第8話 ①
ワンボックス車が走り出してすぐに、おれは「若粟中学校の前で降ろしてほしいんだけど」と父に頼んだ。廃中学校に子供たちが集まっている可能性が否めないためである。
承諾した父は、川野のバス停より五百メートルほど手前でワンボックス車を左折させた。全面が舗装されている道を北上し、川野の集落の中心を抜ける。
集落を抜ける途中でおれが助手席から見かけた人の姿といえば、田畑の間の小道を歩く老婆が一人、それだけだった。高齢者が大多数を占める川野である。この炎天下において、好んで出歩く住民など多くはないだろう。
欄干のある大きなコンクリート橋を渡ると、民家はまばらとなり、田畑や野原が広がった。目を配るがあの子供たちの姿は確認できない。
県道から一キロほど北上し、左へと直角にカーブして五十メートルも走ると、廃中学校の正門前だった。
正門の門扉は開かれている、というより、門扉そのものがなかった。
停車するなり、おれは後部座席からリュックを取った。
「貴也」ドアを開けたおれに、運転席の父が声をかけた。「ちゃんと帰ってこいよ」
「帰るって、ばあちゃんの家? それとも東京の家?」
「先々の身の振り方じゃないよ。今日のことだ。ばあちゃんの家で待っているからな。東京の家で今までどおりに暮らすかどうかは、あとで考えればいい」そして父は神妙な趣となる。「おれが子供の頃に会った謎の女……あいつの顔が、佐久本さんやさゆりに似ていた気がするんだ。服装と同じく、顔についても記憶が曖昧で、断言はできないが」
「わかった。気をつけるよ」
「それから」と重ねられ、おれは苦笑する。
「何?」
「美沙が来ていたとしても、ばあちゃんの家の周り……というか、田んぼのほうは、おれが見ておくよ。貴也の仲間らしき子供たちがいたら、声をかけてみる」
「うん、頼むよ」
頷いたおれはワンボックス車を降り、ドアを閉めた。
正門前の広い路肩を利用して、ワンボックス車がUターンする。
走り去る黒い車体を見送ったおれは、リュックを背負い、正門を通り抜けた。
アブラゼミがそこかしこで鳴き続けている。
腕時計の針は昼の十二時七分を指していた。今日の宝探しも弁当持参だったが、もしかすると、子供たちは校舎の中で昼食を取っているかもしれない。また茶まんじゅうで腹を満たしているのだろうか、と思うと笑いたくなる。それより、ナナが自分の弁当を持ってきているかどうかが、気になった。ナナが手ぶらだとしても、今日のおれは彼女に食べてもらえるものを何も持っていないのだ。
とにかく子供たちに会おう。早く会いたい。
校舎を目指し、おれは走り出す。
一刻も早く、全部揃った勾玉を――完成したお宝を見せてあげるのだ。いや、その前に、破約の謝罪をするべきだろう。もっとも、子供たちと会うことができれば、の話だが。
目の端に何かが映った。
オレンジ色のポシェットだ。
足を止め、右を見る。
鉄棒の手前にナナが立っていた。
「ナナちゃん、何をしているの?」
そう問い、おれはナナに駆け寄った。
「お兄ちゃんを待っていたのっ」
おれを見上げるナナが、笑顔で答えた。
「お兄ちゃんが来るのを、ずーっと待っていたのかい?」
「うん」
こくりと頷くナナを見て、自分をののしりたくなった。
しゃがんでナナと目線を合わせる。
「ごめんな。何時間も待たせちゃったね」
「大丈夫だよっ。エリちゃんもカズくんもモリくんもキヨくんもエリちゃんも、みーんな、お兄ちゃんを待っているから」
全員が揃っている、と知り、おれはいても立ってもいられなかった。
「みんなは、校舎の中……学校の中にいるのかな?」
「違うよっ」
「じゃあ、どこ?」
「あっち」とナナが指差したのは、東に広がる雑木林だった。
「あいつら、またナナちゃんを一人にして遊んでいるのか」
子供たちを責められる立場でないのを承知しつつ、おれは言った。
「行こう」
ナナがおれの右手を握り、ぐいぐいと引いた。
「うん、行こうか」
「早く早く」
「はいはい、わかったよ」
おれは立ち上がり、ナナに手を引かれて歩き出した。
しかしナナは、川野へと至る道の起点よりも南へと向かっている。
「ナナちゃん、そっちに道はないよ」
訴えたが、ナナは足を止めない。
「こっちでいいの」
「そうなの?」
「そうなの」
おうむ返しの答えに脱力するが、とにかく行ってみればわかるだろう。
見ると、オレンジ色のポシェットが軽そうに揺れていた。
案じていたことを尋ねてみる。
「ナナちゃん、お弁当は持ってきたの?」
「ううん。持ってこないよっ」
不安は的中した。
「まさかあいつら、自分たちだけで弁当を食っているのか?」
誰に問うでもなく、おれは口走っていた。
「違うよっ」ナナは歩きながら言った。「みんな、お弁当なんて持ってきていないもん」
「じゃあ、茶まんじゅうも持ってきていないのかな?」
「ちゃあまんじゅう、じゃないよっ。みんながいつも食べているおまんじゅうは、肉団子だもん」
わけがわからず、おれは「肉団子?」と聞き返した。
「にくにくおにくう、おいしいおにくう、ぐちゃぐちゃ食べよう、おいしいおにくう、おいしいおにくう」
答えの代わりに返ってきたのは、さらにわけのわからない奇妙な歌だった。
グラウンドの南東の端でナナは立ち止まった。
「ここから行くのっ」とナナは雑木林を右手で指差すが、一面に、おれの胸ほどの高さがあるクマザサがはびこっていた。
雑木林の中を覗き込むと、クマザサの茂みはかなり奥まで続いていた。先ほどのシダの茂みならまだしも、こちらは突破できそうにない。まして、ナナもいるのだ。
「これでは無理だよ」
「行けるよ。ほら」
ナナはおれの手を離すと一枚のクマザサの葉をつかみ、横に引いた。その一枚に繫がっていたらしく、クマザサの葉の十数枚がまとまって横にのく。
クマザサの茂みの中に一本の道が現れた。二人の大人が横に並んで歩けるくらいの幅がある。
「うまい具合にカムフラージュされていたんだな」
驚嘆したおれはナナに代わってクマザサの葉の束を体全体で支えた。
ナナがおれの横を通って茂みの中の道に入る。
「早く行こう」
振り向くなり、ナナはおれの右手を取った。
「うん」
おれはナナに手を引かれ、茂みの中の道に足を踏み入れた。
ふと見下ろすと、おれのジーンズはすでに乾いていた。
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