第6話 ③

「父さんがあの勾玉を知っているなんて、おれだって信じられない」

 おれがそう告げると、父は額から右手を下ろした。淀んだその表情は、まるで救いを求めているかのようだった。

「貴也、その缶は空みたいだが、勾玉はここにないのか?」

 勾玉の存在を知っている父には見せても構わないだろう。いや、父には見る権利がある――そんな気がした。

 おれは缶を元の位置に戻し、畳の上のリュックから石球を取り出した。

「これだよ。この石の玉にくっついているのが、そうだよ」

 おれが右手に持つ石球を、父は凝視した。

「この石の玉だ。しかし……」と父は訝しげにおれを見た。「この石の玉はばらばらに砕けていたはずだ」

 父はこの石球の存在まで把握していた、そういうことだろう。

「子供たちが石材用の接着剤を使って復元したらしいよ」

 おれが解説すると、父はもう一度、石球を見た。

「なるほど、繫ぎ合わせた跡があるな」そしておれに視線を戻す。「その子供たちというのは、勾玉のあった場所を知っていた子供たちなのか?」

「そうだよ」

「そして、犬に襲われていたところを貴也に助けられた子供たち……でもあるのか?」

「うん。ていうか、犬の話もばあちゃんから聞いたの?」

「よその飼い犬を蹴り殺したんだとか」

「そう……なんだけど……」

 祖母の贅言はどの範囲まで及んでいるのだろうか。不安にさいなまれる。

「大きな問題にならなかったらしいが、よかったな」

「まあね」

「それにしても」父は表情を引き締めた。「勾玉が奥の滝にあることを、その子供たちが知っていたなんてな」

「奥の滝、っていうの?」

「川野近辺の人たちはみんな、そう呼んでいる。……で、子供たちがどこから勾玉の情報を入手したのか、わかるか?」

「ほかの友達から聞いたらしいよ。噂話というか、都市伝説として広まっていたみたいだけど、噂の発信源はおれにはわからない」

 知っている範囲で答えると、父はわずかに顔をしかめた。

「噂……そんなはずがない」

「あのさ」おれは語気を荒らげた。「知っていることはちゃんと言ってくれよ。どうして父さんが勾玉や石の玉を知っているんだよ。それを説明してくれよ」

「貴也こそ、どこまで知っているんだ?」

 説明を求めたのに問い返された。

 苛立ちをこらえ、おれは答える。

「何も知らないよ。子供たちの宝探しについていっただけだし。勾玉とか石の玉だって、預かっているだけなんだ」

「そうか。なら、ちゃんと説明しないといけないな」

 そう告げた父が、息を整え始めた。

「うん、頼むよ」

 おれは遠慮せずに言った。

 ゆっくりと深呼吸を繰り返していた父は、どうにか落ち着いたらしく、肩の力を抜いておれを見る。

「貴也や子供たちが集めている勾玉は、三つで一組なんだ」父は言った。「なおかつ、その石の玉にはめ込まれているのが本来の姿なんだよ。三つの勾玉がはめ込まれた状態の石の玉は、北の林の中……祠の真下に埋められていたんだ」

「赤い鳥居が見えたけど、そこかな? ていうか、あの鳥居の先だよね?」

 おれが問うと父は頷いた。

「ああ、そうだよ」

「深い藪があって近寄れないんだけど、昔は参道があったんだろう?」

「おれが子供の頃だって、参道は藪に覆われていたよ。だが、祠に辿り着ける道は、ほかにもあるんだ。まあ、あまり知られてはいないけどな」

「ほかにも道があったんだ?」意外だった。「でも、その道があまり知られていないということは、石の玉を知っている人なんて、少ないんじゃない?」

「そのとおりだ。今となっては、石の玉の謂れを知っている人は、この川野にさえほとんどいないらしい。おれも、おやじ……貴也のじいちゃんから聞かされるまでは、石の玉の謂われなんて、まったく知らなかったよ。たぶん、ばあちゃんでさえ、あまり知らないんじゃないかな」

「謂われ?」

 おれは眉を寄せた。

「そう、この一帯に残る伝承だ。どれくらい昔なのかわからないが、江戸時代の初期か、もしかすると戦国時代のまっただ中だったのかもしれない。星の世界から到来した妖怪が、この一帯を縄張りにして人に悪さをしていたんだ。しかし、中国から渡来した術者がその妖怪をとらえて北の林の地中に埋め、勾玉がはめ込まれた石の玉で封印し、その真上に祠を建立した。……という、川野の集落で語り継がれてきた話だ」

 おれは当惑した。佳乃は「怪物」の存在を示唆したが、父はついに「妖怪」とやらを持ち出したのである。しかも、その妖怪は地球の外からやってきた、というではないか。

「まるで異星人じゃん」

 言葉にすると、なおのこと眉唾ものに思えた。

「今風に言えばそうだろうな」

 呆れたように返す父も、同じ思いなのかもしれない。ならば結論は見えてくる。

「この一帯に残る伝承なら、史実とかではない、ということだよね?」

「だがな」父は言った。「おれは中学生のときに、神津山市の民話を集めた本を読んだことがあるんだ。その本に勾玉や石の玉についての言及はなかったが、川野の林に妖怪が封印されている……そういう話が掲載されていた。じいちゃんの話では詳しくふれていなかった妖怪の姿についても、その本には記述があったな」

「どんな妖怪?」

「蜘蛛だ」

 その答えを聞き、おれは愕然とした。佳乃の話にあった怪物と同様、妖怪のほうも「蜘蛛」であるとは――。しかし、子供たちは怪物である、という佳乃のあの話にはふれたくなかった。

「でもさ」おれは会話を繫いだ。「妖怪なんて昔から興味がなかったし、蜘蛛というだけでは、どんなんだかわからないな」

 蜘蛛は昆虫ではないが、昆虫についての知識のある者なら蜘蛛についての知識も備えている場合が多い。おれもその一人だ。とはいえ、妖怪となると話は別である。

「その妖怪は人間の女に化け、人間の男をたぶらかすんだ。そして、たぶらかした男を食ってしまう。じいちゃんの言っていた妖怪とは、おそらく、民話の本に登場する蜘蛛の妖怪のことなんだろうな」

「なるほど。人間の男を食うのか」

 その「蜘蛛の妖怪」は、佳乃の言う「蜘蛛の怪物」とも同一の存在かもしれない。しかし佳乃の話では、怪物は人間の女ではなく、あの子供たちということになっている。

「民話の本は、どこかに残されていた文献を元にして綴られたんだ」父は言った。「だが、その本にもじいちゃんの話にも、それぞれ、欠落している箇所があったわけだ。双方の話を重ね合わせて初めて、石の玉が蜘蛛の妖怪を北の林の地中に封印していた、という完全版が見えてくるんだよ」

 父の言う「完全版」を知る人はどれほど存在するのだろうか。もっとも、おれはすべてを把握したわけではない。訊きたいことは山ほどある。

「じゃあ」おれは問う。「鎮守の杜、っていうのを、ばあちゃんから聞いたんだけど、妖怪を封印している場所だから、そう呼ばれていたの?」

「由来はそうらしいな。おれが子供の頃までは、北の林を、鎮守の杜、と呼ぶ人は確かにいたよ。だが、謂れが知られていないのだから、仮にあの祠の存在を知っている住民がいたとしても、単に鎮守を祀ったものだ、と一般的な解釈をしているはずだ」

「この石の玉って、祠の中にあったんじゃなくて、祠の真下……つまり、土に埋まっていたんだよね?」

「そうだ」

 父の答えを聞き、おれは首を傾げる。

「でもさ、よく考えてみたら、こういうのって普通は祠の中にあるんじゃないの? ていうか、この石の玉は鎮守のご神体ではないのかな?」

「妖怪を封印していたとすれば、ある意味、鎮守そのものなんだろうな。だが、謂れによれば、祠などの遮蔽物のないほうが……というか、土に埋まっている状態のほうが、より効力があるらしい。そんな地中の石の玉を保護するために、祠が必要だったわけだ。そして、その祠を後世に残すために……信仰を絶やさないために、その石の玉とは別に、表向きの神体を祠に安置したはずなんだ。とはいえ、おれが覗いたときは、すでに何もなかったがな」

「祠の中を覗いたの?」

「ああ。石でできた祠なんだが、侵食されてぼろぼろだった。扉は最初からなかったのか、それとも外れてしまったのか、とにかく中は丸見えの状態だった。その当時でさえ、すでに荒れ放題……手入れもされていない孤立無援の状態だったんだ」

「でも、石の玉は祠の真下に埋まっていたんだろう? もしかして……」

「そう、おれが掘り出した」

 嫌な予感は的中した。なんと返せばよいのか、わからない。

「小学三年生のときだった」父は続けた。「夏休みに入る直前、学校で級友と喧嘩したおれは、担任の若い男の教師にこっぴどく叱られたんだ。おれは喧嘩に勝った側だったが、そのせいか、相手はおとがめなしだった。しかし喧嘩は相手から一方的にけしかけられたのが原因だったから、おれは納得がいかなかった。どうにかして担任に仕返ししてやろう、と策を練り始めたときは、すでに夏休みに入っていたな。じいちゃんから聞かされていた石の玉の話をふと思い出し、カブトムシを捕りに行くふりをして、人目の少ない明け方に北の林に行ったんだ。そして、朽ち果てた祠を蹴り倒した」

「まさか、妖怪に仕返しをさせようと思ったんじゃ……」

「そのとおりだよ」

 父は苦笑したが、おれは笑えなかった。

「小学生ならではの、稚拙な発想だ」父は言う。「祠をどかして石の玉を掘り出せば、男を食う妖怪が出てくる……そう思っていた」

「でも、父さんだって男じゃないか。自分が食べられるかもしれない、とは思わなかったの?」

「その妖怪が食べるのは大人の男だけなんだよ。少なくとも、じいちゃんはそう言っていた。今にして思えば、女にだまされるほど性欲旺盛な男でなきゃいけない、そういうことなんだろう」

 父の答えに呆れたおれは、肩をすくめる。

「大人の男だけ……って、なんだか都合がいいな」

「あのときは……まだ小学生だったおれは、その妖怪が蜘蛛である、とは知らなかった。美しい女の姿をしていて、しかも、悪い大人……というか、悪い男をやっつけてくれる強い味方、そう思い込んでいたんだ。だから、妖怪が地上に解き放たれたら、おまえのごちそうはおれの担任だ、と訴えればそれで済む。おれはそう信じて疑わなかった」

「そういう単純な考えで、祠を蹴り倒したんだ? ていうか、小学三年生が蹴って倒れる代物なの?」

「高さが一メートルもなかったからな。助走をつけて蹴ったら、勢いよく倒れたよ」

「でも、土台とか、あるんだろう? 祠の真下の土なんて、掘れるの?」

「確かに、石の土台があったよ。だが、その中央は抜けていて、下の地面が露出していたんだ。そして、用意しておいたミニスコップで土を掘ると、数センチばかり掘ったところで、石の玉が出てきた」

 父の暴挙は小学生の時分とはいえ、決して許されるものではない。カズマやモリオなどは足元にも及ばないだろう。

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