第23話
◆
なんだ? 今、どこかで声が……。
僕は作業机から顔を上げて、窓の外を見た。
名前もないような村の平屋の建物だ。じっと窓の外を見たけど、すでに日は暮れかかり、何も聞こえない。しばらくそのままでいたけど、結局は何も聞こえなかった。
「オリフさん」
声の方に振り返ると、居間に通じるドアから、助手として雇っている女性が顔を覗かせている。
「もう帰ります。お疲れさまでした」
「ああ、うん、お疲れさま」
「どうかされましたか?」
どうもしないよと笑って見せると、彼女はまだ不思議そうだったが、去って行った。
やれやれ。僕も少し疲れてるかもしれない。立ち上がって背筋を伸ばし、肩を回す。いくら作業をしても体のどこかが凝るようなこともないのだけど、どうしても仕事が終わるとこうやって体を動かしてしまう。変な先入観がありそうだ。
明かりを消して、さっき助手が閉じたドアを開けると、土と石の匂い。
扉の先は孤島の遺跡の一室だ。後ろ手にドアを閉め、もう一度開ければ、作業場ではなく薄暗い通路がそこにある。もう魔術通路をアルカラッドに頼って構築する必要はない。僕だけの力でそれくらいはできる。
通路を進み、食堂へ出るとアルカラッドが本を読んでいた。しかし、そう、この食堂だった部屋で食事をしたことは二年以上ないのだ。あのアンナが出て行った日から、食事の光景はなくなった。
「お久しぶりです」
そんな声をかけられた龍は、いつもの笑顔だ。
「仕事は順調かい? 竹細工のコツは掴めたかな」
「徐々に売れるようになりました」
水晶細工は一年前にやめた。結局は水晶をどこから仕入れているのか、という方便を組み立てるのが性に合わなくて、竹細工を始めたのだ。竹ならどこでも手に入る。それを商売にすると決めて、幾人かの商人に当たりをつけ、定期的に竹を売ってもらうことができるようになった。
あとは作業室と形だけの店があればいい。助手を雇ったのはほんの一ヶ月前だった。金銭の管理を任せて、竹の仕入れと商品の販売にも仕事を広げていっているところだ。あの女性自身は、僕の技術を教わりたいようだけど、僕には自信がないので、教えてはいない。
だって、僕は誰かから何かを教わったわけではないし、つまり系統だった技術、理論的な手法は少しもない。言ってみれば直感、思いつきで作っているのだ。どうやって教えたらいいのだろう?
「さっき、不思議なことがありました」
椅子に座ってそう言うと、アルカラッドがまっすぐにこちらを見た。
「誰かの声でした。悲鳴、のようにも聞こえました」
「それか」
何か心当たりがあるらしい。あの声は普通の声じゃなかった。そもそも人間のそれとは違う気がした。
だからアルカラッドにその話題を口にしたという面もある。
あれは、龍の声だったのではないか。
「何かご存知ですか? アルカラッドは」
「魔術王国で、龍が死んだ」
「え? どういうことですか?」
「魔術師が龍を呼び出した。中位程度の龍だ」
龍が死ぬということが、あるのか。中位と言われても、僕はアルカラッド以外に龍を身近には知らない。ただ、龍もやはり生きているのだ。しかし、そうか、もしかして龍を魔術師が呼び出すことが、龍に有限の何かを与えたのかもしれない。
「殺したのは、アンナの仲間だ」
今度こそ、僕は絶句してしまった。まじまじとアルカラッドを見るが、アルカラッドは平然としている。
「アンナのことを、その、追いかけているのですか?」
どうにかそう訊ねる僕に、アルカラッドは嬉しそうに笑っている。
「あれでも娘みたいなものだからね。それに約束していることがある」
「約束、ですか? それは、なんですか?」
「きみの命を救った時の代償だよ。アンナがそれを支払うと約束した。それは絶対だ。きみにも肩代わりすることはできない。だからその約束は、純粋にアンナの問題だ」
そうは言われても、僕の思考は自然とアンナのことに向かっていた。彼女が僕の命を救ったのは、ものすごく前のように感じる。猟師に撃たれた時だ。あれは僕にも非がある。
アンナだけが全てを背負う必要はない。
どうにかそのことをアルカラッドに伝えようとしたが、アルカラッドは平然としている。
「気にしないほうが良い、オリフ。全てはなるようになる」
意味深な言葉に興味を惹かれて、考えたが考えてわかるものじゃない。
なるようになる。アルカラッドには、未来が見えているのか?
「アンナは何をしているのですか? その、龍と争っているのですか?」
「彼女は戦いを生業にしている。危険な場面もあるが、あれだけの技量の持ち主だからな、簡単に死ぬことはない。それはきみにもわかるよね?」
「それは、ええ、アンナが簡単に死ぬとは思えませんし、確信に近い思いがありますが」
それでも彼女は僕の中では、まだどこか子どものようなイメージがあった。一緒に育った古い時代の光景がはっきりと思い出せる。
その彼女が戦いを生業にするのか。剣を振るい、血を浴びて、生きている?
何が彼女をそうさせてしまったんだろう?
気づくと僕は考え込んでいて、意識が体を離れていた。はっとするとアルカラッドがニコニコとこちらを見ている。
「きみの優しさをよく知っている私でも、きみはあるいは優しすぎるかもしれない」
「いけないことですか? 優しいことは」
「正しいことだろう。他人のことを考えるものだけが、剣を手に取れる」
「剣、ですか?」
アルカラッドが姿勢を整え、僕を正面に見た。
「アンナの行動が、きっかけではあるけど、きみに頼みたいことがある」
なんだろう。全くの突然の話で、想像のしようもなかった。でもこの龍に頼まれれば、断ることはできない。優しさではなく、この龍には恩義を感じるし、何かを僕ができるのなら、それをすすんでやりたかった。
「なんですか?」
「きみを守護者とする」
「守護者……」
アルカラッドの視線がまっすぐに僕の目を見て、まるで心の内を覗かれているようだ。
「龍は人間を選び、自身の守護者とできる。それはその人間を現世から断ち切ってしまうが、しかしそれは常に龍と共に生きるということでもある。守護者はその名の通り、現世において龍を守ることを使命とする」
すぐには理解しがたい。
「現世から断ち切るというのは、死ぬということですか? 肉体を失うとか?」
「時間を失う、という表現が正しいだろう」
龍と共に生きる、とアルカラッドは言った。つまりそれは、時間を超越する、そういうことなのか。
「僕が守護者になって、何をするのですか?」
アルカラッドの瞳に一瞬、見慣れない何かの光が宿った。
「アンナを守ることになる」
なんだって?
(続く)
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