第4話 ④
小屋の中は荒れ果てていた。土間のそこかしこに背の低い雑草が茂っており、壁の一部には黴が生えている。それよりもおれの目を見開かせたのは、無数の蜘蛛の巣が小屋の中に張り巡らされている光景だった。それら蜘蛛の巣が縦横に重なっているため奥の壁際の様子が把握できない。
「これはひどいな」
たまらず、つぶやいた。
「どうしたの?」
戸口の外で問うたのはキヨシだ。
「大丈夫だ」
答えたおれは、長さが二十センチ前後の細長い木片が落ちていることに気づいた。ためらわずに拾ったその木片で、蜘蛛の巣を次々に絡め取る。おかげで、より隅々まで見通せるようになった。
結局、猪も野犬もいなかった。目についたのは、奥の壁際に横倒しになっている一輪手押し車が一台と、その横に置かれた五十センチ角くらいの大きさの木箱が一つである。
奥へと進んだおれは、一輪手押し車と木箱とにかかっている蜘蛛の巣も木片で絡め取った。
「犬の糞とか、落ちているかもよ」
背後でモリオが冷やかした。
「さっきのが犬ならば、落ちていても不思議ではないけど」
そう返したものの、今のところ、それらしきものは見当たらない。
おれは振り向き、指示を請う。
「手押し車と木箱があるだけだ。雑草の間を見てみるか?」
明らかに備品とわかるものには、ふれたくなかった。
「まずは木箱を開けてみようよ」
答えたカズマが中に入ってきた。
「うーん」判断に苦しんだ。「まあ……とりあえず開けてみるけど、木箱の中に入っているものは、持って帰れないぞ」
忠告すると、カズマは顔をしかめた。
「なんでさ。蜘蛛の巣だらけというか、ほったらかしにしてあるんだよ。別に構わないじゃん」
「確かに、ほったらかしだけどさ……」
承服できずにいると、ほかの子供たちもぞろぞろと小屋の中に入ってきた。
「せっかく来たんだから、とにかく木箱のふたを開けてみてよ」
エリにせかされ、おれはため息をつく。
「わかったよ。すぐに開けるよ」
「お兄ちゃん、お宝を見つけてねっ」
ナナの声援を背中に受けつつ、おれは木箱の前に立った。
「はいよ。ナナちゃんのために見つけてあげるよ」
おれはナナに答えると、木片を片隅に捨て、木箱のふたに両手をかけた。軽く揺すってみたが、いくらかのがたがある。容易に取り外せそうだ。
木箱の中に犬の死骸が入っている、などという光景が脳裏をよぎった。
かぶりを振り、思いきってふたを持ち上げる。
「何が入っているの?」
早速、モリオが尋ねてきた。
「慌てるなって。これから見るんだよ」
ふたを壁に立てかけたおれは木箱の中を覗き込んだ。
がらんとしていた。何も入っていないのかと思ったほどだ。しかしよく見れば、ツバメの絵が描かれているマッチ箱が一つ、木箱の底の隅にぽつんと置かれているではないか。
「マッチ箱があるだけだ」
事実を報告した。
「わーい」嬉々とした声を上げたナナが、エリの手を離しておれの隣に立った。「お兄ちゃん、取って取って」
はしゃぐナナに頷き、おれはマッチ箱を取った。このサイズにしてはそこそこの質量を感じる。軽く振ってみると、かたかたと音がした。
「入っている。お兄ちゃん、早く見せてよ」
エリに急かされ、おれはすぐにマッチ箱を全開にした。
「おっ」
思わず声を上げてしまった。
おれの目に映ったのは、例のくぼみと同じ形の、石らしき固形物だった。
その石らしきものを右手でつまみ上げ、閉じたマッチ箱をジーンズの左後ろポケットに入れた。木箱もふたをしておく。
ふと気づいた。この行為はお宝を元に戻すつもりはない、と意思表示しているようなものである。
「何やってんだ、おれ」
焦慮し、おれはつぶやいた。
「どうしたの?」
キヨシがおれの顔を凝視していた。
「なんでもない。とにかく、外で見てみよう」
そう告げたおれは、子供たちを従えて小屋の外に出た。
戸口の外で足を止めると、隣に並んだカズマが蔑みの笑みを浮かべた。
「持って帰ったらだめだ、って言っていたのに、ほら……小屋の外に持ち出しちゃったじゃん」
「外に持ち出しただけだよ。まだ、持ち帰っていないし」
つまらない言い訳だったかもしれない。もっとも、木箱にふたをしたときに茶化してくれたなら、お宝を小屋の外に持ち出すことはなかったかもしれない。
気を取り直し、持ち出したものを日の光にさらした。
透明感のある白っぽい物体だった。なんらかの鉱物を加工したものと思われる。厚みは五ミリ弱、全長は二センチ程度だろう。ティアドロップ形の底に相当する部分に、小さな穴が一つ、貫通していた。底の部分を頭とするならば胎児の姿にも似ている。さしずめ、小さな穴は胎児の「目」かもしれない。
だが、一般的に考えれば、この形は紛れもなく――。
「勾玉だ」
おれは言った。
「まがたまあ?」
ナナが小首を傾げた。ほかの四人もわかっていない様子である。
「とにかく、おまえらがほしがっていたものかもしれない、ということだ」
おれの一言で全員の顔が明るくなった。
「タカ兄ちゃん、それを石の玉にはめ込んでみようよ」
言うが早いか、カズマはモリオの背中のリュックから例の石球を取り出した。しかしその石球は、さも当然とばかりにおれの目の前に突き出される。
「おれがやるのかよ?」
「だってタカ兄ちゃんは大人だもん」
などとわけのわからぬ道理を述べるカズマから、おれは石球を受け取った。
「なんだか、肝心なところは全部、おれが担っているよな」
おれは愚痴をこぼしたが、子供たちは瞳を輝かせて成り行きを見守っている。もう抗えない。気持ちを切り替え、大道芸でも始めるかのごとく、右手の勾玉と左手の石球とを子供たちに向けて掲げた。
「よーし、お宝が本物かどうか、確かめてみよう。みんな、よーく見ておけ。世紀の瞬間だぞ」
けれん味たっぷりの前口上を唱えた。
誰かが、ごくり、と生唾を飲み込む。
おれは勾玉を石球のくぼみにはめ込もうとした――が、三つあるうちのどのくぼみにするか、躊躇してしまう。
「どれでもいいんだよ」
助言してくれたのはエリだった。とはいえ、おれの意気込みはやや削がれた。
「迷ったふりをしただけ」
そう返してやると、エリは噴き出した。
「負け惜しみはいいから、早く早く」
キヨシの容赦ない言葉がおれに追い打ちをかける。
「はいはい」
どうにかモチベーションを維持し、おれは勾玉をくぼみの一つに押し入れた。
かちっ、という小さな音とともに、勾玉はくぼみにぴたりとはまった。
「やった!」
モリオが歓声を上げた。
「へえ。これはすごいかもな」
意図せずに感嘆の声を漏らしてしまった。噂だの、ごっこ遊びだの、と侮っていたが、さすがにこれを見れば気持ちは高ぶる。
とはいえ、おれはこの勾玉を木箱に戻すつもりでいた。無論、それならば石球から外さなければならない。
おれは勾玉のへりに右手の人差し指の爪を立てた。しかし、勾玉はしっかりとはまり込んでおり、くぼみからまったく浮き上がらない。
「入ったのはいいけど、外れなくなっちゃったなあ」
おれが勾玉と格闘していると、カズマがじれったそうに顔をしかめた。
「お宝は本物みたいだし、別に外さなくていいよ。それに、きちっとはめ込んじゃうと、固い刃物とかを使わないと取れないんだってさ。爪では無理だよ」
ならばこの勾玉は、今の時点では、見つけたときの状態には戻せない――ということだ。
「この状態で木箱に戻すのもなあ」
独りごちたおれは勾玉との格闘を諦めた。
「まだ言っている。タカ兄ちゃん、お宝はゲットしたんだよ」
カズマは肩をすくめた。
「まあ、そうだな」
そう答えたが、納得したわけではなかった。
改めて石球を見つめた。そして、一つの疑問を抱く。勾玉をはめ込む石球など、はたしてあるのだろうか――と。
おれはこの分野の知識に乏しいが、知りうる範囲では、勾玉は古代日本人にとっての装飾品であり、穴に紐を通して首飾りなどにしていたはずだ。現代になって作られたものであったとしても、石球にはめ込む使用法など、荒唐無稽に思える。とすれば、勾玉がはめ込まれた石球という珍奇な物体は誰かが冗談で作った創作物、とも考えられる。
もっとも、石球はどうであれ、勾玉に至っては貴重品の可能性がある。本物の勾玉ならば古代の遺品だろうし、仮に現代のアーティストが作ったアクセサリーであるとしても、翡翠でできている場合があるのだ。無価値の模造品である可能性も否めないが、いずれにせよ、持ち帰ってよいはずがない。
そう――おれたちのしていることは、厳然たる窃盗である。子供の遊びでは済まされないはずだ。
心があとずさりし始めた。
勾玉を元の位置に戻さなくてはならない。
この遊びを放棄しなければならない。
「お兄ちゃん」
ナナのつぶらな瞳がおれを見上げていた。
ナナだけではない。ほかの四人もおれを見ている。
「どうしちゃったの?」
エリが憂いの面持ちでおれに尋ねた。
「なんでもない」
答えたおれは、もう一度、冷静に考えてみる。
この勾玉が貴重な品であるならば、あんな場所に隠されていたこと自体が不自然だ。安物のアクセサリーか玩具としての紛い物を、今回の宝探しのようなイベントに利用する目的で誰かが置いたのかもしれない。仮に貴重な品であるのなら、なおのこと、あの木箱に戻すのは賢明でないだろう。
それに、おれがどう思おうと、この勾玉は子供たちに「お宝」として認識されたのである。石球にはめ込むなど愚の骨頂だ、と訴えたところで、子供たちの情熱は冷めないに違いない。
「ひとまず、この石の玉は、モリオのリュックに入れておこう」
おれはそう告げ、モリオに石球を渡そうとした。
しかしモリオは忌避するかのごとく、一歩、あとずさる。
「重いから嫌だよ。タカ兄ちゃんのリュックに入れてほしいなあ」
「ふざけんなよ。これはおれのお宝じゃないんだ」
言いきったおれは、なおも、石球をモリオに突き出した。
冗談ではない。勾玉が本物だとしても、子供が遊びで持ち出したのなら厳重注意で済まされるだろう。だがおれは、最悪の場合で前科者の烙印を押されてしまうのだ。マルを蹴り殺した件もあり、どうしても躊躇してしまう。
「タカ兄ちゃんが持っていてよ」
カズマが言った。
「なんでだよ?」
石球を持つ手は下ろしたが、承諾したわけではない。
「だってタカ兄ちゃんは、もう、ぼくたちの仲間なんだし」
答えたのはキヨシだった。
「おまえらなあ」
おれは言葉に詰まった。
ここまで一緒に行動したのは事実だ。今さらキヨシの言葉は否定できないだろう。
ならば、とおれは考える。
妥当と思われる処置は、小屋の所有者にこの勾玉を渡し、小屋に侵入した無礼をひたすら詫びることだ。それを実施するためにも、石球はおれが持っていたほうが得策かもしれない。もっとも、マルを蹴り殺したおれは、今度こそ祖母からの信用を失うだろう。
「じゃあ」おれは言った。「石の玉はおれが預かっておく。宝探しは今日だけでは終わらないみたいだから、三つのお宝が揃うまで、預かっておくぞ」
「いいよ」カズマが頷いた。「タカ兄ちゃんに任せる」
「それから、もう一つ提言したいことがあるんだ」
全員の顔を見回して、おれは告げた。
ナナが不思議そうにおれを見つめる。
「て、て、てええんげええ……って、なあに?」
「つまり」笑いをこらえ、おれは続けた。「意見があるっていうこと」
「どんな意見?」
警戒しているのか、カズマは表情を引き締めた。
自分の意見を通したく、おれは胸を張って意気込みを示す。
「カズマがリーダー格のようだけど、それはそのままで構わない。でも、参謀はおれが担当したい。いいかな?」
「参謀……って、何する人だっけ?」
おずおずとカズマは問うた。
「リーダーのためにいろいろと考えてくれる人、だよ」
代わりに答えてくれたのはキヨシだった。
「そうか。うん、わかった」
カズマはおれに向かって大きく頷いた。
エリやモリオ、キヨシにも不服はないらしい。
「さんぼーのお兄ちゃん、かっこいい」
理解はしていないだろうが、ナナはそう言って喜んでくれた。
無邪気な子供たちには申し訳ないが、おれは自分の奸計に満悦した。これでこの子供たちを掌握できる。いざとなれば行動を抑制するまでだ。
ふと、祖母の所有する土地がこの辺にある、ということを思い出した。もしかするとこの空き地がそうなのかもしれない。それが事実ならば、小屋も木箱も勾玉も祖母の所有物、ということになるのだろう。うまくいけば子供たちに勾玉を譲ることができるかもしれない。とはいえ、この土地の所有者が誰なのか、今はまだわからない。早いうちに祖母に確認する必要がある。
「じゃあタカ兄ちゃん、次のお宝の場所に行ってみようぜ」
カズマが告げた。
「そうだな」
頷いたが、次のお宝を手に入れるか否かは、その場所のありさま次第で判断するつもりだ。
おれは背中のリュックを正面に持ち、石球をそっと中に入れた。
改めて石球の重さを感じた。体格のよいモリオとはいえ、小学生が何時間も背負うのはつらいかもしれない。
「よし、行こうか」
リュックを背負いながら、おれはカズマを促した。
「うん、行こう」
答えたカズマが、小屋の裏に広がる木立に向かって歩き出した。
おのずと隊列は元の形になる。
最後尾についたおれは子供たちの天真爛漫な後ろ姿を見ながら、つい、頬を緩めてしまう。たとえ年の差があっても、こんな弟や妹がいるのも悪くない――そんな気分になっていた。
それにしても、小屋から飛び出したあれが化け物ではなく犬――というより野犬ならば、それはそれで大いなる脅威だ。このまま宝探しを続けるには危険を伴う可能性がある。
そう憂慮しつつ、おれは足を止めなかった。
なんとなく、おれの意思が他者の意思に介入されているような気がした。いや、判断力が鈍化しているのかもしれない。
「カズマ、昼飯はどこで食うんだよ?」
モリオらしい質問だった。
「場所なんて決めてねーよ。お昼になったら、食うんだよ」
先頭から答えが返ってきた。
モリオはかぶりを振る。
「一番大事なことなのに、はっきりしろよなあ」
「黙れ」
ぴしゃりと告げたのはエリだった。
モリオは黙った。
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