第6話

     ◆


 アルカラッドが指差す先を見ると、そこには何かが浮いていた。そう、空中だ。

 今でも大陸のそこここに存在する龍の眷属の生き残り、魔獣の類ではない。太陽の光を反射し、不規則に光る。

 人造物だ。

「なんです、あれは」

 アンナが太陽の光を遮るように目の上に手で庇を作り、そちらを見ている。先ほどとは打って変わって、好奇心が覗いている。

「科学共和国で開発が進んでいる、飛行船という奴だ。ガスの入った袋で宙に浮かび、プロペラという羽を使って空を進む」

「ものすごく大きいですけど」

「古代の龍よりは小さいさ」

 スケールが違いすぎて、実際に目で見ても現実とは思えない。距離は、まだ何キロも離れているのに、それでも巨大さがわかる。

「こんなところに何をしに来たのですか?」

 僕はそう訊ねた後、そう、ここが正確にどこなのか、僕には分かっていないという事実に気づいた。

「始まるよ」

 そう言われて、視線を飛行船に戻す。

 何かを落とし始めた、と思ったら森林の中で光が瞬き、火炎が吹き上がった。木々が燃え上がり、飛行船はさらに何かを落とす。何かじゃない、火薬と燃料でできた破壊兵器、爆弾などと呼ばれるものだ。

「森が……」

 アンナが驚きを隠せず、思わずといったように呟く。僕も言葉を失っていた。

 森が燃え上がっていく。炎は弱まることなく、より強く、より外へ広がっていく。こうなると、飛行船のゆっくりとした動きは、不自然なほど遅い。破壊の激しさが際立っていた。

「少し時間を進めよう」

 さっとアルカラッドが手を振ると、飛行船が消え去り、地上の炎も消えた。森林の広範囲が真っ黒く染まり、ぽっかりと穴が空いているようにも見えた。

「こういう時代もある」

 僕たちが見ている前で、その真っ黒い穴から何かが立ち上がっていく。

 最初は木が生えてきたと思った。草原になり、木立になりといったように。でもすぐに違うとわかった。そこから生える木々は絡まり合い、一つになる。無数の木々が一つの巨大な木を形成し、伸びていく。

「飛行船や爆弾が科学共和国の産物なら、あれは魔術王国の産物だ」

 グロテスクな光景を前にしても、アルカラッドは冷静だ。

 すでに木々の集合体は遥かな高みへ達し、巨大な枝葉を広げるが、その枝の一本が普通の樹木の一本よりも太いとは、容易に受け入れがたい光景だ。

「あれは、なんですか?」

 どうにかといった様子でアンナが訊ねるのに、アルカラッドが淡々と答える。

「魔術が蘇らせた、原初の世界に生えていたとされる樹木さ。我々、龍が生まれた頃、世界はより深く、より巨大な森林に覆われ、そこでは今とは比べ物にならない多種多様な生物が生きていた。懐かしい時代だね」

「何年前ですか?」

「年などという人間の暦とは無縁の、はるか古代と言っておこう。人間はさて、生まれていたか」

「それで……」

 僕は言いかけて、唾を飲み込み、どうにか言葉を発した。

「ここは何年後ですか?」

 アンナが僕を一瞥し、それからアルカラッドを見た。僕も彼を見た。

 全てを知る龍は平然と二人の人間の視線を受け止めている。

「これは何年後でもないよ。飛行船が地上を焼く可能性は、すでにある。それも森林などという場所ではなく、人が生きている都市を焼き払う可能性だ。そして魔術が世界を激変させる可能性も、すでにこの世界にはある。わかるかな? この世界には全ての可能性がある」

「それを防げ、と言いたいのですか?」

 直感が生み出した問いかけに、龍は嬉しそうに笑っている。

「人間に、それも子供にそんな大役は務まらないさ。誰にも防げない。この程度の悲劇は歴史の中で繰り返されてきた。龍が地上を焼き、龍が世界を改変した。次にはそれを人間が行う。つまり龍と同じ道を人間も辿る。宿命か、それとも、原則か」

「あなたたちが、無責任だからでしょう」

 急にアンナが言った。強い口調だった。一歩、アルカラッドに踏み出す。

「龍なら、まだマシな可能性があった。なんで人間に全てを委ねたの?」

「龍を高く買ってくれることは嬉しく思う」

 そう言い返されて、アンナはわずかに視線を逸らした。アルカラッドの表情に少し、影がさしたのは、僕の見間違いか。

「龍は人間よりは確かに多くを知っている。長い時間を生き、強い力を行使できる。それでも龍だってこの世界の一部だ。神と比べれば、ほんの少しの力しか持っていない。そして長い時間をかけて、数を減らした。人龍大戦で、それが決定的になった、とも言えるけれどね」

「こんな、こんなことをしていては」

 僕はもう一度、そびえ立っている巨大な木を見た。

「世界が、終わってしまいます」

「世界は終わらないよ」

 アルカラッドの声は、素っ気ないほど簡単な、まるで天気の話をするような口調だった。

「世界が終わるわけじゃない。人間がいなくなる。そういうことさ。龍がいなくなったように、ということもできる」

「では、何が残るのですか?」

「何かが残るが、それを人間が知ることができるかは、我々にはわからない。龍が世界を人間に委ねた後、人間の世界を龍がこうして観察するように、人間が何かに世界を託し、それを観察できるかは、興味をそそられる対象ではあるけど」

 僕もアンナも何も言えずに、ただ今もまだ増殖を続ける巨大樹を見ていた。根と言っていいのか、巨大な何かが地面を取り込んで、周囲の全てを飲み込んでいく。木の一番高いところは、すでに雲よりも高い。太陽に影が生まれ、巨大な薄暗がりが地面を覆い始める。

「帰るとしよう」

 アルカラッドがそう言って、さっと腕を振る。

 全身が捻れ、平衡感覚が失われる。

 アンナも同じ事態に見舞われたようで、片膝をついている。僕はほとんど倒れ込んでいた。

 周囲は見慣れた石造りの壁、古代文明の神殿の中に戻っていた。

「時間がだいぶずれてしまって、すまないね。もう夕方だから、六時間ほどの時差がある。昼食が夕食になってしまった」

 まだ体の中に違和感がある。これは、世界と肉体の時間差の不快感か。

 初めてのことではないけれど、慣れることはない。慣れるどころか、きっと神も想定していない負荷だろう。龍には与えられても、人間には与えられなかった機能。

 アンナと僕でどうにか食事を取り、僕はそれからアルカラッドの部屋へ行った。

「きみは世界が終わるとして、どうするかな」

 古文書を読んでいる僕に、前触れもなくアルカラッドが声をかけてきた。彼の方を見ると、笑みはなく、真面目な顔でこちらを見ている。部屋を照らす暖色の明かりが、かすかに揺れる。

「世界は終わらない、と話されていたかと思いますが」

「もしもの話だよ。世界を救えるとして、救うかな?」

「僕は、その……」

 世界を救うだろうけど、それは、でも、何を救うんだろう?

 人間だろうか。

 この発想はつまり、人龍大戦における青龍の決断と、同じではないのか。

「考えておいておくれ」

 アルカラッドのその言葉に、どこか助けられたような気持ちになりながら、僕は無言で頷いた。

 古文書に触れる手が、少し震えた。



(続く)

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