第17話
◆
店が燃えたことは、正直、ショックだった。
でも僕はその衝撃をうまく受け流すことができた。不自然な話だけど、きっと一度、死んでしまったせいだろう。
生きていれば、どうとでもなる。また店を持つこともできるし、水晶に細工することもできる。もし死んでしまえばそれまでだ。
それに、店から何かを奪っていった人たちは、その何かを銭に変えて、生きていけるだろう。はっきりとした理由はわからなくても、野蛮だとしても、彼らだって生きているのだ。食べ物も服も家も、必要だ。人間はまだ世界中の全員分の十分なそれらを持ってはいない。
アルカラッドに頼んで、僕は別の町に小さな家を用意してもらった。今度は前回の反省を踏まえて、小さな村の、一間しかない部屋だ。魔術通路は裏庭に通じる扉に開けてある。
看板も出さず、その一間で僕は水晶を弄り続けた。道具を一から揃えて、その資金はアンナが出してくれた。いつの間にか儲けがすごい額で、アンナはそれを管理し、保管していたのだ。
今でも僕は彼女がどれだけの銭を持っているかは把握していなかった。変な棲みわけ、役割分担ができていた。
そのアンナがどこで何をしているかは、よくわからない。アルカラッドにポトールの街に魔術通路を通しておいて欲しい、と頼んでいた。アルカラッドは二つ返事でそれを許していた。
だからアンナはまだポトールの街にいるはずだけど、僕はそちらには顔を出していない。
ショックをやり過ごしても、やっぱりあの街にはどこか、悲しみがつきまとってはいる。それを無理に思い出すには、僕はまだ弱い。アンナは強い、のかもしれない。
僕は必死に水晶に細工を施し、日々を送った。家の前に小さく「水晶細工」という看板を出し、しかしほとんど客は来ない。村人の若い女性がやってきたのが初めてのお客で、値段を交渉すると、僕が告げた額は大きすぎるようだった。
咄嗟に考えて、彼女が欲しがっている首飾りのイメージに合わせて、玉の数を変えることにした。女性は嬉しそうに笑って、僕はやはり咄嗟に「ご自分で選びますか?」と言っていた。
そうして出来上がった簡単な水晶細工の首飾りは、高価ではないけれど、彼女にはよく似合った。
それからちらほらと若い娘がやってきて、似たような値段のアクセサリーを求めていく。
そうなってから、ポトールの街の店で売っていたアクセサリーの値段はかなりの高値で、それに見合った手間と作りだったけど、実は逆に作用したのかもしれないと、考えが及んだ。あまりに高額の商品を売り、そのせいで周りには銭を持っていると思われた。だから襲われ、盗まれたのだ。
あの頃は、値段はアンナと相談したけど、アンナが主導して値段を決めた。その値段で売れているようだったから、何も疑問に思わなかった。金額が高いことは僕の技術を認めてもらっているような錯覚があったけど、そんなに単純なものではないらしい。
日々が過ぎていき、夏の日差しが強くなった。窓を開けて、風が吹き抜け、削った水晶の真っ白い細かな粉が吹き散らされる。
「元気にやっている?」
店に入ってきてそう言ったのは、アンナだった。見やると、彼女はニコニコと嬉しそうだ。
「こっちは元気にやっているよ。そっちは?」
席を立って、お茶でも用意したいけど、普段は水しか飲まない。アンナは気にした様子もなく、客が待つ時のために用意していた椅子に座っている。
「ぼちぼちね」
「今はどこにいるの? まだポトール?」
「まあ、そんな感じかな。忙しくて、まぁ、大変だけどね」
忙しい?
「何の仕事をしている?」
「ああ、仕事ね、まあ、いずれ話すわ」
珍しいことだ。アンナは大抵、はっきりと返事がすることが多い。長い間、一緒にいたけど、言い淀んだ時はあまり良くないこと、悪事をやっている時だ。
「話せないこと? 話したくないこと?」
「いつかは話すってば」
「無理はしない方がいいよ」
あまり考えずにそう言う僕に、アンナは笑っている。
「無理なんてしてないよ。自由な、開放的な気分よ」
ますます怪しいけど、アンナが絶対に口を割らないこともわかっていた。彼女は頑固な一面もあって、黙っていると決めたことは、黙っているのだ。
水を汲んで差し出すと、ありがとう、と言って彼女がそれを受け取る。
「最近は何を作っているの?」
「指輪かな」
「へぇ、見せて」
止める間もなく、アンナが上がりこんで、作業台の方へ行く。机の上を見て、驚いているのがその背中を見るだけでもわかる。
「この村で、結婚式がある。普通の商人の二人なんだけど、依頼されてね」
綺麗、とアンナが呟く。その言葉は、何よりも嬉しい言葉だ。
しばらくじっと指輪を見てから、手に持ったままだった器の水を飲み干すと、アンナが振り返った。
「頑張って、仕事に励みなさい」
ぐっと空の器が突き出され、受け取りながら、僕はやっぱり不安になった。
「アンナ、何をしているの? 本当に、気になるんだ」
「なんでもないって。気にしないでよ。じゃ、私は帰るわ。あんたもたまには帰ってきて、アルカラッドを安心させなさいね」
やっぱり普段と違う、明るい口調と笑顔でそう言うとアンナはひらひらと手を振って店の外へ出て行った。追いかけるべきか、迷ったけど、諦めた。
彼女にも常識はある。間違った道を選ばない意志力もある。
しかし、そうか、僕はもう五日は島に戻っていない。アルカラッドとも会っていないのだ。島に戻るのは一週間や十日に一度になっていた。気付くと、僕はあの育ての親から離れつつある。アンナも似たような感じなのかもしれない。
帰るべきかもしれない、と思ったのは何故だろう。
何か、急かされるような、焦るような気持ちが急に心に浮かんだ。
部屋を片付けて看板をしまい、裏庭へ通じるドアから孤島の遺跡に戻った。建物はしんとしている。やっぱりアンナはいない。料理の匂いもしない。
アルカラッドが生活する部屋へ行くと、彼は石造りの椅子に座り、何かの古文書を読んでいた。閉じてある本ではなく、巻物だ。読んだところが床に垂れていた。
龍はこちらを見て、穏やかに笑った。
「おかえり、オリフ。珍しいね」
「ここが僕の家ですから」
自分が自然と笑みを浮かべているのに気付き、それは安堵から来ているようだった。アルカラッドがいつも通りで、それだけでも何か、大事なものが保存されている気がした。
「アンナは帰ってきてますか?」
「きみと同じくらいね。十日に一度だろう」
「何の仕事をしているとか、聞いていますか?」
「自分で訊かないのかい?」
ああ、いや、と言葉がうまく出ない。
アルカラッドと会うよりもアンナに会う時の方が少ない。それも夕食を一緒に食べるくらいだった。
いつの間にか僕とアンナとアルカラッドは、三人ではなく、一人と一人と一人になっている。
アンナはどこにいるのか、訊ねようとした。
しかしそれが言えなかったのは、アルカラッドが巻物を放り出して立ち上がり、どこか強張った顔でこちらに来たからだ。驚く僕の横を抜けて、アルカラッドが部屋を出て行く。何があったんだ?
彼を追いかけると、部屋の一つの前でその背中がある。
横に並んで、僕は絶句した。
アンナが立っていた。
それも血まみれで。
(続く)
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