第19話
◆
頭を冷やしたい、というとアルカラッドは私の要求を快諾した。
もっとも、その時には私とオリフとアルカラッドはどこかすれ違いはじめていたけど。
私が魔術通路で結んでもらった先は島に移動する前に利用していた、古代文明の石造りの神殿だ。行ってみると、前と全く変わらない光景がそこにあった。懐かしさと安堵のようなものがあった。
中を全部、確認して、それから外を確認した。地面の隆起はなだらかに変わっている。
私たちがここを放棄したきっかけの猟師たちの集団は、あの時の私とオリフに恐れをなしたのか、中に入らなかったようだ。通路のいくつかにうっすらと足跡があった。やはり中までは続いていなくて、引き返したのが足跡でわかる。
とりあえずは安心して、私は一人きりで生活を始めた。
以前の自分を取り戻すような、植物の採集と動物の狩り、そして剣術と魔術の稽古。
全てを一人でやらないといけないのが、前とは違う。
私は孤独だった。その孤独な心の奥で、今も怒りと憎しみが消えないまま、残っているのがよくわかった。いもしない相手に剣を振るい、想像の相手に魔術を行使しても消えることはない。
悩んでいるのとは違う。自分の思いが解放されないこと、自分が抑圧されていることが、その理由かもしれない。
あの盗賊たちは私たちを攻撃した。本性を解き放って、力を解き放った。
だから死んだ。だから私に殺された。
もう皆殺しにされていても、私の中には、盗賊や悪党に対する憎悪が消えることがなく残っている。
おかしな話だが、私が我慢しているのに、私が耐えているのに、他の連中が自由に振舞うのは、公平じゃない。そんなことを思っている自分がいる。
まさか世界中を巡って、気に食わない連中を皆殺しにするわけにはいかない。粛清できる数の相手ではない。手段はあっても、どれだけの首をはねても終わらないだろう。
考え事が全ての集中を奪う頃、私は稽古を終わりにして神殿の中にある倉庫で、大昔の武器を整備することにしている。さっきまでとは別種の集中がやってきて、ボロボロで見る影もない武器が、日を追う毎に輝きを取り戻し、冴え冴えとしてくるのは、不思議な満足感があった。
夜遅くに眠り、朝も遅く起きる。そうしてまた同じ一日を繰り返す。
「元気?」
ふらっとオリフがやってきた時、私は剣術の稽古をしていた。
「普通だよ」
型を繰り返しながら、私は答える。呼吸が少し乱れている。
季節は真夏で、動くとすぐに汗ばむ。森の中なので風もあまり吹かないし、変に熱がこもっている気がする。
もう何も言わずにオリフは神殿の壁に寄りかかって、こちらを見ている。私は視界に彼が入るたびに、その姿に注目した。
私は今まで、全く気付いていなかったけど、オリフは背が伸びている。前は私と同じくらいだったのが、すらっと細身になり、手足がひょろっと長い。
もっと鍛えればまた別の印象なんだろうけど、今はまるで学者だ。
私自身もきっと、時間を経て変わってきているんだろう。
こめかみから汗が伝い、顎へ流れ、落ちる。
横薙ぎに剣を振るい、ピタリと止めると汗だけが体を離れ、キラキラと光った。
これくらいだろう。頭の中に、必死に命乞いする盗賊の男の顔が浮かんだ。
許すわけがないのに、許しを請う、その愚かさ。
私の刃がその命を奪う。当然だ。何も間違っていない。
視界に赤い幕が吹き上がり、全てを染める。
目を閉じると、消えていた。
「汗を流してくるから」
そうオリフに断って、私は川へ行って汗を流した。何度、水で洗っても、手がぬるぬるとする感覚が今も消えないのは、誰にも言っていない。それに、肉を切る手応えや、血の匂い、断末魔、悲鳴が消えていく響き、全てが消えない。
きっと死ぬまで、消えないだろうな。
後悔はない。不快感はあっても、いずれは慣れるだろう。
私は正しかった。正義の側なのだから。
タオルを頭に巻いて神殿に戻ると、オリフの姿はない。帰ったのか、とがっかりして神殿に入ると、何かが焼ける音がした。どうやら帰ってはいないらしい。
食堂へ行き、そこから調理場へ。
「そろそろできるよ」
こちらを肩越しに振り向いてオリフが嬉しそうに言う。
「牛の肉が手に入ったから、今日はここへ来たんだよ」
「牛? 高かったんじゃない?」
ポトールの街の商売で手に入れたちょっとした財産は、私とオリフで半分ずつ、分け合っていた。私はこんなところで生活しているから、銭が減ることがない。オリフはどこともしれない村で、今も店をやっているんだろう。
「前に指輪を見せたよね」
「覚えているわよ。商人の結婚に合わせて作っていた奴でしょ? 完成したの? 結婚式はどうだった?」
「指輪は気に入ってもらえたよ。結婚式も盛大でね、招待されたけど、服がないって言って断ったら、礼として牛の肉をくれた。まさに今日だよ。向こうは昼過ぎだったけど、こっちは夕方で、少し時差があるね」
平然とそんなことを言う。魔術通路はあまりに隔たった距離を結んでいるのだ。しかしそう、オリフはポトールに本当に決着をつけたんだ。
彼の料理の様子を眺めると、いろいろと意見を言いたくなるけど、我慢した。オリフの料理も食べてみたいし、料理は意外に細部も大事だ。オリフの感覚を信頼するとしよう。
ただ牛肉を焼いて、それから何かの調味料を混ぜ合わせた汁で煮込んだものが、切り分けられて皿に並んだ。なんか、肉がもったいないけど、美味しそうではある。私が料理する分を残してくれれば良かったのになぁ。
食堂で、私たちは卓を囲んだ。私が保存していた野菜も出した。肉だけっていうのは、何か違う。
食事をしながらオリフは最近の仕事について話していた。私は相槌を打って、聞き手に徹する。オリフは珍しく、長い間、しゃべり続けた。
牛肉が私の皿からもオリフの皿からも消えてから、やっと彼は本題を口にした。
「ポトールのことを調べたよ」
あまり私の心には響かない言葉だった。すでに過去の街、私の中では終わった場所だ。二度と関わろうとは思えない。行きたくもない。
「盗賊の疑いのあるものが、十一人、殺されていた。警察は捜査したけど、悪党同士の抗争だろうというところで手を打っている。アンナがやったことは、闇の中に消えたってことだよ。もう誰も気にしていないし、忘れていくと思う」
「そんなことを言いに来たわけ? お土産を持って?」
眉をハの字にしてオリフがこちらを見る。
「お土産が手に入ったから、ここに来たんだ。さすがに手ぶらで、何の理由もなくここに来るのは、僕にはできないよ。実は今も、少し怖いんだ」
「怖い? もしかして、私が?」
「うーん、アンナが怖いというより、アンナを前にして自分がどうなるのかが、怖いかもね」
「訳のわからないことを……」
私たちはどちらからともなく、クスクスと笑い合った。きっと意味はない笑いだった。
それから何でもない世間話、私の森での生活の、全く変化のない日常を話してから、それを嬉しそうに聞いて、オリフはさりげなく席から立った。私も立って、一緒に後片付けをした。
日が暮れてから、オリフは去っていった。
私は一人で、外に出て剣を抜いた。
夜に沈む森のその木立の向こうを睨む。
何かが迫ってくる。見えない、巨大な闇が、押し寄せてくる。
渾身の力で剣を振った。
闇は、切れなかった。
(続く)
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