第34話 ベンダー公爵家の住民3
テーブルの上の料理がほとんど無くなるころ、私の視界には地獄の絵地図が写っていた。そこにはジークはテーブルに突っ伏しており、鼻をすするたびに机が振動する。
その隣のクルトは、先ほどからそんな私のバディを見て笑い転げていた。
「あいつがぁ、いつもぉー俺のこぉたなぁて頼って来ないんだよ。いっつもいっつも一人でぇ抱え込みやがぁって.......ばぁか、ほぉとうにばぁか」
鼻をすすりながらぐずぐずとそういうジークに、クルトはすっかりツボに入ったようで「ウヒャヒャヒャヒャハハハハ。腹、腹痛い」と笑い転げている。
「「.......」」
私は絶句を通り越し、現実逃避を試みていた。
私の隣に座ったアリアはこれは大変なことになったと私から目線をそらす。オザックは我関さずと手当たり次第に残っていた食べ物を口に運んでいた。
「こいつ、泣き上戸だったのか…」
「悪かったって、おチビ。まさかこんなことになるなんて…」
小さな声でそういうアリアにいつもの豪胆さを感じない。私が途方もない疲労感を感じながら「別に、お前が謝ることではない。私も飲ませたからな…」と言うと、彼女は肩をなでおろした。
「......だけどクルト、お前は知ってただろう」
私が笑い転げるクルトをにらみつければ、クルトは目じりから零れだす雫をぬぐいながら「いや、だって、面白くて」と悪びれることなくのたまう。
ここに埋めて帰りたい。
「まぁ、ジークが泣き上戸は納得だな」
「ジーク、泣き虫だもんね」
アリアとオザッがは机に突っ伏したまま動かなくなったジークを覗き込みながらそう言う。すると先ほどまで泣きわめいていた彼は、既に眠ってしまっていた。
まぁ、確かに、ジークが泣き上戸ということは全く持って納得できる話ではある。
ここまで酷い惨状になるとは誰が予想してはいなかったが。
「…とりあえず。ジークが黙ってる間に退散するぞ。クルト、お前が責任もって背負えよ」
「はいはい、はぁー笑った笑った」
そう言いながら立ち上がったクルトが机に突っ伏すジークの方を叩くが、唸るような声尾を出すだけで起きる気配はない。クルトは苦笑いしながらジークを抱き上げる。クルトは比較的ひょろりとした細身の体格なのだが、しっかりとジークを抱きかかえる姿には不安定さを感じなかった。
まぁ、ジークが無様に持ち上げられている姿も悪くない。
明日の朝もだえ苦しむだろうが、昨日私の醜態と比べればましな方だろう。
私たちが店の外に出たころには、あたりはすっかりと暗くなっており、街の街灯がぽつりぽつりとついていた。
私は街灯など見たことが無かったのだが、ここではそれが当たり前のようで、クルト達も特に驚く様子もなく、冷たい夜の空気を掻き分けて進んで行く。
「すごいな。街灯があるのか」
私が感心して思わずそう呟けば、クルトたちは肩をすくませて、「皆ここに来たときは同じことを言うんだよ」と笑われた。
石畳の上を歩く自分たちの足音がよく聞こえるほど、あたりは静間にかえっている。私が思っていたよりも大分長い間、店に入り浸ってしまっていたようだ。
それに全く気が付けないほど、あっという間の時間であった気がする。
私が白む息を長く吐きながら夜空を見上げると、雲と雲の間から月桂が私の瞳に入ってる。青白いその光はどこか冷たい雰囲気を放っていて、心が凪ぐ。
隣から聞こえてくるジークの寝息が柔らかく私の耳にしみ込んだ。
「…なぁ、」
クルトがそんな私を見下ろしながら、目を細める。
「なんだ?」
「お前が無事で良かった。そうしみじみ思ってよ」
喉を転がすように低い声で笑いうクルトは、抱きかかえていたジークを身に引き寄せる。
「今更なんだよ、急に」
「いいだろ、別に。お前がろくな挨拶もしないままいなくなるから、俺たちは気が気じゃ無かったんだよ。だから本当によかったなって」
体を揺らしたジークを抱きなおしながら、クルトは愛おしそうに腕のなかの青年を見下ろす。
「お前らが二人並んでいるだけで、俺は幸せだったんけどな。どうしてこううまくいかないんだろうな」
「.......私も、そう、思うよ」
私がクルトを見上げれば、その視線に気が付いた彼はくしゃりと目じりにしわを寄せる。
ああ、痛い。
胸が締め付けるような痛みが走る。
この男のこんな表情は見たくない。
「嫌だな。お前にそんな顔させるつもりじゃ無かったんだが、俺はダメな兄だな」
「お前の妹になった覚えは毛頭ない」
「へぇ、ジークの家族発現には頷いたのに、こっちは否定するのか」
「うるさい」
クルトが嫌味っぽく笑う。私は頬がゆるむのを必死に抗いながらそっぽを向く。
嫌な男だ、本当に。
そこで私に彼に聞きたいことが会ったのだと思い出し、顔あげる。
「そういえば、今回お前たちが来たのはどうしてなんだ? 長が選んだのか?」
「うん? ああ、初めはカルザに声がかけられたんだが、あいつは体調が悪いって言っただろう。だから代わりに性別とか色々で、オザックとアリアが選ばれることになったんだけど、俺たちがごねたんだよ。
まぁ、正確にはジークが長に直談判しに行くっているから俺が付き合ったんだけどさ。
それで、お前の主人が別にいいっていうから俺たちそろって来ることになったわけよ」
肩をすくめるクルトを私は思わず半目で見つめてしまう。
初めからこの人選に疑問点が多かったが、なるほど言わざる負えない理由である。私の視線を受け取ったクルトが苦々しく笑いながら、「いいだろ。お前に会える機会なんて滅多にないからよ」と言い訳がましく言った。
「.......いや、助かった。ありが…、恩に、着る」
「はいよ」
クルトの意見を聞けたのは私にとってかなり大きな収穫であったことは間違いない。それにたいしては感謝しても構わないと思ったが、うまく言葉にできなかった。つっかえながら言った言葉にクルトは満足そうに深く頷いて、前を向いた。
「明日、頑張れよ」
冷たい夜風が頬を撫でる。ずっしりと肩にのしかかった空気を振り払うように、私は「別に」と答えた。
寿色の街灯が風に揺られ闇に溶け出す。その姿はまるで私たちを見守っているようで、同時に監視しているようでもある。
私はふと、それがこの街の正体なのではないかと、静かに思った。
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