第31話

     ◆


 僕とアルカラッドは孤島の遺跡の外れで、その能力を試していた。

 守護者として契約を結んだ時から使えるようになった、奇妙な力だ。魔力に似ているので魔力を使う手法が応用できるが、実際にはそれは魔力を破壊する魔力だった。

 それが僕の体を中心に操られることになる。

 アルカラッドは控えめな、人間レベルの魔力や魔術を僕に向かって放ち、それを僕の奇妙な力が破壊していく。ひたすらそれを繰り返している。

 体を動かす必要はなく、目を開けている必要もない。

 これも能力と共に身についたのだろう、周囲の魔力の流れがはっきりと感じ取れる。

 だからただの流れに過ぎない魔力に、こちらが力をぶつけるのは容易だ。

 問題は認識力。アルカラッドは最初こそ目を使っていいと言ったが、次には目を閉じるように指示して、本来の視界ではない背後を含めた全方位を力の流れやバランスで把握するように指示した。

 聴覚、嗅覚、触覚が活発になる。しかしそれ以上の感覚、まさしく第六感が徐々に発展していく。

 全方位を超え、遥か彼方までが僕の支配下に入る。

 アルカラッドの手加減した魔術は発動する前に消え、アルカラッドから放射されるはずの魔力は、一瞬の中の一瞬で消える。

 時間の感覚が曖昧になるのと同時に、距離の感覚、根本的な現実感さえもが失われる。

「これくらいにしよう」

 再び師となった龍の言葉に、僕は顔を上げた。目はいつの間にか開いていたのに、機能していなかったらしい。

「悪くない動きをするようになった」

 守護者になってから半月ほどが過ぎていた。それはそのまま、アンナが龍に襲撃され、死龍の刻印に襲われたあの日から、半月が過ぎてることを意味する。

 周囲は薄暗くなっていて、水平線に太陽が沈もうとしている。

 思わずそちらを見た。眩しい。

「遠くを意識するな。意識を失うよ」

 釘を刺すアルカラッドに向き直り、肩をすくめる。

「まだそこまでじゃありません」

「きみの能力に時間は関係ない。素質だよ」

 そうですか、としか答えられなかった。

 守護者になって、訓練の後の夕日を見る度に思う。

 なんで僕が守護者なんだろう。その役目はアンナの方が適任だ。

 僕にいったい、どんな素質がある?

「こちらへおいで、オリフ。きみにはあまり時間がない」

 今までの夕方にはなかった言葉に、いつの間にか伏せていた顔を上げると、そこはアルカラッドが使っている部屋で、無意識についてきてしまったらしい。

 足を止めたのは、部屋の真ん中に何かが浮いているからだ。

 人の腕に見えた。女性の腕。肘の少し上から指先までがある。今も生きているような、切り落としたばかりに見える。

 ただし、輪郭がおかしい。

 腕を空中に固定しているのはアルカラッドの魔術だろう。輪郭が滲んだり固まったりするのもそのせいかと思ったが、違う。

 腕の皮膚が時折、黒く染まり、ざわついているのだ。

「これは、なんですか?」

 うん、と頷いてアルカラッドが少し眼を細める。

「アンナの腕だ。死龍の呪いを受けている」

 聞き返すことはしなかった。だって、皮膚の黒くなるその様は、いつかのアンナの左腕そのものだから。

 彼女が片腕を失ったことが悲しく、しかしまだ彼女が生きているのだろうと考えることで、それを無視した。

「なぜ、ここにあるのですか?」

「オリフ、君が猟師によって殺されたことがあったね」

「ええ、よく覚えています」

「あの時、私は本来の宿命に逆らって、きみを呼び戻した。その時、二つのことが起こった。死龍につけこまれたことが一つ。その時、アンナが呪いを受けた。もう一つは、本来の宿命を捻じ曲げた代償を、アンナが背負ったことだ」

 代償……。

 それは僕が肩代わりできないことだった。きっとアンナも、背負い抜くつもりだっただろう。

 アルカラッドは淡々と喋る。

「アンナにも私にも都合が良かったのが、私が彼女から代償を受け取ることで、おおよそ、死龍の影響下にある左腕を切り離せることだった。実際、今こうして形になった」

「それって、アンナはもう呪いを受けないということですか?」

 ゆっくりと龍は僕の前で首を振った。

「死龍の呪いはそれほど容易なものではないな。今もアンナの体の中やすぐそばに存在する。少しずつ、本当に少しずつ彼女を蝕んでいくだろう」

「どうやったら、それを消せますか?」

 こちらに向けられたアルカラッドの顔には、どこか切なげな笑みがある。

「命を奪うか、きみが力をぶつけるしかない」

「力を」

「そうすれば、彼女は魔術的な素質、魔力を失うだろう。しかし命は助かるかもしれない。ただ、魔力は全ての生命が活動する根源だ。結局は、魔力を全て失えば、死ぬかもしれない」

 そんなことが、あっていいわけがない。

 何か答えが、秘策があるんだろうと僕は睨むようにアルカラッドを見た。彼は表情を消して、また首を振った。

「これには他の可能性はない。ないんだよ、オリフ」

 嘘だ、と呟く僕の肩に、アルカラッドが手を置いた。

「いつかは誰もが死ぬ。いつかきみたちは生きるということ、死ぬということについて、口にしたね。きみたちはこう言った。殺すことは、可能性を奪うことだと。覚えているのね?」

「ええ……、それは……」

「アンナにもまだ可能性はあるんだ。死ぬと決まったわけじゃない。ものすごく小さな確率だとしても、最良の結果のために努力するべきだ。努力という言葉は、可能性を切り拓くということだろう?」

 いつの間にか涙が滲んでいたのを、僕は手首でこすって消した。

「はい、そうだと思います」

 よろしい、とアルカラッドも頷く。

「この腕できみは死龍に対抗する、予行演習ができる。本当の死龍の呪い、その最も濃密な部分を相手にできるんだ。本来、死龍はこの世界には干渉しない。だから、これほどの呪詛は、本当なら存在しないんだけどね」

 そう言われ、守護者になったあの時の、龍たちのことを考えずにはいられなかった。

 均衡を守れ、と彼らは言った。

 アンナが均衡を崩すとも言った。

 そのアンナを僕が止めるとして、ではアルカラッドはいったい、どんな立場に立つんだろう?

 僕やアンナを導き、そのあとは?

「少しやってみよう」

 僕の疑問に気づく風でもなく、アルカラッドが手を持ち上げ、その一瞬にチカチカと目の前で光が起こる。

 アンナの左腕が形を失い、爆ぜるように真っ黒い霧に変わった。

 考えている暇はない。

 一瞬も必要としないほどの間に、何かが切り替わる気配が僕の中で起こる。

 力が解き放たれ、黒い霧を消していく。

 何かを象徴するような、光と闇の相克が僕の意識の中で展開された。



(続く)

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