第5話 ④

 太陽がまぶしかった。全身がじりじりと焼かれている。

 青い空があった。夏の空だ。

 滝の音が聞こえる。

 おれは仰向けになっていた。背中に砂の感触がある。

 おもむろに半身を起こし、あぐらをかいた。

 頭痛がした。耳鳴りもひどい。

 リュックを背負っている子供が四人に、小さなポシェットを袈裟懸けにしている子供が一人――そう、あの五人だ。カズマをリーダー格とする五人の子供が、おれを取り囲んでしゃがんでいた。

 水際に近い砂の上だった。大きくて平たい石がおれのすぐ横にある。

 自分の体を見ると、トランクスだけ、そんな姿だった。全裸だったような気がするのだが――。

 カズマが心細そうにおれの顔を覗き込んだ。

「タカ兄ちゃん、大丈夫か?」

「ああ」

 答えたおれは、大きく息を吸った。そして、ゆっくりと吐く。気持ちが落ち着き、頭痛と耳鳴りが少しずつ引いていった。

 水を飲んだことを思い出した。しかし胸は、痛くも苦しくもない。

 腑に落ちず、右手で胸をさすろうとして、その手に握っているものに気づいた。黒い缶である。

 そう、おれは缶を滝壺で拾ったのだ。

 缶は水中で持つより重かった。というより、中身が詰まっている感じである。

 おれは缶をまじまじと眺めた。本体とふたとに赤い文字がプリントされているが、かすれているため、はっきりとは読めない。かろうじて「ドロップス」という文字だけが読み取れた。缶はすでに乾いている。というより、おれの体も乾いていた。

「その缶、ずっと握ったままだったよ」

 キヨシが言った。

「そうか」

 おぼれかかったが、この缶を引き上げることに成功したのだ。

「それを握り締めて岸に上がってきたんだけど、すぐに倒れちゃったんだ」

 モリオがそう解説してくれたところで、おれは一人一人の顔を見た。

「ところでさ、おれはすっぽんぽんだったよな? このトランクスは誰が穿かせてくれたんだ?」

「おれだよ」カズマが答えた。「エリが恥ずかしがっちゃってさ、穿かせてあげなよ、ってうるさかったんだ」

「あたし、女の子だからね」

 エリがカズマを睨んだ。

「だったら」モリオが笑った。「なおさら男の体に興味があるんじゃねーの? ふりちんで寝かせておけばよかったかもね。残念だったなあ」

「ばかじゃん。それに、ナナちゃんの教育にも悪いでしょっ!」

 赤面したエリがそっぽを向いた。

「そうそう、ナナちゃんの性教育はまだ早いよ」

 キヨシが頷くと、ナナが小首を傾げた。

「せいきょう、ってなあに?」

「キヨシが言っただろう」カズマがナナを見た。「ナナにはまだ早いってさ」

「じゃあ」ナナは小首を傾げたままだ。「カズくんがお兄ちゃんのパンツでお兄ちゃんのおちんちんの砂をきれいに拭いてあげたのが、せいきょうなの?」

 問われたカズマは、げんなりとした表情を浮かべる。

「わかんねーよ。エリに訊いてくれ」

 などと振られたエリは、うな垂れ、無言でかぶりを振った。

 しかし、羞恥の極みに追い込まれているのは、間違いなくおれのほうだ。

 モリオがおれを見ながら笑う。

「タカ兄ちゃんはうつぶせに倒れたんだよ。だから、ちんちんが砂だらけに――」

「黙れ」

 そう一喝したのはエリだ。

「まあまあ」おれは自分を落ち着かせながら言った。「それより、この缶の中身を確認しよう」

 子供たちの前に突き出した缶を、おれは振ってみた。

 ずっしりとした手応えを受けるとともに、こもった小さな音が聞こえた。固い何かが缶の内側に当たっているらしい。

「何か入っている」

 カズマが缶を見つめながら言った。

 ほかの四人も期待に胸を膨らませているのか、おれの右手の缶から目を離さない。

 そんな子供たちに取り囲まれていれば、緊張もするだろう。平静を装うためにも、おれは笑顔を作った。

「さあて、何が入っているのかな」

 左手でふたを外そうとし、ふと、自分の右足首を見た。

 そう、滝壺で缶を手にしたおれは、細くて強靱な糸に右足首を引かれたのだ。しかし、極細の糸にあれほど強く締めつけられた割りには、なんの痕跡もなく、痛みも残っていない。

「どうしたの?」

 不審そうな色でエリが尋ねてきた。

 頭痛は完全に鎮まっていた。感覚が冴えてくるとともに、子供たちに問うべきことがまだ残っていた、と悟る。

「そういえば、おれが二度目に潜ったとき、みんなで騒いでいたよな?」

 おれが尋ねると、子供たちの顔に動揺が表れた。ナナだけが、きょとんとしている。

「何かが水に落ちたような気がするんだけど、やっぱりそうだったのか?」

 おれは重ねて尋ねた。

 かぶりを振ったのはカズマである。

「別に何も落ちなかったよ」

「なら、どうして騒いでいたんだよ?」

 おれは問い詰めた。

「騒いでいたというより」キヨシが口を開いたが、彼の瞳は落ち着きを失っている。「タカ兄ちゃんを応援していたんだよ」

「そうかなあ」おれは得心がいかない。「それに、滝の裏側の奥に何かがいたような気がしたんだ」

 訴えながら、おれは左手で右足首にふれてみた。やはり、痛みもしびれもない。

「普通じゃない何かがいたはずなんだけどな」

 訝ってみるが、証拠は何もないのだ。

「なら、どうしておれは、おぼれかかったんだろう? なあ、カズマ」

 強引にカズマに振ってみた。

「答えは簡単だよ」いたずらっぽい笑みを浮かべ、カズマは答える。「タカ兄ちゃんは、おれたちが期待していたほどは、泳ぎがうまくなかった……っていうことじゃん」

「はいはい。ご期待に添えず、申し訳ありませんでした」

 死にそうな目に遭った本人としては落胆せざるをえないが、とにかく、今回も幻覚だったわけだ。

「大人げないんだあ」キヨシがおれを蔑視した。「いじけているし」

「あのなあ、そう言うけどさ、本当にやばかったんだぞ。まあ、それはそうと……さっさとこいつを開けるぞ」

 そう仕切り直し、おれは缶のふたに左手をかけた。

 子供たちが身を乗り出す。

 今度こそ、おれは一気にふたを外した。

 こぼれた水が、おれの太ももにかかった。やはり缶の中は水で満たされていたのだ。

 五人の子供たちが我先にと覗き込む。

 缶の中が一瞬で暗くなった。

「おまえらの影で中が見えない!」

 苦言を呈して子供たちを下がらせたおれは、ふたを砂の上に置き、立ち上がった。

 缶に引き寄せられるように、子供たちも立ち上がる。

 おれは左手のひらを上にし、その真上で缶を逆さにした。水は足元にこぼれ落ちるが、小さな物体が手のひらに残った。

「やったあ!」

 カズマが歓喜した。

 こうして目にするまでは半信半疑だったが、疑う余地はもうない。

「本当だったな」

 おれの手のひらにあるのは勾玉だった。しかも、色も大きさも、先に見つけたものと同じである。

「お兄ちゃん、すごい」

 エリも本当に嬉しそうだ。

「石の玉にはまるかどうか、試してみよう」

 そう告げたおれは缶の本体をふたの横に置いた。

 ナナがぴょんぴょんと飛び跳ねる。

「はまるかどうか、はまるかどうか、はまるかどうか、やってみよう!」

「うん、やってみようね」

 おれは頷き、大きくて平たい石を見た。リュックやジーンズなど、穿かせてもらったトランクス以外はそのままである。

 石の上のリュックを取って振り向くと、エリが缶を手にしていた。ふたが閉じてある。

「これ、置いていっちゃだめだよ。人としてのルール!」

「あ……そうだよな」

 たとえ自分のものではないにせよ、すでに手にしたものだ。放置していくわけにはいかない。「今、拾うところだったんだ」と弁解しそうになり、おれは自省した。

 受け取った缶をリュックに入れてから、石球を取り出した。

 モリオがじれったそうにおれを見ている。

「タカ兄ちゃん、早くしろよ」

「慌てるなって」

 モリオを牽制しつつリュックを石の上に置いたおれは、石球を右手で掲げた。

「残りのくぼみはあと二つ。そのどっちでもいいんだよな?」

 おれの問いにカズマが頷く。

「うん、そうだよ」

「じゃあ、やるぞ。……わくわくするよなあ」

 また、もったいぶってしまった。しかし、このじれったさが作る子供たちの表情がすこぶるよい。まだかまだか、と期待に瞳を輝かせるのだ。

 とはいえ、あまり長引かせるのはよくないらしい。カズマとモリオ――割と気の短そうなこの二人は、すでに嫌悪の色である。

「引っ張るのはバラエティー番組だけでいいって」

 モリオが意見すると、カズマが頷いた。

「あんまり引っ張りすぎると、視聴率が下がるんだよ」

「わかったよ」

 渋々と答えたおれは、左手に持つ勾玉を石球のくぼみの一つにあてがった。

 かちっ、という音が小気味よい。

 一つ目の勾玉と同様、二つ目もぴたりとくぼみにはまった。

「すごいよタカ兄ちゃん。第二ミッション、クリアだね」

 そのキヨシの言葉を耳にしながら、おれは勾玉と石球に見入っていた。

 情報の源は気になるが、子供の遊びにしては本格的だ。やはり、勾玉にはそれなりの価値があるのかもしれない。石球もただのおもちゃではないだろう。三つ目の勾玉を期待するのは至極当然だ。

 しかし野犬の脅威が脳裏に浮かんだ。ここまでは無事だったが、運がよかっただけなのかもしれない。もうこれでやめておくべきではないか――。

 ナナと目が合った。

 おれにとっての宝探しは、義務ではなく欲求ではないか――と感じてしまう。

 野犬など、どうにでもなるだろう。万が一の場合はおれがこの子供たちを守ればよい。

 迷いを払拭したおれは、カズマを見る。

「明日も宝探し、するんだろう?」

 訊くまでもないのは承知のうえだ。

「もちろん」

 笑顔で答えてくれた。日に焼けた顔の中で、白い歯がまぶしい。

 安堵したおれは、石球をリュックに入れ、体中の砂を払い、衣類を身に着けた。

「ところで」おれは改めて尋ねてみる。「三つ目のお宝のありかは、どこなんだ?」

高三土山たかみどさんだよ」

 モリオが答えた。

「高三土山、っていうと……」

 おれの記憶では、川野の西――上君畑かみきみはたの奥にそびえる山だ。幼い頃、父とともにその麓にカブトムシを捕りに行ったことがある。

「カズマの地図に、三つ目のお宝のありか、ってちゃんと書いてあるよ。でも、見づらいけどね」

 そう言ってモリオは笑った。

「見やすいじゃん!」

 カズマは顔を赤くして憤慨した。

「二つ目のお宝が見つかったんだし、そうムキになるなよ」

 カズマをなだめたおれは、子供たちがまだ水に入っていないことに気づいた。

「おまえら、泳がなくていいのか?」

 リュックを片手に持ったおれは、子供たちに尋ねた。

「もうそろそろ帰らないとね」

 キヨシが答えた。

 腕時計を見ると午後一時十一分だった。

「今から引き返したら、三時頃には家に着いちゃうぞ」

 まだ時間はある、と思って告げた。

 カズマがナナを見ながら肩をすくめる。

「ナナもいるしね。余裕はあったほうがいいと思う」

 ナナの弁当までは気が回らなかったくせに、要所要所で、リーダーらしい言葉を口にしてくれる。侮れない少年だ。

「そうだな、そうしようか」

 首肯し、リュックを背負った。

「じゃあ、帰ろう」

 カズマの号令ですぐに元の隊列が編成された。

 日の高いうちにおれたちは帰路についた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る