第25話
◆
蛇龍の巨体はもう動かなかった。
しかし最初に私たちがやったことはブレインズの生き残りを探すことだ。ほとんど全滅に近いが、一人くらいは生きているかもしれない。
それが何かの救いになるとも思えないけど、私たちは死体を確認していった。
「アンナ! こっちだ!」
ランクの声に顔を上げ、そちらへ走る。
座り込んでいるランクのすぐ前に、一人の青年が倒れている。胸か腹からの出血がひどいのは一目でわかる。鎧をつけていたはずだが、鎧ごと叩き潰されたらしい。
私はランクの横に並び、瀕死の青年の額に手を置く。魔力の流れで彼の生命力を確認。傷のわりにはっきりとした手応えがある。
手を離し、傷口に触れる。胸だ。今も血が流れているが、勢いは弱い。もしほとんどが流れきっていたら、助からない。魔力の残量と生命力は必ずしもイコールではないと、私は経験的に知っていた。
私の魔力と彼の魔力が同調し、生命力が上がっていく。傷口がふさがっていくが、見るからに遅い。失われた血液を魔力で補い、全身を活性化させる処置も同時に行う。
気づくと私は額にびっしりと玉の汗を浮かべていた。青年はピクリともしない。
傷口は醜い見た目でも、とりあえず塞がった。血の気が薄い肌の色なのは、相応の量の血液が失われた証明か。脈は弱いが、とりあえずはある。
「一人で大丈夫か?」
すぐそばで龍の眷属の襲撃に備えていたテッドがこちらを覗き込む。私は名前も知らない青年を背負いあげた。
「例の医者に運ぶよ。二人は稼ぎを確保しておくように。あと他の生存者も」
「他はいねぇさ」
あっさりとテッドが言うその言葉の奥を考え、睨みつけて置く。
どうせ稼ぎを独占するために、見殺しにするんだろう。テッドは気のいい奴だが、時々、ひどく残酷になる。
バンザイするような姿勢になったテッドをもう一度、できるだけ強く睨んで、私はその場を離れた。
斜面を駆け下り、全力疾走でオルーを目指す。
背中が濡れてくる。汗じゃない、背負っている青年の傷口が開いたんだろう。応急処置だから、仕方がない。全力で走って、それでもどうにか揺らさないように注意した。
息が上がる。
いつか、どこかで、こんなことがあったな。
違う。あの時、怪我人を背負ったのは私じゃない。オリフだ。私は傷つけた側で、助ける側じゃなかった。
なんであの時のことを、こんなにはっきりと思い出すんだろう?
もしオルーに龍が、アルカラッドが待っていれば、この青年を助ける可能性もあるだろうけど、そんなに都合のいいことはない。普通の医者が待っているだけだ。そして普通の医療行為をする。
命を蘇らせるような、そんなことは、できないのだ。
唐突に考えが及んだ。
猟師の命を復活させることを願った時、アルカラッドはオリフの願いを聞いた。たしか、無償で。でも私がオリフの命を蘇らせることを請うた時、代償を求めた。
今、そんなことを考えて、想像しても意味はない。
オルーが見えてきた時、青年が流した血は私の靴の中にも溜まるほどだった。
通りを抜け、三本ほど脇道へ入ったところにある病院へ。傭兵専門の医者で、治療は雑だが、安価で、何より腕がいい。普段はどんなに適当に処置しても、命に関わるときはきっちり仕事をすると評判だった。もちろん、そのときは相当な額を受け取る。
待合に飛び込んだ時、傭兵らしい男が二人いたが、どちらも怪我をしているようではない。私を見てギョッとしているが、無言。
受付で説明する前に様子と態度、匂いなどでわかったんだろう、受付の女性がすぐに治療室へ通した。
ベッドに男を寝かせると、医者が早足にやってきた。五十をいくらか超えた男性で、名前はベアンという。頭を丸めていて、そこに幾つか傷跡がある。その理由や由来を知っているものは消される、ともっぱらの噂だ。
ベアンが看護師に脈を取らせつつ、傷口を見る。
「適当な魔術で治療されているとやりづらいんだよなぁ」
ブツブツとそんなことを言う。
私はそれから部屋の隅の椅子で、手術の様子を見ていた。
ただ青年がもし息を引き取るのなら、そこに立ち会うのが義務だろうと考えただけだけど。
手術には二時間が必要だった。魔術における治癒が発展しても一部の要素では、純粋な人間の技術が求められる部分がある。それは医療行為の不思議の一つだ。
フゥっと息を吐き、医者が寝台から離れた。血に汚れた手を拭って、改めて洗うために部屋の隅の流しへ行ったところで、彼が待ち構えてる私に気づいた。
「お優しい事だな、アンナ。死ぬところが気になると見える」
「生き残れそう?」
「ここまでやって患者が死んだがら、廃業だよ」
つまり、助かるという事だ。
私は礼を言って、治療費と入院代の支払いを済ませた。
「名前はホーナーだよ」
医者がいきなり言ったけど、青年の名前だろう。傭兵は死んだ時、自分がどこの誰かわかるように、体に自分の名前を彫っておくものが相当数、いる。医者がそれを見つけたようだ。
私は病院を出て、もう一度、イィシ山へ戻ることにした。体を綺麗にしたいが、仲間が優先だ。すでに夕暮れになっていて、山に着く頃には夜だろう。
深夜にほど近い時間、山に分け入って行くと、まるで生ゴミの山に近づいていくような錯覚をするほど、汚臭が漂っている。
「おお、来たな」
テッドが見えたが、彼はまさに龍の頭を解体して、血まみれだ。思わず私は口元を押さえた。ベアンが血に汚れるのとはまったく正反対の、汚らわしい姿。
それからテッドは計画を教えてくれた。明日の朝までに運ぶのが楽になるように蛇龍をバラバラにして、三人のうちの誰かが運送屋を手配し、蛇龍の全てを運ばせる。
これで一生遊んで暮らせるぜ、とテッドは嬉しそうだ。
「ランクは何をしている? どこにいるの?」
あっちだ、とテッドが身振りで示した方へ進む。
蛇龍の巨体から離れたところに、人間が何人も横たえられていた。そしてそのすぐそばでランクは地面に穴を掘っていた。死んだ傭兵たちを土葬にするためだ。
私は倒れている男たちを眺めていった。女が二人、混ざっている。体の半分がないものもいれば、綺麗な死体もある。何にせよ、もう誰も動かず、声を発することもない。
ランクは休むことなく穴を掘っている。
私はそれに加わって、二人で夜明けまでに全部の死体を埋めた。
テッドは離れたところで私たちを、理解できない、という顔で見ていた。
(続く)
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