第18話
◆
僕が何も言えないのに対して、アルカラッドは落ち着いていた。
「アンナ、説明しなさい」
ムッとした顔でアンナがそっぽを向く。
「盗賊を殺しました。当然の報いです」
盗賊? それは、ポトールの店を焼いた奴らのことか。
アンナは、ずっと追っていたんだ。ポトールに魔術通路を残していたのも、ポトールやその周囲を探り続けるためだった。そして時間をかけて、調べ抜いて、追い続け、そして今日、それが成就した。
部屋に立ち込める血の生臭さに、目眩がした。
こんな場所で、血にまみれて、なんでアンナは平然としているんだ?
「人を殺してはいけない、それはわかっているね?」
人間ではないことを証明するような、冷静すぎるアルカラッドに、アンナが強い視線を向けた。火花が散りそうな、ギラギラする光があった。攻撃的な、射殺すような瞳。
「奴らは死んで当然、と私は考えたし、奴らだって最後にはそれに気づいたでしょう」
「誰かが悲しむことを、考えたか?」
「だから、当然の事態なの。奴らは奪った。だから奪われた。対価でしょ?」
珍しいことに、アルカラッドがため息を吐いた。
「奪われることを、許容できないのか? アンナ。何かを奪われたら、きみはその相手から何もかもを奪うのか? そんなことを繰り返していて、どこへたどり着く?」
「アルカラッド、あんたは奴らを野放しにして、放っておけって言うの?」
一歩、アンナが踏み出す。血の匂いが濃くなる。飛び散った飛沫が、床の石に細かな斑点をつけた。
「人間は龍ほど超越していないわ。大事なものを壊され、奪われれば、相手を破壊して、奪いたいと思うものよ。別に全く関係ない何かに手を出したわけじゃない。加害者に被害者が仕返しをした。それが嫌なら、加害者にならなければいい。違う?」
「私が龍であり、超越しているとして、オリフはきみとは違う選択をした」
いきなり話を向けられ、僕は床の血飛沫を見ていた視線を持ち上げた。
アンナと視線がぶつかった。アンナの顔に、悲しみが宿るのがはっきりと見えた。
「オリフ、あんたは悔しくないの?」
「悔しかったよ。そう……、悔しかった。でももう、過去だよ」
「過去? ついこの前よ! 忘れてはいないでしょ!」
「忘れてはいない。忘れることはできない。でも……」
僕はそれを言うのには、勇気が必要だった。腹に力を込めて、どうにか、吐き出した。
「でも、誰も傷つかなかった。僕もアンナも、実は何も奪われていない」
血で濡れているアンナの顔が、真っ青になった。そして唇を噛み締めている。強すぎるほどに。
「アンナ、このことはもう、忘れるしかない」
必死の思いで僕は言葉を続けた。
「もう終わりなんだ。アンナが人を殺したことを、僕は許すしかない。何人が亡くなったのか、それで何人が悲しみ、怒りを持つかは、僕にはわからない。その悲しみと怒りを、僕も一緒に背負うよ」
「……必要ないわ」
軋るようにぎこちない声でそう言って、アンナがこちらへやってきた。殺されるかと思うほど、狂気じみた視線を僕に、そしてアルカラッドに向けて、アンナは外へ出て行ってしまった。血を洗い流しに行くんだろう。
「予測していましたか?」
動かないアルカラッドに、僕は言葉を向けた。
「アンナが復讐に走ることを、予想していたんじゃないですか? それを知っていて、彼女にポトールへの魔術通路を用意し続けた。違いますか?」
なかなかアルカラッドは答えなかった。答えてください、と促すと、わずかにアルカラッドは顔を伏せた。
「過信していた、と言ったら、信じるかい?」
「何を過信したんですか?」
アンナか、それともアルカラッド自身か。
そう思って視線を送り続ける僕に、アルカラッドは少し予想と違うことを言った。
「人間というもの、その性質を、信じていた」
「人間……?」
「そう。人間は傷つけ合う存在、憎み合い、奪い合う存在だとは知っていた。はるか昔から人を見てきたから、知っていた。しかしきみやアンナを見ると、そんな今までの経験や認識が少しずつ変わってきた。人間には正しいものを求める心、助け合い、認め合う力があると、そう思った。それは、間違いだったか?」
やっとアルカラッドがこちらを見る。
どこかで見た表情だと思った。それはさっき、アンナが見せた表情に似ている。
大事なものに裏切られた、悲しそうな顔。
「答えてくれ、オリフ。私は間違ったか?」
龍がこんな顔をするのか。
龍にも心があり、実はそれは、人間の心と変わらないのか?
同じように時間の中で生きる、生あるものである存在。強いか弱いか、長いか短いか、それだけの差があるだけで、一瞬を切り取れば、同じなのか。
アルカラッドの表情が一度、無表情に変わる。
「私も、私を許すしかないな」
そうひとりごちて、アルカラッドが背を向ける。そのまま自分の部屋へ戻るようだ。僕はしばらくそこに立って、また床に落ちている血のまだらを見ていた。
アンナが人を殺すなんて。
僕もそれには無関係じゃない。僕にも原因の一因がある。
アンナを支えなくちゃ。アンナを、助けないと。
彼女が今も突き進んでいる、闇の中から彼女を引っ張り上げないと。
僕は急いで外へ飛び出した。星空が広がっている。井戸のある方へ走る。月明かりの中、アンナが水を浴びているのが影になって見えた。
かすかに血の匂いがする。
それを完全に洗い流すために、アンナが水を頭からかぶり、水が彼女の体で、地面で弾ける音が夜の静けさを乱している。
僕は動けなかった。
もうアンナは、元の場所には戻れない。そんな思いが急に確固たる形を持って、心に浮かんだ。どれだけ水をかぶっても、血は洗い落とせない。
彼女はずっと血まみれなのだ。
どれくらいをそこにいたか、アンナがやってくるのを前にして、一気に時間が元の流れを取り戻した。髪の毛を拭いながら、アンナが無表情にこちらを見た。足は止めない。
「私は後悔していない」すれ違う時、彼女はらしくない平板な声で言った。「正しいことをしたの」
どう答えることもできず、彼女の背中を見送った僕の周りを、闇が走り抜けるように一度、強い風が吹いた。
もう血の匂いはしないのに、何かが粘り着いているような気がした。
(続く)
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