第5話

    ◆


 僕は目の前で渦巻く魔術、その要因である魔力の流れをじっと見据えた。

 魔術は全て、魔力の波動から出来上がっている。複雑に重なり合った波が現実に干渉し、奇跡を起こす。

 魔力は万物に宿り、万物を形成すると言われる。生命さえも、魔力の波動の織物のようなものらしい。

 とにかく今、目の前で渦巻く炎は、簡単な仕組みだ。

 手を伸ばし、僕に宿る魔力を送り出す。

 最適な時間に、最適な場所に波を送れば、その波と別の波がぶつかり、波は消える。

 そうやって僕は目の前にある魔術が生み出した炎を、一瞬で消し去った。

「悪くなかったよね?」

 問いかける先で、元は神獣騎士団の魔術剣士が微笑んで頷く。

 彼らは仮初めの肉体、仮初めの時間に呼び出された存在で、話すことができない。もしかしたらアルカラッドにはその制約を無視する力があるかもしれないけど、そうはしていない。

 なので今までの長い時間、体術も剣術も、魔術も、全部が実際的な手法で教えられた。その全てに理屈があるのを今では僕も知っている。

 ただ、それに気づくのはだいぶ遅れた。理由の一つに、アンナの存在があるのは否めない。アンナは特殊な才能の持ち主で、理屈を必要とせず、大抵のことを習得できる。

 不思議な才能だ。体術や剣術はまだわかる。教師役の体の動かし方を見れば、何が最適かはわかるだろう。

 しかし魔術は別だ。魔力は基本的には目に見えない。僕たちは最初の最初こそ、アルカラッドから手ほどきを受けたけど、すぐに教師役の魔術剣士に任され、そこで実際的な魔術を学ぶことになったから、つまり、感覚、もっと言えば直感を頼るしかなかった。

 魔術剣士が魔力を放射するのに、アンナはすぐに対応した。あっという間に魔力を練り上げ、魔術剣士の火炎に、どうやってか生み出した氷雪の塊みたいな風をぶつけて相殺して見せた。これには魔術剣士があっけにとられていたのを、僕はよく覚えている。

 本当にアンナは理屈を必要としないのだ。そうでなければ、彼女だけの理屈があるか。

 あんな天才と一緒に学ぶのは、刺激的な一方、自分のダメさ加減をはっきりさせられて、辛い時もあった。

 きっとその辛さが、僕に理屈や理論を求めさせたんだと思う。理論を知らないだけだと考えられるのなら少しは、自分の弱さを許せそうだ。

 それから何回か、僕は魔術に純粋な魔力、それも些細な魔力を差し込んで魔術を消す訓練を続けた。数日前の夜、古文書から手に入れた理屈を応用したものだ。古代文明の魔術にもまだまだ学ぶところが多い。

 訓練の場にアルカラッドがやってきた。アンナも伴っている。

「これはどうかな」

 さっとアルカラッドが手を振ると、僕の四肢が硬直した。

 強力な拘束魔術だ。瞼を閉じることさえできない。眼球も動かない。

 瞬間だった。

 僕は意識に乗せて魔力を放射し、当たりをつけた場所へそれを突き立てる。

 ぐっと引き締めが強まり、次には拘束は破れていた。

「悪くないね。しかしまだ、見当をつける技術が甘い。そうだね、アンナ?」

 ムッとした顔で少女が、ボソボソと答える。

「拘束魔術の急所は四点でしたね。オリフは六ケ所を攻撃した。二つは余計です」

「他には?」

 嬉しそうにアルカラッドが促す。アンナは渋々という様子を隠さずに答える。

「仕掛ける方が、拘束魔術が破断する弱点を静止させる理由がありません。流動的に機能させれば、破綻させるのは困難かと」

「きみにはできるかい?」

「もちろん、この通り」

 今度はさっと、アンナが手を振った。

 全身が締め付けられ、僕が動けなくなる。僕で実験するなよ。

 無駄な抵抗と思いながら、意識は自分を取り巻く魔力の流れを確認し、確かに流れが止まらないことに気づいた。魔力の波長が常に変化し、弱いだろうと推測できるところがあっても、それが激しく移動するため、的確に破壊するのは難しい。

 僕の魔力が同時多発的に拘束魔術を破壊しようとするけど、全てが無意味。

「もういいよ、アンナ」

 そう言ったアルカラッドがアンナを振り向く。

 それだけで、僕の体は自由を取り戻していた。アンナが「痛!」と声を上げ、手を押さえた。

「無理やりに破壊しないでくださいよ、反動がひどい」

 手を振りながら、アンナが怒りを隠さずにアルカラッドに言うが、彼は肩を竦めただけ。

 アンナの拘束魔術を、アルカラッドは魔力の激流で押し流したらしい。やはりそこは龍、人間とは格が違う。

「ご苦労様、また頼むよ」

 そうアルカラッドが声をかけると、控えていた魔術剣士が一礼し、すうっと姿を消した。

「どうにも神殿を嗅ぎ回っている人間がいる」

 アルカラッドがそう言って、こちらを見る。口元には笑みがあるが、目は真剣だ。

 今いる場所は訓練の時に使う草原で、例の神殿とは遥かに離れている。距離、もしくは時間が。

「この前、猟師を一人、相手にしたね?」

「殺すべきでしたか?」

 僕が答える前に、そうアンナが訊ねていた。アルカラッドが首を振る。

「まさか。命を奪ってまで、守る秘密はない」

「龍がそこにいると分かれば、人間は遠慮しませんよ」

 アンナが食い下がるのに、懐かしい話だね、と龍は笑みを深くする。

「古代より、龍は神秘の存在で、奇跡の具現化とも目された。時間、空間、生命の三つの原則を破れるとね。そして龍の瞳、牙、爪、鱗、骨、肉、血、全てが神秘のかけらとして、人間の欲するものに変わった」

「歴史の授業で聞きましたよ。人龍大戦でしょう?」

「そうだよ。人間は己の欲望に抗しきれず、龍を狩ることを選んだ。自分たちが非力なことを忘れて、挑んではいけないものに手を出した。だからおおよそが滅んだ」

「かもしれませんけど、あなたは人間に味方した」

 僕が黙っている前で、アンナとアルカラッドは向き合い、片方は攻撃的に、片方は冷静に言葉を重ねている。

「なぜ、あなたは人間に味方したのですか? その話を、あなたは私達にしたことがない。秘密ですか?」

「秘密にする理由もない。人間に味方したのは、それが時代の要求と感じたからだ。時代というより、世界かもしれないがね」

「人間を滅ぼさなかったのは、つまり、あなたたち、龍だから知り得る未来のためだと?」

「アンナ、きみは少し考えすぎる。龍は、その役目を終えるべきということだよ。人間に全てを任せ、自分たちは姿を消す。平穏で静かな世界の底へ引き下がること、それが結論だ」

 理解不能です、とアンナがそっぽを向いた。

 アルカラッドが急に振り返った。

「きみの意見は? オリフ」

「え? 龍に関してですか?」

「違う。猟師の件だよ」

 ああ、そっちか。

「いずれは神殿にも人がたどり着くと思っていました。それを防ぐのに必死になる必要はないかとも思っています。あなたの力なら、別の場所を用意できるでしょう?」

「その通り。世界は無限に広がっている」

 アルカラッドがそう言った途端、やはり大地が隆起を始める。

 あっという間に台地が出来上がり、僕たち三人はその上にいる。眼下に草原から発展した森林が広がり、遠くまで見通せた。見知らぬ場所だった。

「あれをご覧」

 アルカラッドが遠くを指差す。



(続く)

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