第27話
◆
僕は決断して、すぐにミーリャにその話をした。
「店を閉じるのですか? いつですか?」
彼女はあまり驚きも見せずに、まっすぐに僕を見た。聞き返されて、そうか、いきなり閉めるというわけにはいかないのだ、と気付いた。
「三日後かな」
「突然ですね。竹の仕入れ先に話をしなくてはいけません」
「うん、まぁ、そこはお金を多く渡して手を打っておいて」
わかりました、とミーリャが頷く。
「どこかへ行かれるのですか? それとも何か、トラブルですか?」
表情から好奇心を隠して、ミーリャが訊ねてくる。これはおおよそ予想通りだ。
「トラブルではないね。やることができたんだ。ここにはいられない」
「もう戻ってこないのですか?」
ミーリャはこの村で知り合ったが、元は商人の屋敷で働いていた。その商人に竹細工を売っていたのだが、ある時、商人の男に連れられてやってきて、面倒を見て欲しい、と言われたのが、彼女を助手にしたきっかけだった。
商人はその時、経済的に苦しかったようで、解雇して放り出すのを気に病んで、僕に預けたような形だったと認識している。
「商人のあの方に、手紙を書いてある。また働かせてもらえるだろう」
「それには及びません」
きっぱりと答えが返ってきて、ちょっと目を見開いてしまう僕である。
「どこで生きていくつもり?」
「この店を継ぎます」
「おいおい、継ぐも何も……」
「これを見てください」
彼女がいつもの席の、いつもの場所に置いてあった荷物から小さな玉を取り出した。
受け取ってみると、それが竹で作られた玉だとわかった。僕もこれを大量に、百を超える数を作って、全部を繋いで暖簾や壁飾りにしている。
しかし文様は見たこともない形で、僕の作品ではない。
「君が作ったの?」
「はい。家で練習しています」
「独学で、ってこと?」
「あなたが教えてくれないので、自分でやっています」
これは一本取られた、とでも言うべきかな。今、手のひらの上にある玉と同じものは、僕には作れないだろう。これはミーリャの作品で、ミーリャだけが生み出せる。
「店を継いでも」僕は彼女に玉を返した。「僕は帰ってこないと思うけど」
「待てる限り、待ちます」
彼女の意志力は、よくわかった。だって、あの竹の玉を作る技術は、一朝一夕では身につかない。彼女はきっと半年、いや、もっと長く、練習したんだろう。それも昼間は店にいるのだから、店を閉めてから、夜にやっていたことになる。
「まあ、そうだね。きみが店を続けるのを止める理由は、これといってないかもね」
「任せてくれるのですか?」
「任せるというか、譲るわけだから、これからはきみが主体で、きみ次第になるよ。発展させようと、潰そうと、自由だよ」
「はい。ありがとうございます」
ありがとう、か。僕はただ投げ出して、それを彼女が拾うのに任せただけで、感謝されるようなことはないのにな。
それからミーリャとはいくつかの打ち合わせをした。竹を仕入れてる業者の件は、こうなってみると何の問題もない。仕入れる量を減らす必要はあるかもしれないが、ミーリャが仕事を続けるなら、竹は必要になる。
彼女も気づいているだろうけど、僕は老婆心で竹の仕入れる量についてアドバイスして、彼女は真剣な顔で頷いていた。
僕が使っていた作業室にあるもの、作業台も椅子も、様々な刃物やヤスリも、全部をミーリャに譲ることにした。
「本当に仕事をやめるのですか?」
彼女はもう一度、念を押すように僕に言った。
「そう。どうしても、やることがあるんだ」
「成功をお祈りしています」
お祈りか。いったい、何にどう祈るのだろう。こういうことを考えるあたりは、僕が特殊なんだろうか。信仰するべきはずの神が、アルカラッドという姿で、長い時間、すぐそばにいたのだ。そしてアルカラッドは、父であり教師であり、友人のようなものになっている。
いつの間にか僕は大人になったようだ。
ミーリャに話をしてから三日後の夕方、彼女はカバンから袋を取り出して、差し出してきた。
「今までのお礼です」
受け取ると重い。中を見ると瓶が入っている。酒が入っているようだった。
「僕が酒を飲まないって話、しなかったっけ?」
「そのお酒は特殊なお酒です。山の上の神殿で作られたものです。神のご加護があるとか」
「酔っ払っても倒れないとか、そういうご加護?」
「本当のご加護です」
まあ、いいだろう。受け取っておくことにしよう。
ミーリャは最後に僕の手を握り、僕も握り返した。その二つの手は、あっさりと離れた。
まさか彼女の前で魔術通路を開くわけには行かず、適当に店から離れてから、僕は魔術通路で島に戻った。
食堂だった部屋に入ると、今までと少しも変わらない様子で、アルカラッドが巻物を読んでいる。そうか、アルカラッドは歳をとらない。外見が全く変化しない。だから僕の心の一部は、自分もずっと変わらないような、そんな思い込みをしてしまうんだろう。
「店を助手に譲りました」
そう切り出すと、アルカラッドが顔を上げた。僕は素早く続けた。
「龍の守護者に、なろうと思います」
「決断したか」
「これは推測なんですが」
アルカラッドがまじまじと僕を見る。
「あなたは最初から、僕を守護者にするつもりだったのでは? 孤児だった僕を拾ったのも、理由があった。そうでしょう?」
アルカラッドが巻物をするすると巻き取り、机に置いた。
「人間の人生は、一発勝負だよ」
淡々とアルカラッドが言う。
「結果を、未来を、死を予測できない。悲劇も、絶望も、受け入れるしかない。しかし龍は違うんだ。龍には未来が見える。過去も見える。よりよい結果、よりよい未来、よりよい死、それが見える。きみはそれが見えて、よりよい展開を望まないか?」
「僕は、人間です。今は、というべきかもしれませんけど」
「私がきみに可能性を見た。アンナにもだよ。これから起こることを、私はおおよそを把握しているが、未来は常に変化する。良くも悪くもなる。良くなるのならそのままで、悪くなるとなれば、私はそれを修正する。これもまた、悠久の座として勤めの一つだ」
本当にこの目の前にいる男性は、龍であり、神なのだ。
その神が助力を求めるとは、おかしな話だ。全知全能、何も不可能が無いはずの神にも不可能はあるのか。あるいは神が扱うには、この世界は複雑で煩雑で、絶対解けない糸くずみたいなものか。
「オリフ、本当に守護者になるんだね?」
「ええ、あなたのために、そして、アンナのために」
よかろう、とアルカラッドが立ち上がり、僕のすぐ前に立った。
彼の手が僕の首を掴む。人間ではない、ひんやりとした感触。
どこかヌルヌルするような、皮膚で包まれた手。
ぐっと何かが首に食い込んだ。
爪だ。
首がちぎれると思った時には、意識は完全に消えた。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます