第6話 ④

「それで、妖怪は姿を現したの?」

 おれは尋ねた。

「いいや。石の玉を掘り出すよりもさらに長い時間を費やして待ち続けたが、何も現れなかった」

「だろうね」

 有り体な展開に頷いた。

 妖怪など存在しない。佳乃の話も世迷い言なのだ。

「結局」父はうつむく。「石の玉を持っておとなしく家に帰ったよ。持ち帰った石の玉は、両親にばれないように、自分の部屋の押し入れに隠した。そう、この部屋だったな」

 そう言うや、父は押し入れに目をやった。

 おれは石球を見下ろし、思わずつぶやく。

「こいつがこの部屋に持ち込まれたのは、今回が最初じゃなかったのか」

「だがな」父は言った。「事件は起きてしまった。あの夏休みの最中に、おれの担任が失踪したんだよ」

「どういうこと?」

「おれと同じだよ」父は忌々しそうに顔を引きつらせた。「女ができたんだ。担任は妻子ある身だったが、若い女を作り、行方をくらましてしまった。二学期が始まると同時に、おれの担任は年配の女性教師に代わった。そして、元の担任がいない……そんな現実を目の当たりにして、おれは急に怖くなったんだ」

「本当に妖怪が解放されて、元担任をたぶらかしたんじゃないか、とか?」

「そうだ。だから次の日……二学期の二日目に、早起きをしてあの祠のところへ行き、石の玉を元の位置に埋めたんだ。あの頃のおれの力では祠を元に戻すことなんてできなかったが、これでどうにかなるんじゃないか、と思ったんだよ」

「でも、封印されていたものが解放されてしまったとすれば、あとから石の玉を埋めたって意味がないじゃん」

「そう、意味なんてなかった」父は言った。「一カ月後、元担任は、近くの山林で遺体となって発見された。手足の一部を除き、ほとんどが骨と皮だけだった。内臓は欠片も残っておらず、かち割られた頭の中には脳みそがなかった」

「なんだよそれ。こんなのどかな田舎で、猟奇殺人が起きていたなんて」

 思わず息を吞んだ。

 おれの手にある石球に視線を移し、父は口を開く。

「指紋が照合できたのと、いくつかの遺留品があったのとで、遺体の身元はおれの元担任である、と判明できたんだ。死体の無惨な状況は野犬など獣の仕業と目されたが、なんらかの事件に巻き込まれた可能性もあり、警察は殺人の線でも捜査していたな。

 しかし、捜査は難航した。不倫相手である若い女は重要参考人とされたが、その女を正面からはっきりと目撃した人間が、一人もいなかったんだ。夏休みに入ってすぐの頃、元担任の同僚が、元担任と並んで歩く女を見てはいたが、後ろ姿だけだったらしい。で、同僚がその翌日になってこっそり追及すると、元担任は、若い女と不倫している、と白状したそうだ。もっとも、元担任の妻が夫の不倫を知ったのは、元担任が失踪したあとだったがな。

 つまり、その若い女の素性がまったくわからない、というわけだ。捜査がどこまで進展したのか、おれには知る由もないが、結局、事件は未解決であるらしい」

 父は口を閉ざし、おれを見た。反応を窺っているのだろう。

「父さんは、その謎の若い女が、解放された妖怪だった……と思っているの?」

 そう尋ねたおれは、自分の顔がこわばっていることに気づいた。

「ああ。あの当時からずっと、そう思っているさ。その懸念を裏づけるような出来事があったしな」

「出来事、って何?」

「元担任の遺体が発見されて一カ月が過ぎた頃、下校中のおれの前に、一人の若い女が現れたんだ」

「まさか、元担任と不倫していた、っていう若い女?」

「重要参考人とされていた女かどうか、それは今でもわからない」

 重々しく語る父は、憂わしげな色をありありと浮かべていた。

 おれは相槌を打つのも忘れ、そんな父の顔を見つめる。

 ワイドショー番組の音声がわずかに聞こえた。祖母はこの暗澹たる雰囲気など知らずに居間でくつろいでいるに違いない。

 父は居間のほうを気にするように耳を澄ました。しかし、すぐにおれに視線を戻す。

「そのとき、おれは一人で歩いていた。目の前に立ちはだかった女は、ウェーブのかかったセミロングヘアと、白い肌が印象的だった。きれいな大人の女に見えた。服装までは覚えていないが、決して派手ではなく、清楚だった。その女がこう言ったんだ。

 わたしを暗闇に閉じ込めていたあの玉が憎い。あの玉を破壊してくれなければ、あなたを食い殺す。あなたが大人になったら、きっと食い殺す。あなたの先生みたいにされたくなかったら、誰にも知られることなく、一週間以内に、あの玉をばらばらに砕いて三つの勾玉をそれぞれ離れた場所に捨てなさい。

 女はそう言い残して去ってしまった」

「じゃあ」とおれは石球を目の高さに掲げる。「これを砕いたのは……勾玉をあちこちに捨てたのは、父さんだったの?」

「そうだ」父は素直に認めた。「女と会ったその日の夕方に、また北の林へ行ったよ。石の玉を掘り出して、勾玉をナイフで強引に引き剝がしたんだ。そして、石の玉を土台に思いきり叩きつけた。砕けた破片はそのままにしたが、三つの勾玉は、次の休日の日中に、あちこち回って隠したよ」

「三つの勾玉は、捨てたんじゃなくて、隠したんだ?」

 なんとなくニュアンスが引っかかった。

「ああ、隠したんだ」父は認めた。「もしあの当時に、ちゃんと捨てたのか、とあの女に問われたら、捨てた、と答えたけどな」

 知りたいことは別にあるのだ。おれは追及せずに話を繫ぐ。

「小屋の中の木箱とかにも隠した……そうだよね?」

 そこも訪れたのだ、というアピールも兼ねた。

「そうだ」父は頷いた。「なら貴也は、小屋と奥の滝で、勾玉を手に入れたわけか」

「うん。……ていうか、小屋のあるところって、ばあちゃんちの土地なんだろう?」

 祖母に尋ねようとしていたことを父に振ってみた。

「ああ。今ではばあちゃん名義の土地になっている。じいちゃんが所有していた頃は、畑として使っていたんだよ」

「やっぱりね」おれは得心した。「それにしても、どうして小屋なんてあるの?」

「農機具を収用するために建てたんだ。ほとんどの農機具は、今は撤収してあるけどな」

「子供の頃の父さんにとっては、絶好の隠し場所だったかもしれないね」

「まあな。まだあそこが畑だった当時、使われていない木箱に、勾玉の一つをこっそりと入れたんだよ。だが偶然にも、あの木箱は取り残されてしまった。あとでばあちゃんに尋ねてみたんだが、山菜採りをする、と想定して、小屋や木箱は残したらしい」

「山菜採りに使う道具を置いておく、とか?」

「そうだ。しかし、ばあちゃんは北の林を気味悪がっているからな。結局、山菜採りなんてやらないみたいだし、小屋も木箱も、今では無用の産物だ」

 他人の小屋ではなかった、ということだ。とはいえ、勾玉と石球が父の所有物でないのも確かだ。無論、祖母は無関係である。

 わきまえねばならない実情を把握したところで、おれは問う。

「あと、奥の滝にも行ったんだろう? ドロップの缶を持ってさ」

「ああ、そうだよ。奥の滝まではかなりの距離があるし、一人で行くのは怖かった。だが、食い殺されるほうがもっと怖かったんだ。……中身がいくらも残っていないドロップの缶を持っていったのは、勾玉を隠すためだ。意図的にというか、気を紛らすためにドロップをなめて、向かっている途中で缶を空にしたんだよ。奥の滝に着いたおれは、勾玉の入った缶を水で満たし、ふたをして滝壺に投げ入れたのさ」

 やはり「勾玉を隠す」という表現が気になるが、おれは話を進める。

「そして最後の一つは、高三土山、だよね?」

「そうだ」

 子供たちの持っている情報は正しかったわけだ。

「本当なら」おれは言った。「今頃は、子供たちと一緒にそこへ向かっているはずだったんだ」

 あの子供たちを裏切ってしまった――そんな罪の意識が、今さらのようにおれの胸を締めつける。

「子供たちだけで行ったのか?」

「確認のしようがないし、わからないよ」

 石球と二つの勾玉はおれが持っているが、子供たちだけで三つ目の勾玉を探すには支障はないはずだ。支障があるとすれば、おれに裏切られたことだろう。

「貴也」

 不意に、父の口調が強くなった。

 思わず怯んでしまう。

「なんだよ」

「行ってみるか?」

「どこへ……って、高三土山?」

 おれは父に顔を向けたまま目を見開いた。

「そうだ。正確には、高三土神社の裏だ。詳しい場所までは、知らなかったのか?」

「うん、知らなかったよ」

 落書きと大差ない地図をカズマは見せてくれたが、あれでは詳しい場所などわかるはずがない。

「三つの勾玉を揃えるチャンスだ。全部揃えて子供たちに渡せるぞ」

 父はなおも煽り立てた。

「本当は父さんが行きたいんじゃないの?」

 おれのその問いに失笑した父だが、すぐに真顔になった。

「実を言うと、あのセミロングの女にだまされていた……そんな気がするんだ。やはり、三つの勾玉は石の玉についていなくてはならないんじゃないかな。勾玉を手放してしまったからこそ、大人になったおれは、あのときの女に狙われてしまったのかもしれない」

「まさか、あのときの女は三島さん、って思っているんじゃないよね?」

「気がするだけ、なんだが」

 どうにも煮えきらない答えだった。

「三島さんの連れ子の……由佳ゆかちゃん、っていう子はどうなんだよ? その子まで妖怪なのかよ?」

「わからないな」と首を横に振った父は背中を向けて襖を開けた。「行くんなら、早いうちにしよう。美沙がいつ来るのか、わからないが」

「母さんに確認の電話とか、してみたらいいじゃん」

 おれは提案したが、父は首を横に振る。

「さっきも試したんだが、電話が通じないんだ。昨日、向こうから電話が一度あったきり、ずっと同じだ。メッセージやメールも送ったが、やはり返信はない」

「それって、普通じゃないよ」

 あの几帳面な母がこれほどルーズなはずがない。だいたい、ここに父を呼び出すことが異常なのだ。何事か起きたのではないか、と訝しむのは当然だろう。

 ふと思い出し、おれは口を開く。

「北の林が猪の巣窟になっている、っていう話なんだけどさ」

「もうわかったはずだ」父は静かに言う。「そういうことだよ」

「そうか」と頷いたおれは、手にしたリュックに石球を入れた。

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