第15話 ルヒデコット家への訪問者5


 玄関先についた私は馬車の整備などの手配をし、屋敷の門の前でぼんやりと空を眺める。


 鈍色の塀の上には、鮮やな朱と青が溶け合う薄明の空が広がっていた。

 空に焼き込まれたかのように映り込むその色に、思わず目を細める。


 待つことしばらく、例の三人とエッカットが玄関に来る。

 その中にテブレヒトの存在は無い。

 ますます訳が分からないが、取り敢えずコルネリアや、エロニムス、ロニーナに別れの挨拶をすることにする。


「本日はお会いできてうれしかったです」


 コルネリアに私がそう口にすると、彼女は穏やかに微笑えむ。


「ええ、私も愚弟の養子があなたのように可愛らしい方で良かったわ。ぜひ、今度はうちの息子にも会いに来て頂戴」


「ええ、ぜひお邪魔させてください」


 私の返答にコルネリアが赤い唇の端はあがった。


 正直あまり行きたくは無いが、彼女は公爵家の人間。王宮に近い人間との伝手は、情報を手に入れる上でも重要である。使わない手はない。


 そんな打算をながら、続いてエロニムスとロニーナの前に移動し、同じように別れの言葉を述べた。

 するとこちらからも屋敷へのお誘いを受ける。


「ええ、ぜひ」


 エロニムスにそう答えると、隣のロニーナがぼんやりとした表情から花咲かんばかりの笑顔になり、「絶対、いらしてくださいね。私、レオノーレ宛に手紙をかきますから」と両手で私の手をとった。


 隣のエロニムスはほほえましい目で彼女を見ている。


 正直、エッカットから土地を下げ渡されただけのルヒデコット伯爵と関わることに、私はさほどの利益を見いだせてはいなかった。

 だから恐らく、私はその約束を果たさないだろう。


 曖昧に頷く、そんな私の手を、ロニーナは強く握った。

 彼女の藍の瞳が煌めく。

 そこには、未来に対する希望と期待が溢れているようで、目を逸らさずにはいられなかった。


「また、いつか」


 気がつけば口から漏れ出す言葉。

 少しだけ怖い未来への約束。


 ロニーナが力強く頷く。

 それが何処かむず痒い。


 こうして、急遽行われたエッカットの姉弟訪問は、幕を閉じることとなった。


 コルネリア達の乗った馬車が暗闇の中へと去ってゆく。それを見送り、私とエッカットは屋敷へと戻っていった。


◇◇◇


 自室に入ると、いつも通りイーリットが就寝の用意をしていた。

 私は着ていたドレスを脱ぎ捨て、軽く体を拭いた後、ネグリジェに袖を通す。

 疲れがどっと肩にのしかかることを感じ、小さくため息を付きながらソファに座り込んだ。


 そんな私に、イーリットが微笑む。


「お疲れ様です。今日旦那様以外の貴族の方とはじめてお会いする機会でしたがいかがでしたか?」


「そう、だな。アイツらは特殊な類かもしれんが、この調子ならどうにかなりそうだ」


 あくびを噛み殺しながらそう言うと、イーリットは声を忍ばして笑った。


「ロニーナ様とご友人になられたようで、安心いたしました」


 イーリットが私の前にハーブティーを置く。

 そのティーカップからは薄暗い部屋の中に溶け込むように湯気が出ており、少しツンとするような薬草の香りがした。


「あれは成り行きによるもので、別に友人関係を結ぼうと思った訳ではない」


「友人とは成り行きでなるものなのですよ、お嬢様。それが分からないということが、今までご友人がいらっしゃらない証拠なのです」


 イーリットの言葉が胸に突き刺さる。

 図星なのだ。


「友人などいなくても生きていける。

 食うものと、寝床。それがあれば十分だろ」


「足りませんよ、愛がなくては。心が飢えます」


 イーリットが私の脱いだ服を仕舞いながら、歌うように言う。

 阿呆らしいことだ。

 愛などなくても生きていける。


 それよりもっと恐ろしいのは、自分の為に生きられなくなることだ。

 人の為にしか生きられなくなったとき、人の心は死ぬ。生きる屍へとなるのだ。

 私はそのことをよく知っている。


「……そう言えば、お前に聞きたいことがあるんだが、今日夕刻テブレヒト・ルヒデコットという男が訪ねてきただろう。あれは今どうしているんだ?」


 コルネリア達が帰るとき、彼はいなかった。

 ということは知らぬ間に帰っているか、この屋敷内で泊まっていくということなのだろう。


 そして当のイーリットだが、彼女はなんとも言えぬ顔で答えに詰まっている。

 何かを言いにくいことでもあるのかと首を傾げると、彼女は意を決した様子で口を開いた。


「あの、お嬢様は勘違いなさっていると思うのですが。テブレヒト様はお客様ではありません」


 イーリットの返答が要領を得ず、またしても私は首を傾げた。

 客人ではない? それはどういう意味だ?


「それはテブレヒトという男は今日訪ねてきていないという意味か?」


 ではあれは全くの別人だったのだとでも言うのか、そんなまさかと思うと、イーリットは静かに首を横に降った。


「いえ、そうではなくてですね。お客様ではなくこのお屋敷にお住まいなされている、同居人ということです」


「…………、はぁ?」


 一刻遅れて私は口に含んでいたハーブティー勢いよく吹き出す。


「ちょっと待て、それじゃあ奴はこの屋敷に住んでるってことか!? 聞いてないぞそんなこと」


「はい、まさかお知りにならないとは思いませんでしたので、はじめて言いました。

 旦那様からは何もお聞きになっていらっしゃらないのですか?」


「あの骸骨野郎、面倒くさがって私に話さなかったな!」


「あらお嬢様、旦那様をそのように言われてはなりませんよ」


「知るか!!」


 私は脱力して、衝撃で前に乗り出していた体を後ろに戻した。

 それはテブレヒトも驚くことだろう。同居人に客人扱いされたのだから。


 イーリットが私の吹き出した茶を拭きながら、テブレヒトのことについて説明してくれる。


 テブレヒト・ルヒデコットは現在14歳のエッカットの弟にあたる人物である。

 どうやら彼は体の問題で殆ど部屋から出てこないらしい。外出に至っては、13歳の準成人を迎えた時に王都でデビュタントに出席して以来、一度も無いそうだ。


 なるほど、これであの細身の体と不気味なまでに白い肌などに納得が行くものだ。


「それで、その体の問題とやらは何なんだ?」


「私も詳しくは知らないのですが、医師によると不治の病のようで、あまり長くは…」


「ふん、なるほどな」


 それはまた哀れなことだ。


「…14と言えば、来年は学習塔入学の年か」


 学習塔とは貴族の子息が15歳から18歳の間、就学する王都の機関である。

 その名の通りその期間は貴族の子息が学びを高め合う場所であり、その縁を繋ぐ場所としても機能している。多くの場合、男児は学習塔に行かなければ一人の貴族として認められない。

 ちなみに女児は家庭内の家庭教師に教わることが多く、学習塔に行くのは爵位を継ぐ可能性のある女子だけに限られる。


 つまり、テブレヒトは来年王都にある学習塔に入学しなければ、貴族の男児として認められなくなるということだ。

 この状況のまま回復する見込みがなければ、何処かの爵位を継ぐのは絶望的。

 つまりはエッカットのスネをかじる他、働きでもしない限り、生きていく道は無いことになる。

 あんな男のそばで一生を過ごすなど、身の毛もよだつ生活だ。

 流石にそれは同情を隠しきれない。


「来年の学習塔は残念ですが、断念するしかないでしょうね。せっかく第一王子がご入学されるお年ですのに、お可哀そうに」


 イーリットが拭き終えた布巾を持ちながら、頬に手を添えながらため息をついた。

 確かに14歳と言えば第一王子と同い年である。

 本人も悔しいだろうが、第一王子派のルヒデコット家としても、折角の同い年の身内であるのに学習塔での王子の側近に選ばれないことは痛いだろう。

 悔しがっているエッカットを思うと、思わずほくそ笑む。


 いやいや、哀れな限りだ、全く持って。

 せっかくの利用できる駒が使えなかったのだからな。


 しかしなぜだか分からないが内心引っかかるものがある。集まったピースが一つの答えを導いている気がするが、それがなにかは分からない。


 仕方なく、まぁそのうち分かるかと結論付けると、私はイーリットにティーセットを下げさせ、ベットに潜り込む。


 そして、忙しない一日が終わったのだった。



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