第38話

     ◆


 私はそれから、ホーナーと旅をした。

 魔術王国と科学共和国の国境地帯に近い、古代文明の神殿にも行ってみた。人気はなく、静かに木々の中に沈むようにその神殿はあった。

 人が近づいた痕跡すらなく、中に入っても、人が生きていた証拠もない。

 調理場だった場所はいつの間にか苔と蔦に覆われている。食堂の部屋は崩落して、入れなかった。屋上のような場所へ上がると、何かのボロボロの布の切れ端が隅に残っているだけだ。そう、そこには人の痕跡が見える。

 帰りがけに、小川がある方へ行ったが、小川はなくなっていて、川の痕跡の溝のようなものがある。少し先へ進み、小さな滝のあった場所にも行ったが、くぼみがあるだけで、水は気配もない。

「何か探している?」

 ついて来ていたホーナーに、昔のことを思い出していてね、と答えると、彼はキョトンとしている。それもそうだろう。遺跡はもちろん、川の跡も、どちらも何十年も過去の光景の中でのみ、確かに意味を持つのだ。

 どうやら私が生きてきた世界と、私自身の間には極端な乖離があるらしい。

 でもそれは、気にしないことにした。

 私が生きていることを望んだ人がいる。一緒に育った青年。そして私たちを見守った龍。

 私たちはそれから科学共和国に進み、都市のひとつで義手の製造を行っている職人を訪ねた。職人は私たちを胡散臭そうに見たけど、銭を見ると態度が変わった。どこの国でも街でも見られる光景だ。

 それから半年ほどをそこで過ごし、私は新しい義手を手に入れた。魔力がなくても機械的に機能する義手で、手術も繰り返し必要だった。ただ魔術王国と科学共和国の医療技術は全く別だったので、その点は興味深かった。

 大雑把に言えば、魔術共和国の手術は、魔術を組み込んでいるために、やや強引だ。でも科学共和国の手術は、複数の薬物と発達した医療器具、確かな技術が重要視される。だから丁寧で、医者の技能も高ければ、意識も高い。無理をすることがない。

 春先に、私とホーナーはまた旅に出て、魔術王国へ戻った。

 科学共和国にいた時、つまり私が半年をかけて義手に慣れているうちに、ホーナーは魔術の知識を科学的に、論理的に組み立てる学者と交流して、彼が使う魔術王国流の魔術を見せる代わりに、科学共和国の研究者が理論で組み立てた魔術を教えてもらったらしい。

 ホーナーはその新しい形の魔術を、魔術王国の研究者にぶつける、と息巻いている。

 街道を進むうちに、小さな村に差し掛かった。宿に入ろうとして、その暖簾が奇妙な竹細工でできているのに気づいた。細かな文様が彫り込まれた竹の玉が紐で繋がれているのだ。触れると涼しげな音がする。

 その時は何かの勘違いだろうと考えた。考えようとした。でも結局、部屋を手配するように店の者に頼む時、質問してしまった。

「あの暖簾は、どちらで?」

 店の男は不思議そうな顔で私を見て、古いものですから、と答えた。

「ずっと使っていて、知っているものは少ないですが、何かお気付きですか?」

「いえ、少し、見せていただいても?」

「ええ、それは。誰か、何か知っているか確認して参ります」

 私は暖簾のところへ戻り、竹の玉に触れてみた。細かな文様には独特の規則があった。一つを作るのにも相当な苦労があるだろう。それを全部で数十という数で用意し、繋げてある。長い時間で作るのは間違いない。

 お客様、という声に振り返ると先ほどの男が、初老の男性を伴っている。その年上の方の男性が静かな口調で言った。

「その暖簾は、ミーリャという職人の作品でございます」

 ちょっとがっかりした。私の知っている名前ではない。

「この村にいるのですか?」

 それでも訊ねると、男性は丁寧に道を教えてくれた。すぐそばなのだ。

 私は礼を言って、ホーナーにも断ってひとりで外へ出た。道を進んでも、それらしい店はない。勘違いだろうか、と引き返したところで、先ほどは見過ごした看板に気づいた。看板というより、表札のようなものが建物に張りついている。

 こちらは普通の布の暖簾をくぐって、店に入る。

 狭い店内に、質素な竹細工が並んでいる。人の気配はない。

「ごめんください」

 声をかけると、奥で足音がして、ドアが開いて女性が出てきた。彼女がミーリャだろう。

 年齢は若ければ辛うじて四十代、おそらくは五十代だろう。

「何かお求めですか?」

 柔らかな物腰を感じさせる声だ。

「以前、どこかで似たような細工を見ました。それで、こちらをたまたま知って来てみたんです」

 そうですか、と女性は笑う。

「どなたかに師事されたのですか?」

 ズバリと切り込んでみるけど、拍子抜けすることに女性は首を横に振った。

「本当は師事したい方はいたのですが、最後まで弟子にはさせてもらえませんでした。その方は一人も弟子を取らなかったようです。かなり前のことになりますが。この店も私がその方から引き継ぎました」

「へぇ」

 名前を聞くべきだろうか。きっと聞くべきだろう。

 だってこの細工のやり方は、どう見ても彼のやり方を元にしている。

 私は無言のまま、店内の棚を眺めた。どれもよくできている。彼よりも良い作品が多いじゃないか。

 弟子じゃないって言っているけど、その弟子に取らなかった人に追い越された気分は、どんなものか、訊ねてみたい。そんなことを思った。

 私は竹細工の中から、彫刻が施されたケースを買った。何か、小物を入れれば良い、というあまりやる気のない選択だけど、この店の作品はどうしても、手元に一つは置いておきたかった。

 銭を手渡した時、女性が急に言った。

「どちらの出身の方ですか?」

 急な質問で、答えに迷った。答えられずにいる私に、女性が微笑む。

「発音が、どこか、懐かしく感じました。また機会があれば、ご来店ください」

 頭を下げる女性は、その姿勢で動かなくなった。

 店を出て、発音ということを考えた。やっぱり私と同じ場所で育った誰かが、彼女の師匠筋なんだ。

 やっぱり、彼なんだ。

 こうして世界のどこかにちゃんと痕跡を残しているんだから、隅に置けないというか、抜かりないというか。

 きっと私も何かの形で、この世界にかすかな痕跡を残しているんだろうけど、どんな風に残っているのやら。

 宿が見えてくると、店先にホーナーが立っている。

「今、この村で一番うまいものを出す店を教えてもらったんです」

 駆け寄ってきてそう言うと、こっちです、とホーナーが先導を始める。

 着いた先の店は、立ち食いの何かの店で、染め抜かれた暖簾からは汁物を出すことしかうかがえない。

「ここが一番美味い物を出す店?」

 おかしいなぁ、とホーナーが首をかしげるが、まぁ、ここだって悪くはない。

 引き止められるのも聞かずに、私はさっさと店に入った。客は数人で、カウンターしかない。その一角に場所を確保して、カウンターの向こうにいる今にも死ぬんじゃないかと思ってしまう、皺だらけの顔をした高齢の老人に注文を通す。注文と言っても、一杯、としか言えない。

 聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、「あいよ」と返事があった。

 大丈夫かなぁ、と隣でホーナーが呟くのが聞こえた。



(続く)

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