第14話 ルヒデコット家への訪問者4
暑さが淡い空に吸い込まれていくように、あたりは夕暮れ時に染まっていく。
どこか重みをもったような風が通り抜けると、黄金の庭は騒がしさを失い、静寂だけがそこに残る。
永遠とピットラをしていたロニーナは、エッカットの執事であるブルーノに呼ばれて、嫌嫌と客間に戻っていった。
「良かったですね、レオノーラ様。俺と毎日ピットラを打ってきたかいがありましたね! どうです? たまには俺に感謝する気になりました?」
使い終わった駒を箱にしまいヨセフに渡すと、彼はそう口にする。
何故だがよくわからないが、ヨセフは今回の件をすっかり自身の功績だと思っているようだ。
ヨセフは半ば無理やりやらされていたピットラでロニーナを懐柔させたことについて、私に恩を着せたいらしい。面の皮の厚いやつだ。
「阿呆、どうしてそれがお前のおかげになるんだ。大体彼女と友好を深めることになったのは不可抗力であってだな」
どうせ無駄だとは思うが反論すると、イーリットに生暖かい視線を向けられる。ヨセフに至っては素直ではないと言わんばかりの顔で肩をすくめられた。
だから嫌なんだこの親子は。
「私は玄関に先回りして客人をお見送りする準備をする。お前らはここで片付けでもしてろ」
私が諦めてそう言えば、二人はころりと調子を切り替え働き始める。仕事が早いことは良いことだが、今はそのことすら腹立たしい。
窓ガラスから射し込む夕映え色が、屋敷の廊下のカーベットの赤に混じる。
よそで忙しくしているのか使用人もおらず、ここもまた夕べのずっしりとした静寂に包まれていた。
しかしそれもつかの間、しばらく歩いているとポツリと一人分の足音が進行方向から聞こえてくる。
私がそちらに目を向ければ、一人の黒髪の少年がこちらに向かって歩いてきているのが見えた。
見たところ使用人ではない。
私が訝しげにその少年を見ていると、少年も私に気がついたようで、こちらに向かってくる。
黒髪の少年は非常に美しい容姿で、少しだけ私は驚いた。
単純な顔の作りも整っているが、それだけではない。肌は雪のように白いのに対し、瞳や髪は宵の影のように暗い。その危うげなコントラストが怪しくも儚い雰囲気を漂わせていた。
はて、貴族であることは間違いないだろうが、見覚えはない。今日他に客が来ることを私は聞いていないが、これは一体どういうことなのだろうか。
私が内心首を傾げていると、相手側から口を開く。
「君、エッカット兄さんの養子としてこの家に入った子だよね。
兄さんはまだ客間かな? 姉さんたちが来てるなら、挨拶位しようかと思ってきてみたんだけど」
黒髪の少年の言葉に私は少し硬直する。
エッカット、兄さん!?
それはつまり、この少年も彼のら兄弟の一人なのか? 確かに、先代のルヒデコット侯爵には四人の子供がいるとは聞いていたが、自身と同い年位だとは知らなかった。
「それは、ルヒデコット侯爵とベンダー公爵夫人、ルヒデコット伯爵のことでよろしかったでしょうか?」
念の為確認すれば「うん、そうそう」とその少年は笑う。
「まだ挨拶してなかったよね。
僕はテブレヒト・ルヒデコット。
先代ルヒデコット侯爵の三男で、君の叔父にあたるんだ。まぁ、年は14歳だから、兄だと思ってくれて構わないよ」
そう言って、手のひらを目の前に差し出される。その手は男にしてはあまりにも細く、病的なまでに白かった。
私はあいまいに頷きその手を取りながら、エッカットとの今朝の会話を思い起こす。
少なくとも、エッカットからはテブレヒトという弟が来るとは聞いていない。
だが、目の前の彼の容姿はどことなくエッカットやエロニムスに似ていた。血縁者というのは事実そうである。
私はひとまず彼の挨拶に答えることとした。
「初めまして、今日この日にあなたに巡り合えた神のお導きに感謝を。
レオノーラと申します。失礼ですが、私は養父様からテブレヒト叔父様が来るとは聞いておりません。養父様にこちら来るという事はお伝えなさってますか?」
私がそう聞けば、テブレヒトは当然のごとく「いや、僕も兄さんたちが来ていることをついさっき知ったからね」と、答えられる。
どうやらこの人物はアポイントメントという概念をお持ちではないらしい。
だが、ここにいるという事は門番が彼を屋敷へ通したということだ。つまりそれは、客人として扱われていることになる。
しかしそれならば何故彼は一人なのか。
正式な客人であるならば、案内役がいないのは不自然だ。
違和感がある以上、やはりここは念の為一度エッカットに確認に行くべきだと私は判断した。
「今は、ほかのご客人もいらっしゃいますので、養父様から許可をいただいていない方は叔父様とはいえ、すぐにお連れすることはできません。一度確認してまいりますので、お待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
私がそう言えば、少し大げさまでにテブレヒトは驚く。
何を一体驚くことがあるのかわからず眉をしかめると、テブレヒトはしばらく呆然としたのち、腑に落ちたかのように「なるほど」と零した。
さっぱり意味が分からない。
テブレヒトはその言葉から一呼吸置くと、何故か顔を下げ肩を震わせ始める。
今度こそ理解不能な状況に陥った私は、慌ててテブレヒトに近寄った。
そしてそこで初めて、彼が笑っていることに気が付いたのだ。
「そっか。それは、驚いて当然だね。
ふふふ、ふあははは、大丈夫だよ、エッカット兄さんは多分、僕が来ること分かってるから。その言い方だとまだ客室にいるんだね」
テブレヒトは笑ったまま唖然とする私の脇を通り抜けて、客室に向かって歩いていく。
止めるべきだろうか。
しかし、今は兄弟が集まっているのは事実。何らかの事情で急遽来ることになったとしてもおかしくはない。
何よりもどうにも彼と私とでは話が噛み合っていない気がするのだ。なんだよく分からないが、私はなにかとんだ勘違いをしているのかもしれない。
もうすべてが面倒になった私は彼を追うのを諦め、見送りの準備を優先することにした。
そしてまた、廊下にオレンジ色の沈黙が降り積もっていくのだ。
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