第7話 ②

「ごまかすな」毅然とした口調だった。「周りの人たちの様子がおかしいのも、佐久本さんが肉や魚が好きなのも、どちらも事実というわけだ。そのうえ、貴也が病院に電話をしたつもりでいるだけだったら、おれの不安は現実のものとなるんだぞ」

「ちょっと待ってよ」

 もう耳を塞ぎたかった。

 しかし、父はおれに向かって身を乗り出す。

「普通ではないんだよ。思えば、さゆりは最初から情熱的だったし、由佳はやけに人懐っこかった。わかるよな? 佐久本さんは、どうなんだ?」

「佳乃さんは……」

 おれの唇が震えた。

 父は後ろの座席に手を伸ばし、ハンドバッグを取った。その中からスマートフォンを取り出す。

「佐久本さんとさゆりが同一人物だとすれば、貴也は今、危険な状況に置かれていることになる」

 スマートフォンの画面を操作しながら、父は言った。

「同一人物だなんて、ばかげている!」

 たまらず声を荒らげてしまった。

「これを見ろ。さゆりと由佳だ」

 スマートフォンの画面がおれの目の前に差し出された。画像が表示されている。ブラウスとスカートとの組み合わせは二十代とおぼしき女で、ロングTシャツとジーンズという組み合わせは十歳前後の少女だ。少女は女の腰にしがみついている。二人とも髪型はショートボブであり、どちらも笑みを浮かべていた。

 父は画像を拡大した。

 思わず、おれは目を瞠った。

 髪型こそ違えど、ブラウス姿のその女は佳乃と瓜二つだった。いや、画像の女のほうが、おれの知っている佳乃よりわずかにふっくらとしている。

「同じとか似ているって、本当はこのことだったの?」

「このことだけじゃない。声や雰囲気も含めて、全部だよ」

 父は淡々と答えた。

「なら、この写真、いつ撮ったの?」

「一カ月前だ」

 父はそう答えるが、おれは指摘する。

「そんな最近? 佳乃さんはもうちょっとやせているし、髪の長さだって違うよ」

 うまく指摘できたと思ったが、父は臆する様子もなくおれを見ている。

「たかだか一カ月では、まったくやせないのか?」

「そりゃあ、体型なんて、この程度なら変わることがあるかもしれないけど、たった一カ月で髪があんなに伸びるわけがないじゃないか。近くで見ればわかるけど、佳乃さんはカツラじゃないからね」

「カツラと来たか」

 父は失笑した。

 笑っている場合ではない。おれは憤慨する。

「だいたいさ、佳乃さんと三島さんが同一人物だとしたら、川野と東京、っていう百キロ以上も離れた二カ所に、一人の人物が同時に存在していたことになるじゃないか」

「そうかもしれないし、よく似た姉妹……双子かもしれないよな。あるいは……」

 スマートフォンの画面をおれに向けたまま、父は言いさした。

「あるいは……って、なんだよ?」

 おれは父を急かした。

「佐久本さんがここに住み始めたのは、つい最近なのかもしれない。おれがさゆりと連絡が取れなくなった頃、とかな」

 そう言って父はスマートフォンを引いた。

「佳乃さんは一年前に引っ越してきたんだ。ばあちゃんも近所の人も、それを証言してくれるよ」

「みんな、そんなつもりにさせられているのかもしれない」

 スマートフォンをハンドバッグに入れつつ、父は言った。

「ばかな」おれはかぶりを振った。「だって、引っ越しの挨拶品についていたのし紙だって、ちゃんとばあちゃんの家に残っているんだよ」

「挨拶品は一年前ではなく数週間前にもらった、とも考えられる。というより、そもそも、挨拶品なんてもらわなかったのかもしれない」

「おれはのし紙をちゃんと見たんだよ」

 強く断言した。

 しかし、父は意地悪な笑みを浮かべている。

「貴也はのし紙を見たつもりになっていた、とかな」

「なんでもありじゃないか」

 おれは反駁し、ハンドバッグを後部座席に置く父を睨んだ。佐久本佳乃と三島さゆりが同一人物だとすれば、佳乃はおれの父をも愛したことになる。受け入れられるはずがない。

「妖怪なら、なんでもありだろう」父は正面に向き直った。「体型も髪型も自在に変えられるさ」

「無茶苦茶だよ」

「遅かれ早かれわかるだろうが」強い口調で父は言った。「わかったときでは、もう手遅れなんだよ」

「手遅れ?」

「食われているときだからな」

「でもさ、父さんは食われなかったじゃないか。何カ月も付き合っているのにさ」

「獲物を切り替えたのかもな」

「どういうこと?」

 しかし父はその問いに答えず、ワンボックス車を前進させた。

 トウモロコシ畑を抜けると片側一車線の県道に突き当たった。ワンボックス車はその信号のない丁字路を右折して県道に乗り、西に向かって加速する。

 民家は点在するだけで、すれ違う車はまばらだった。閑散とした雰囲気がおれの不安を煽る。

 山里の風景の中をしばらく走り、信号のない十字路でワンボックス車は左折した。そして、わずかに蛇行する急な上り坂を加速する。山林の中の長すぎるくらいの坂道を走りきって道は平坦となり、百メートルほど進んで視界が開けた。遠くをいくつもの山々に囲まれているこの一帯も、民家は田畑の間に点在するだけだ。

 右前方に緩やかな傾斜の稜線を左右に広げた山が見えた。おそらく、山林に覆われたそれこそが高三土山なのだろう。優美な景観だが、手前に広がる山林がその姿をすぐに覆い隠してしまう。

 集落の中の小さな十字路でワンボックス車は県道から脇道へと右折した。路面は舗装されているが県道よりわずかに狭く、センターラインはない。左右を杉林に挟まれており、単調な景色が続く。どうやら、左の杉林の斜面が高三土山の裾らしい。

 ふと思い立ち、父の顔を見た。

「スマホ、ちょっと借りてもいい?」

「いいけど、どうしたんだ?」

「ネットで調べたいことがあって」

「そうか。勝手に取ってくれ」

「ありがとう」

 礼を伝え、後部座席のハンドバッグを取った。

 膝に乗せたハンドバッグからスマートフォンを取り出し、インターネットに繫ぐ。検索キーワードは「妖怪」と「蜘蛛」だ。一番上にヒットしたサイトを開くと興味深い記事が掲載されていた。

 それは「絡新婦じょろうぐも」という名の妖怪だった。蜘蛛の妖怪である。記事を隅々まで読んだが、両手がわずかに震えてしまった。もっとも、父はおれの動揺に気づかなかったようである。

 記事を読み終えたおれは、内容を父に告げず、黙してスマートフォンをハンドバッグに入れた。

「もういいのか?」

 父は横目で尋ねた。

「うん」

 頷きつつ、ハンドバッグを後部座席に置いた。

 インターネットの記事など読まなければよかった、と後悔してしまう。

 平静を装うのがつらかった。

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