第28話
◆
巨大な何かが、渦巻いている。
それを僕は見下ろしていて、巨大な渦がどこかへ流れ込み続けているのを目の当たりにした。
(龍の子か)
声が響く。低く、幾重にも反響していて一人の声とは思えない。まるでユニゾンしているようだ。
(誰ですか? あなたは龍の、その……)
(位階のようなものは我々には存在しない。六つの孤高なる魂、六つの世界を捨てたもの、六つの奇跡、ただ六つだけの始発点)
六つ。六大龍のことか。世界を形作る、六柱の神龍。
何か違和感があった。僕はいつかここに来たことがある。
(今、お前に見せているのは、この世界の本当の形だ。人間には決して知ることのできない、巨大すぎる、我々さえも飲み込むものだ)
(飲み込む? 龍をですか?)
(万物がいずれ、この巨大な渦に飲み込まれ、いずこかへと去る。人の時代の前にあった龍の時代もそこへ消えるし、龍の時代の前にあった神の時代もまた、そこへ消えた)
もう一度、正面に見える渦を見る。魔力の流れに似ていても、魔力ではない何かがそこへと流れ込んでいる。円形をした滝のようなものだけど、全てが落ち込む中心に何があるかは、わからない。
(いずれお前にも全てがわかるだろう。しかし今は、お前に龍の力を与えるよりない)
(アルカラッドは、いえ、あなた方は僕に何を求めているのですか?)
(均衡)
均衡……?
(これから起こるある瞬間に、全てが極端に偏ることははっきりしている。それに対処するのが、目的の一つではある)
(偏る、とは?)
(龍の世界と人の世界の釣り合いのこと。龍から人への全ての移譲をつつがなく、決して乱すことなく行うのが、我々の願望であり、目的だ)
(それを手伝えということですか)
手伝う、という表現がこれほど不似合いなこともないだろうけど。
龍たちはクスリとも笑わなかった。
(これが現在だ)
その声と同時に、誰かの視点が世界に置き換わった
寒気がした。
目の前で壁を突き破って倒れこんでいるのは、アンナだった。
彼女が体を起こし、殺意しかない瞳が僕に向けられる。
ピタリ、とそれが静止。時間の停止。
(これは我らが龍の一人の見ている世界)
(り、龍は……)
言葉が、いや、思考がもつれる。
(アンナを殺す、そういうことですか?)
(まずははっきりさせることがある)
龍は僕の言葉には答えないつもりだ。いずれわかる、とでも言いたいのか。
(この娘、龍の子の一人こそが、我々の均衡を破壊する)
なんだって?
アンナが、世界に害を及ぼす? 違う、何かが違う。
世界に害? 世界なんて、今はどうでもいい。
(我々が求める均衡、我々が求める秩序、我々が求める未来を、破壊するのだ。この娘が)
(アンナにそんな力は、ない)
(力は必要ない)
訳がわからない。
(この娘が一人の龍を破壊する。それが全ての始まりだ。お前がその龍を守る。そのための守護者であることを自覚してもらおう。お前はすでに人をやめた。今からは龍の一角に過ぎない)
(アンナを、殺せと?)
(未来は常に変化する。お前が最適な立ち回りをすれば、何かが変わるだろう)
殺さなくてもいいのか。
しかしもし、殺す必要が生じれば、僕はアンナを殺さなくてはならないのか?
誰がそれを決める? 最適な立ち回り? 何が最適か、分かるわけもない。
(少し時間を進めよう)
視界の中が動きを取り戻す。
跳ね起きたアンナの周囲で魔力が渦巻く。身がすくむほど、まっすぐな殺意が突き刺さる。
魔力が火炎に変化し、周囲を焼き払うのに対し、僕の視点になってる誰かが平然と、魔力の壁で火炎の全てを吹き散らした。
火炎を目くらましに、火の粉の壁を突き破ってアンナが飛びかかってきた。
剣は光が瞬く速度で弧を描く。
剣をはじき返したのはただの手刀。しかし皮膚が龍の鱗に変化している。
もう一方の手が突き出され、掌底が再度、アンナを弾き飛ばす。器用に受け流すが、規格外の力にアンナの靴底が床を滑る。鋲が床をささくれ立たせた。
もう一度、世界が停止する。冷や汗が溢れる感覚。しかし今の僕には肉体がない。
(あれを見ろ)
龍が何を指してそういったか、すぐわかった。
アンナの左腕が、袖が破けて露わになっている。
そのちょうど手首と肘の中間あたりに、黒いシミがあった。時間が停止しているはずが、そのシミがわずかずつに大きくなっていく。
(死龍があの娘には住み着いている。それもまた、全ての必然ではあるが)
(死龍……?)
急に思い出した。
僕は今、自分がいる世界、置かれている世界を知っている。
ここは猟師に銃で撃たれて一度、死んだ時に踏み込んだ世界だ。まったく同じではないが、空気はまさに同じ。
龍が住む世界。
(気づいたな。死龍はこことはまた表裏一体の、別の時空において死を司っている。安心するがいい。お前はすぐに現実へ、人が生きる世界へ戻れるのだから)
(アンナの腕は、どうなっているのですか?)
時間が停止していても、アンナの腕の黒い部分が拡大していく。
(腕を失うことになる。それが確定している。そこからがお前の仕事だ、龍の子よ)
(腕を失う?)
あのまま黒に飲み込まれる、ということか。
(それを防ぐことはできないのですか? 今ならまだ、間に合うのでは)
(あの刻印は、決して消えることはない。抑え込むことはできても、根絶はできない。事態はすでに動き出している)
どうにか食い下がりたくても、思考が回らない。
(時間を止めるのも、酷であろう。そしてお前は、直視できまいな、友が飲まれるところは)
瞬くように世界が消え去り、そこにはもう何もない。真っ白な世界。
(世界を守れ、若き守護者よ。誰の世界でもいい。お前には世界を守る力が授けられる)
光が瞬き、僕は目を閉じた。そう、目を閉じたんだ。
恐る恐る目を開くと、孤島の遺跡で、目の前にアルカラッドが立っている。もう僕の首に触れてはいない。反射的に首に触れたが、傷もない。何もない。まるで今まで見ていたものが全て幻だったかのような、そんな感覚があった。
一方で、あまりにも現実的で、幻ではなく、事実だということも感じる。
ちぐはぐだ。妄想なのか、現実なのか。
「認められたようだね、オリフ」
「ええ、その、夢を見ていて……」
「夢ではないが、世界はすべて夢のようなもの。気にすることはない」
「どういう意味ですか?」
アルカラッドがゆっくりと椅子に腰掛け、立っているままの僕を見上げた。
「アンナを見ただろう? あれは現実だ。たった今、遥か離れた場所で、彼女は戦っている」
血の気が引く思いがした。声をあげそうになる僕を、手のひらを向けてアルカラッドが遮る。
「それはどうしようもないことだ。お前の手には負えない。機会はやってくる。そのときに全力を出せるようにするのだ」
「アンナが、死んでしまう」
「生きるか死ぬか、あの子次第さ。まずは自分の力を理解しなさい、オリフ」
自分の力?
「アンナを救う力だ」
アンナを、救う……。
夜なのに、どこか遠くで鳥が鳴いた気がした。
この建物の中まで、鳥の声が届くわけもないのに。
(続く)
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