第13話 ルヒデコット家への訪問者3


 客室から出た私は、ロニーナを伴ってお茶会の準備をしてある庭に向かっていた。


 相変わらず頭痛がして、鈍い痛みが頭を揺らす。

 コルネリアの放つ甘い香りが頭から離れない。


「ロニーナ様、こちらです」


 そう言ってヨセフは庭に準備された白のガーデンテーブルを指さした。ロニーナはにこりとも笑わずに、ヨセフによって引かれた椅子に座る。

 私は彼女の向かい側に腰を下ろした。

 それでやっと、頭痛が収まる。


 ガラス玉が触れあるような小鳥のさえずりが聞こえる。

 この屋敷の庭は相変わらず殺風景なままだ。

 ここに来た当初、この庭のことをどこか不気味とまでに思っていたが、今は時を刻むことを忘れたように変わらないこの情景が何故か虚しかった。


 それから私とロニーナはイーリットからお菓子とお茶の説明を聞き、楽師がチェリコットと呼ばれる楽器を弾いている姿を眺めながらお茶を飲んだ。

 ロニーナは相変わらずあまり興味なさげに、ポリポリと出された菓子を口に入れている。

 その気のなさが今の私には楽であった。







「ねぇ」


 しばらくチェリコットの奏でる音に耳を傾けていると、目の前のロニーナが話しかけてくる。

 顔を上げれば彼女が「ピットラがやりたいわ。レオノーラ様はおできになる?」と、先ほどと同じようにぼんやりとした顔で聞いてきた。

 私が頷き、後ろのヨセフに視線を向けると、彼は頷いてピットラを持ち出してくる。


「お好きなんですか?」


 沈黙は金というが、流石にこの空気のままでいることに危機感を覚えた私が口を開く。

 私の質問に対し、ロニーナは伏目がちに視線を揺らしながら、運ばれてきたピットラの駒を撫でる。


「嫌いではありませんわ。あなたはどうですの?」


「そうですね。私も嫌いではありません」


 私の返答に、ロニーナは上の空のまま「そう」と口に出した。


 ガーデンテーブルに置かれた木のボードのマスには、それぞれが手持ちの駒が置けるようになっている。 

 手持ちの駒は全部で22個。役割はそれぞれ、王、王女、騎士、騎馬、弓兵、呪術師、歩兵に、悪魔を加えた8種類ある。これらは役割によってマスの進め方が決まっており、それをプレーヤーが交互に進めることで互いの王を取り合う。


「先行と後攻をどっちが決めますか?」


 駒を並べながらロニーナが聞いてくる。

 さて、どうするか。私はヨセフに一度も勝ったことのない腕前である。そこまで下手なつもりはないが、彼女が自身から提案するということは自信がそこそこあるということで、まぁ普通に負けるだろう。

 だが万が一勝って機嫌を損ねるのはまずい。ここは一般的に有利であるといわれている専攻を譲るとしよう。


「ではコインで当てた方が先行ということでいかがでしょうか」


 私がそう聞けば、ロニーナは問題ないと頷いた。

 すると、ヨセフはどこからかコインを取り出し、それを自身の手のの真上に投げる。回転を繰り返し、投げられたコインは彼の手の甲に収まった。私はその瞬間をしっかりとこの目でとらえた。

 表だ。


「私は裏で」


 素早くそう言い切れば、ロニーナが「じゃあ、私は表ですわね」とヨセフに視線を向けた。


「表です」


 ヨセフがそう言いうと、ロニーナが「私が先行ですわね」と、駒に手を伸ばした。これで、特に問題ないだろう。あとは、ぼろ負けしなければ良いだけだ。

 私は気を緩ませて、感覚を頼りに特に何も考えず駒を進めていく。


 しかし、先ほどのコルネリアのあの失言は一体何だったのだろうか。

 『私たちの事情に巻き込む』、『彼を助ける』という言葉が引っかかる。私たちの事情言うことはあの場にいたエッカットやエロニムスにも関係することなのだろうか。それとも、彼女の嫁ぎ先であるベンダー家に関わる事情なのか。少なくとも誰かを助けるということは確かだ。


 ではそれは誰か。

 まず、エッカットが呪いの内容諸々を隠しているということは、第四王子ではないはずだ。

 となると別の誰かということになるが、直ぐに思いつくのは第一王子、ロイジウスである。エッカットやコルネリア、エロニムスは全員第一王子派に属する貴族だ。ならば、この可能性が一番高いように思えるが、レオノーラと第一王子とでは接点が薄い。


 一向に導き出されない答えに悶々とする。

 圧倒的に情報が足りない。

 自由に動ける手駒がほしい。


 ダメもとでエッカットに頼んでみるか...。





「...............レオノーラ様」


 小声でイーリットに声をかけられる。


 私はイーリットに目線でなんだと問うと、「ロニーナ様は一応年上のお嬢様といことになっています。少しは立つ瀬を与えてくださって」と責め立てられた。


 まったく、そのくらい考えている。何のために有利な先手を譲ったと思っているのだか。

 しかし、私は目の前のロニーナの顔と盤上を見て、後悔することとなる。

 ロニーナは涙を瞳にためながら、盤上を睨みつけていた。盤上は私が圧倒的優勢であり、恐らくあと最短で四手あればロニーナを手詰まりにできる。いや、いまからどうあがいたところで、最終的には私が勝ってしまうだろう。

 そのような盤面まで、すでに来ていた。


「.................」


 おかしい、こんなはずじゃなかった。

 私は激しい後悔を感じながら、ロニーナの表情を盗み見る。彼女は先ほどのぼんやりとした様子から打って変わって、真剣に盤上を見ていた。上品なふるまいはなりを潜め、ぶつぶつと唇を動かしながら指を忙しなく動かしている姿はまさに勝負師だ。

 しかし、熟考したのち小さく息を吐くと、「まいりましたわ」と言い、再び貴族らしい振る舞いに戻った。


「本当に驚きましたわ。とってもお強いんですわね。

 私、実はこれでもお父様以外に負けたことが無かったんですのよ。なのに、年下の方に負けてしまうなんて、悔しいですわ。

 でも、どうしてエッカット叔父様があなたを養子に向かい入れたのか、わかった気がします」


 ぼんやりとしていたロニーナが、しっかりと発言している姿に驚く。ロニーナは驚く私などを気にせず、言葉を続けた。


「お父様方の話から、あなたがここに来る条件として何らかの使命を負わされていらっしゃるんだろうことは察していましたわ。でも、逆なのですね。あなたは使命のためにここに呼ばれ、養子となったのですわね。

 先代の隠し子ということは初めから信じていませんでしたが、本当はどこのどなたなのですか?」


 私は一瞬押し黙り、何を言っているかわからないという風に首を傾げた。

 しかし、恐らくだが彼女は自身の推測に確信を得ている。

 ここでとぼけた所で無駄だろう。


 私は内心エッカット達に悪態をついた。大体、彼女は賢く侮れないと私に助言しておいて、彼女の前であのように平然と私の事情についてを匂わせるよな会話をさせるから、このような事態になるのだ。

 いや、よく考えればこれは悪いことではない。同年代に自身の事情を知るものがいるということは、協力を得られるではないか。

 喉から手が出るほど欲しい情報源。

 だから問題は、どこまで話すかだ。



 目の前のロニーナが駒をいじりながら、楽しそうに微笑んでいる。どちらにしろ、彼女は私が考えていたよりも、エッカットの身内らしい人間だったということだろう。

 気を付け無ければ私が手の内で転がせられかねない。必要以上は話さず、曖昧にして逃げきろう。


「......確かに、私は使命を負ってはいます。が、出身についてはご容赦していただけますか。大した身の上ではございません。ただ、卑しい身の上故あまりお耳に入れたくないのです」


 曖昧に微笑みながら私がそういえば、ロニーナは満足そうに頷いた。


「かまわないわ。私こそごめんなさい、あまり聞かれたくないことだったのね。

 そんなことよりも、もう一戦しましょう。

 言っておきますが、余計な手加減をしたら許さないわよ」


 どうやらヨセフのほかにも、無類のピットラ好きがここにいたようだ。

 頭上の広がる紺碧こんぺきの空の様な、深い青の瞳を煌めかせるロニーナは、ピットラのボードを前へと押す。


 彼女を見ていると、真面目に考えることが馬鹿馬鹿しくなりそうだ。


 後ろのイーリットとヨセフがほほえましいものを見るように私を見ていた。ヨセフが少し得意げなのが忌々しい。 

 

「わかりました。私でよければいくらでも」


 そう言って私がぎこちなく微笑めば、ロニーナは「ええ、レオノーラ様。私、生まれて初めて同年代の方と遊んで楽しいと思えたわ。ぜひあなたにロニーナと呼ばれたいわ。いいかしら?」と、手を目の前に出される。

 一瞬遅れて、握手を求められていることに気付く。どうやら、友人認定されたらしい。

 図らずも、エロニムスの頼みを果たすことができたようだ。まぁ、レオノーラという女の設定に深みを出すためにも、友人の一人くらいはいた方がいいだろう。


「ええ、どうぞ私のこともレオノーラとお呼びになってください。せっかく、友人になれたのですから」


「ええ、そうするわ。レオノーラ!」


 花咲くような朗らかな笑み。

 乾いた夏の風。


 私の友人となった少女は幸せそうに笑う。

 そう、悪くもない。



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