第16話
◆
ポトールの街に私たちの名前が定着して、看板も出した。
知り合いも増えて、私もオリフも顔が広くなった。ほんの半年前と比べると自分が別人になったようだった。
「あれだけの水晶をどこで手に入れているんです?」
野菜の行商がそんなことを聞いてきた。無害そうな初老の男で、いつもニコニコとしている。
「大変な量ですよ。どちらから運んでいるんで?」
「ええ、まあ、伝手がありまして」
そんなことを言って、いつも通りに誤魔化そうとした。
そう、この水晶の出所を明かせないのが、私の最近の懸念の一つなのだ。どこから手に入れているのかを、大勢が気にしているのは知っている。
商売というのは、物を売り買いするけど、商う品をゼロから作るものは基本的にいない。
野菜を売るものは、農業を行うものから野菜を買う。
日用品も、それを作るものがいて、材料を商うものもいる。そこから商品が生まれたり、売り物を手に入れているのだ。
全てがそんな風に生産者がおり、それを運ぶものがおり、実際に銭に変えるものがいる。誰もが物品と銭を交換することで生活を営むのが、経済という奴だと私もさすがに気づいていた。肉体労働をするものは、自分の体の疲労を銭と交換している。
というわけで、私とオリフの商売も、どこかで水晶を買っている、という体にするのが一番、問題ない。問題ないが、ここ半年で私とオリフはそのちょうどいい商人を実際にも、架空ででも、用意できていないことは問題だ。
先送りにして、今まで来てしまった。でもそれほどの危機感もまだなかった。
野菜売りは去って行き、平穏な午後が過ぎていく。日が沈む頃に店を閉じる。オリフはまだ作業に熱中している。私は一人で島に帰った。アルカラッドの姿が見えず、一人きりで料理をする。私の料理の幅はあっという間に広がり、自分でも驚くほど家庭的だ。
そう、あの店を始めてから、私は気付くと、女らしい女になったようだった。
料理、掃除、帳簿なんて、男向きのことではないけど、私にそんなことをきっちりこなす甲斐性があるとは、今まで気づかなかった。洗濯くらいが残されている領域だ。
その日も料理を三品、手早く作って食堂へ持っていく。そこではアルカラッドが待っていて、眠るように目を閉じている。最近、そうしていることが増えた。疲れているようではないし、何かを必死に考えているようでもない。ただ目を閉じている、という風情だ。
食事になると彼はいつも通りに、料理に手をつける。感想を言うこともある。あまり要求もないので、私の料理は龍の口にも合う、ということだろう。
そうしてから料理を温め直すものは温め直して、街の建物、その二階へ運ぶ。
手元だけを明るくして、とっぷりと日が暮れた闇の中で、オリフが作業に熱中している。大抵は「料理を置いておくよ」くらいしか言わない私だ。
その日もそれで終わるはずだった。
料理を置こうとした時、それに気づいた。何かが燃えるような匂い。オリフが顔を上げた。彼も気づいたのだ。
でも声を掛け合う余地はない。
騒々しい音が階下で鳴り響く。どう解釈しても、玄関が破られ、誰かが乱入してきたとしか思えない。
私はもちろん、オリフも武装していない。くそ、剣を島に置いてきたのが、恨めしい。
商売の邪魔になる、店を商う少女が立派な剣を下げていては不審だと、オリフと話したのはかなり前だ。あの時から、というより店を始めてから、剣が必要な事態は一度もなかった。
「好きにさせたら、どうなるかな」
冷静な声でオリフが言う。手が素早く明かりを消した。やり過ごそう、ってことか。
「店を荒らされて、あらかたの商品を奪われて、それで帰ってもらう、ってこと?」
「それが一番、問題にならない。僕たちが損をするだけだよ。それもほんの少しの損だ」
脳裏に、オリフが作ったアクセサリーが浮かぶ。
一つ一つに時間をかけ、手間をかけ、そうして出来上がったものだ。それが何にもならずに奪われるのが、私には我慢ならなかった。銭が欲しいわけじゃない。正当な評価、正当な報酬が、オリフには必要だ。
それが、ただ力任せに、奪われて黙っていて、オリフは平気なのか?
「魔術で脅せば、逃げていくかも」
「でもそうしたら、二度とここでは商売ができない。普通の人間は、盗賊を追い返せないんだ」
「それでも、こんなのは……」
階下では激しい物音が続いている。きっとどこかに銭が隠されていないか、探しているんだろう。私はほとんど全部の銭を島に移していた。
私がそれでも下の階へ向かおうとするのを、オリフが腕を掴んで止めた。
左腕で、芯の辺りに痛みが走る。それはいつか、オリフが死にかかった時、真っ黒い虫を受けた部分だった。たしか、死龍がどうとか、言っていた。今でも痛みが時折、蘇る。治癒しているはずで、傷跡もないのにだ。
しかし今はそれに構っている場合じゃない。
オリフの手を振り払うのに、ほんの少しの力で十分だった。
ただどうやら、私は動くのが遅かったらしい。何かが目の前を横切ったと思った時には、それは白煙で、階下から煙がどんどん上がってきた。盗賊が、火をつけたのだ。最初の焦げ臭さも、彼らの火種だろう。あるいは松明でも持っていたのかもしれない。
「逃げた方がいいね。戦略的撤退だ」
冗談交じりにそう言って、オリフが席を立つ。それでも細工の途中だった水晶をまとめてポケットに突っ込んでいた。私は怒りに駆られて、今すぐにでも下に行きたかった。
もう一度、オリフが私の腕を掴む。強い握力に、瞬間、冷静になった。なったけど、怒りもまたメラメラと燃え上がる。
「行こう、アンナ。こっちへ。ほら」
引きずられるようにドアの一つを抜けると、そこはもうポトールの街の一角ではなく、絶海の孤島の石造りの遺跡だ。ドアが閉められると、物音も煙も消えた。
静かだ。島も今は夜だった。
その翌日、アルカラッドに事情を話し、別の場所からポトールの街へ魔術通路を開いてもらった。
店に向かうと、焦げ臭い匂いが鼻をつき、そしてそれが見えた。
私とオリフの店は完全に焼け落ち、なくなっていた。知り合いが私たちに気づいて、無事を喜んでから、慰めてくれる。オリフは特に気にした様子もなく、ニコニコと笑っている。私にはとても、そんな真似はできなかった。
「またどこかで店をやるのかな」
二人だけになってから、焼け残りを前にしてオリフが言った。
「そんなの、アルカラッドに聞きなよ」
「結構、面白かったから、またやりたいかな。アンナは?」
私の中で答えははっきりしていた。
「二度とやらない」
そうか、とオリフが呟き、焼け跡に踏み込むと、そこにあるものを検め始めた。何も見つかるわけない。全てが燃やされた。
私たちにそんなことをして、ただで済むと思ってもらっちゃ困るな。
私の中には、怒りと憎しみがあった。
アルカラッドだって、それを否定し、消すことはできないだろう。
どこの誰かは知らないが、自分がやったことの責任を、負わせてやる。
龍でも、神でもない、人間である私が。
卑怯じゃないだろう。人間が人間に、やり返すだけだ。
オリフが地面から何かを拾い上げ、光にかざしていた。
(続く)
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