある。それが不意にはっきり見えた気がした。世界には、出来ない生き方を強制される人がいたのも、事実だろうけど、それは悲劇だろうか。それとも自然の摂理、宿命、運命か?
ギシギシと椅子が軋み、僕は息を吐いた。
考えたところで、仕方がない。過去は過去として受け入れるのみだ。未来を変えることだけが、今を生きることの唯一にして絶対の目的であり、理想だと思う。
未来を失うこと、未来を奪うこと、それが問題ではあるけれど。
助手の女性が戻ってきた。彼女の名前は、なんだったか。そう……。
「ミーリャさん、きみも早いね」
「何言っているんですか?」
不思議そうな顔でミーリャが視線を壁の時計に向けるので、僕もそちらを見た。
「もう一時間くらい経ちますよ」
ああ、としか言えなかった。こんなに考え事に沈んでいるようじゃ、先が思いやられる。
「何かの皮肉ですか?」
真面目な顔でそう言われて、笑うしかなかった。
「ちょっと考え事をしていただけだよ。気にしないで欲しい。午後も頑張ろう」
席を立って、すれ違う時にもミーリャは不思議そうにこちらを見ていた。
らしくなかったかな……。
作業室に入って竹の匂いを感じた。椅子にたどり着くまでに少しずつ気持ちが切り替わった。
(続く)
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