第26話 彼へと贈る送別歌5





「レオノーラです。入ってもよろしいでしょうか」


 私の声に、待っていたかのようにすぐに扉は開き、テブレヒトが出てきた。

 私の顔を見てくしゃりと目じりを細めると、中に入るように勧められる。私は頷き、二人でいつも通りの細身の椅子の上に腰をおろした。

 椅子がきしむ音が一人分なる。私は持っていたチェリコットを膝に乗せ、肩にかけた。


「…気合十分だね。じゃあ、課題曲の出来栄えを聞かせてもらおうかな」


 そういって足を組むテブレヒトを一瞥し、私は白い弦に触れる。そして空気をな撫ぜるようなその音をだし、歌を紡いだ。

 部屋の空気が震え、音が冷たいその中に吸い込まれていく。すべてが止まってしまうような虚無感が満ちていくのが肌で分かった。それでも私は弦を弾くことだけに集中する。


 そして一曲目を弾き終え、二曲目、三曲目と私はテブレヒトの指示のまま歌い続けた。

 その間彼が発する言葉は最低限の物で、曲が進むたびにそれは顕著になる。


 そしてすべての曲を歌い終わったその時、テブレヒトはようやく顔をゆっくりと上げ、私の方を見た。


「うん。もう、いいよ。これでお終い」


「はぁ」


 よくわからないが妥協点は出せたようだ。私はホッと安堵の息を溢すと、テブレヒトがおもむろに立ち上がる。


「じゃあ、最後のお願い、叶えてくれる?」


「…わかりました」


 これでもかなり努力した結果がこれかと脱力してしまうが、暴言が出てこなかっただけでも記録的な成果だろう。私はテブレヒトの差し出した洋服一式を受け取り、部屋の角に移動した。


「終わるまで窓の方でも見ててください」


 私がそう言ってテブレヒトを睨むと、彼は肩をすくめて仕方なさそうに頷いた。


 私はそれを確認した後、自身の服をすべて脱ぎ去る。そして、鏡の前に立ち、テブレヒトの姿を思い浮かべる。そして目を開ければそこにはどこか歪な彼がいた。

 男の一物などの細部は再現しきれていないが、どうせ周りのものに見せびらかすものでもないので気にしない。肌質なども、身長をいじった関係で一部明らかな違いがあったりするが、この際そこもご愛嬌だ。どうせ他人の前で裸になることは無い。


 私は貸し出された洋服に袖を通し、テブレヒトがいる方へと振り返る。

 すると、後ろを向いていたはずの彼はいつの間にかこちら方をまじまじと見ていた。


「見てるじゃないですか....とっ、声はこんなもんですかね」


 成長期途中の少年が出すアルトの声質を、うまく再現できているだろか。私が喉笛に触りながら声に調整している間、テブレヒトは一言も言葉を発さずに私のほうを見つめ続けていた。

 その漆黒を宿した瞳に射貫かれた私は、立ちすくむ。


「...なんですか?」


 私の問いに、テブレヒトは答えず滑るように私の前に進み出た彼は、勢いよく私の喉元をつかみ上げた。だが、その手に力は入っていない。

 私はただ茫然と私の首をつかむテブレヒトの手首をつかむ。


「何のつもりだ?」


 私がそういえば、彼はひどく驚いた顔をして「苦しく無いの?」と聞いてきた。私はそこで初めて、この男が私を殺そうとしてきているということに気が付く。

 私は私の喉元をつかむテブレヒトの手を引きはなし、テブレヒトをとりあえず床に転がそうとした。だが、体を魔法によって無理に伸ばしているので、手加減ができず、テブレヒトは勢いよく床にたたきつけられる。

 お互い動揺しきった顔で、向かい合った。この少年が私を殺そうとしていたことはなんとなくわかったが、あまりに弱い力にとてもそうとは思えなかったのだ。


 しばらくすると、テブレヒトが肩を揺らしながら乾いた笑い声を立て始めた。

 私は訳が分からず、そこに立ちすくんでしまう。


「はははははっはっは.......惨めだなぁ、殺してやろうと思ったのに、このざまだ」


 狂気じみた笑いが部屋の中に響き渡る。

 それはまるで彼の心からの叫びのようだった。


「本当にそっくりなんだな。…これで完全に僕はお役目御免というわけだ。

 はははははっはっは…ははは…

 僕は今までこのために生きてきたってことだ。たったこれだけのために」


 引き攣ったような笑い声で部屋が震える。ふらりと立ち上がったテブレヒトが再び私の服の襟首をつかもうとしていた。


 伸びてくる細く白い手が震えている。

 救いを求めるような、視線。

 今にも、泣き出しそうなその表情。


 私はその姿があの弱弱しい少女の姿と重なって見えた


『母さん.......ごめんなさい。お父さんを殺してしまって、お母さんを不幸にして、生まれてきて、ごめんなさい。私を許してください』


 少女の叫びが聞こえる。


 私は耐えきれなくなり、彼の服の襟首をつかみ上げると、そのまま後方にあるベットのまで投げ飛ばす。

 ベットによってはねたテブレヒトの体が、空気の塊を口から吐き出し、むせるようにせき込んだ。


 私は握りこんだこぶしをそのままに、テブレヒトの上に馬乗りになる。少女の姿が頭からチラらついて離れない。もう、我慢の限界だった。


「ふざけんじゃねぇぞてめえ、この前から言わせておけばぎゃあぎゃあ好き勝手なことばかり言いやがって、悲劇のヒーロー気取りか」


 私に抑え込まれたテブレヒトが、それらから逃れるように体をねじり、私をにらみつける。


「君に僕の何がわかる!! 誰も君みたいに、獣みたいに、後悔も未練もなく生きられない。お前みたいに過去を捨てられないんだよ」


 ゆがんだ表情のまま、テブレヒトが全身の力をふり絞るようにそう叫んだ。


「僕を生んで、母さんは死んだ。なのに命をかけて生んだ僕はこんな役立たずで、失敗作で、ガラクタだ。父さんには見捨てられ、兄姉には憐れまれる。

 わかるだろ。今回の一件だって、僕に知らされたのはすべてが決まってからだった。僕のことに、僕の決定が介在することは一度だって無かった。

 そんな僕の、何がわかる!?」


 テブレヒトの言葉に私は息をのむ。彼の言葉は私の記憶の奥深くに眠る母の言葉とあまりにも一致するのだ。


『お前のせいで、父さんは死んだ。お前さえいなければ、私は幸せになれたのに。お前が不良品じゃなければ』


 脳内に響き渡る母の声。私は震える体を抑えるように、テブレヒトを抑える手に力を入れる。その胸板が壊れんばかりに抑え込めば、テブレヒトは苦痛でその口を閉じた。


「.......私だって、私にだって捨てられない過去位ある。

 でも、仕方ないだろう。

 じゃあなんだ、お前の体は、父親に愛されれば治るのか、兄妹に認められれば生きていられるのか、違うだろ。どうにもできない。何も変わらない。お前のことをお前自身が選べたことなんて、元々何もないじゃないか。

 私たちにいったい何が選べた!? 私たちには何も選べなかった。そしてお前の母親も、父親も、お前を選べたか? いや、何一つ選べなかった、そうだろ。

 お前もお前の父親も、それを選べるんだったらここになんていない。私たちは勝手に生まれてきたし、お前の母親は勝手に私たちを選ばされたんだ。

 だから私たちは自分のために、自分のためだけに.......生きるんだろうが!!」


 私の叫びを聞いたテブレヒトは唇をかみしめながら必死に身を捩るが、それはベットのシーツを波立たせるばかりで、何の意味も生み出すことはない。

 私は力をかけたまま、彼の眼前に顔を近づけた。その瞳が水面のように揺らめいている。


「それで、私が獣だと。ああ、私は確かに人間じゃない、正真正銘の怪物だ。

 その生に恨みを持ったことなんて一度もない。化け物として生を受けて、母親を殺したが、そのおかげで私は今の今まで生き残ってこれた。それはまごうことのない事実だ。

 でも、お前はどうだ、お前は恵まれていなかったっていうのか。ガラクタなお前を今まで生かしてきたのは誰だ、お前に飢えない日々を与える奴はどこにいる。

 自身の生に恨み言ばかり言うお前に、私を獣だと罵る権利があるのか!!」

 

 光をさし、虹のようにきらめいていた雫が、テブレヒトの瞳から零れ落ちる。

 日の光の遮断されたこの薄暗い部屋の中で、それは流れ星にように消えていく。


 嗚咽を溢す彼を見て、私はのそりとその体の上から退いた。一気には本音を吐き出したことで、喉が痛かった。私は置いてあった椅子に一人座り込み、息を整える。

 そして体を元の姿に戻し、邪魔になった袖をめくりあげて顔を覆う。


 溢れだす感情で頭がおかしくなりそうだった。


 私はちらりとテブレヒトのほうを見やると、彼は彼で目元に腕を運び、必死に涙をこらえているようだった。


「それでも、認められたかったんだ。諦められなかったんだ。

 …それが、人間ってもんじゃないのか。それが、生きてるってことじゃないのか」


 消え入るようなテブレヒトの声に、私は自身の銀色に戻った髪を掴みこんだ。心が締め付けらるる。その叫びは私のものでもあったから。


「.......私にはわからない」


 私の返答は薄暗い部屋の陰に落ちて溶ける。テブレヒトは嗚咽とかすかな笑い声が一人ごちに響いた。

 そして私たちの間には雪のように降り積もる沈黙が流れる。


 しばらくたつと、テブレヒトがおもむろにその沈黙を破った。


「....レオノーラ。ごめん。ひどいこと、言った」


 私がテブレヒトの方を見れば、彼は相変わらずベットの上で小さくうずくまっていた。


「…私はレオノーラじゃない、私は…ユーリカだ。私の育て親がくれた」


「そっか。花の名前だね。そっか。

 …ねぇ、ユーリカ。頼みがあるんだ。これで本当に最後の頼み、聞いてくれない?」


「お前、図々しい奴だな。....それで、なんだ」


 私がそう聞き返せば、テブレヒトは低く笑って「意外と君って優しいよね」と言った。私が顔を明らかにしかめると、見てもいないのに彼はそう不機嫌になるなよと口にする。


「…僕が、いいと言うまで、なんでもいいから歌い続けてくれないか」


 テブレヒトの願いに私は驚き、私の歌は耳障りじゃないのかと聞いた。すると、テブレヒトは困ったように笑って、癖になるんだよ君の声、と答える。


「仕方がない」


 私はそう言って、足元に立てかけてあったチェリコットを持ち、肩に乗せた。そして、弦に触れながら音を調節する。白い糸が震え、部屋に優しい調べが広がった。


 私は自身の指に導かれるように別れの歌を歌った、悲しみと呼ばれるその歌を。


 私は一人、弦をはじいた。


 彼の嗚咽が聞こえなくなる、その時まで。


 




◇◇◇

 




 次の日の朝私がテブレヒトの部屋に行けば、彼はすっかり支度を終えた様子で、長袖袖のヴェストを着こんでいた。ベッドの上には黒い革のトランクが乗っている。

 私が扉を開けたことに気が付くと、彼は振り返り、私を見つめた。

 その瞳は出会った同様にどこか怪しげで、いたずらっぽい物だった。


「来たんだ。....もう、僕はいくよ」


「ああ」


「僕のチェリコット、君にあげる。君が今使っている物は、僕の姿になったときには小さいからね」


「ああ」


 テブレヒトは自身の荷が詰まっているであろう革のトランクの表面を軽くなで、その取っ手を持った。それなりに重いようで、持ち上げながら彼の体の重心が何度も揺れる。それでも必死にテブレヒトはそれを床におろした。

 そしてそれを引きずりながら、扉の前まで来る。


「ユーリカ。昨日いろいろ考えたんだけど、僕は、僕なりのやり方で、自分を認められるように努力しようと思う。そう、思えた。だから、ありがとう」


 そういってテブレヒトはトランクのとってから手を離し、私の前に手を出す。

 私は弱く冷たい手を握る。


「そうか、まぁ、それなりにやれよ。

 私も…私なりにそれなりにやる」


 その手の力はひどく弱い。きっと、それはこれからも変わることはない。

 それでも、私たちは。




「「あなたの未来に、光があらんことを」」


 出会いと別れを繰り返しながら、一人で進んでいかなければいけない。


 自分の涙を掬えるのは、自分以外いないのだから。



 テブレヒトはくしゃりと笑顔を作ると、私の横を通り過ぎて行く。

 そして、不格好にトランクを引きずったまま、朝の日の中に消えていった。

 決して振り返ることのない旅路を、自分の足で、一歩ずつ。




◇◇◇

ここまでで二章となります。読んでくださってありがとうございました。よろしければお星さま、レビュー、コメント等していただけると、ニコニコします。三章はしばしお待ちください。

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