第12話 ルヒデコット家への訪問者2

 それから次の日。

 身を刺すかのような日照りが白のバルコニーに反射する、そんな夏の正午。

 このルヒデコット家には、三人の客人が訪れていた。

 

 私は現実、客室の前まで来て部屋に入る許可が出るまでの間の待機をしている。


 今日の私の後ろにはヨセフとイーリットがどちらともいた。それは、ロニーナ嬢が来ること考えて、一応女性の従者がいる方がいいだろうという配慮だ。


 その二人の顔はいつもよりも少し固く、緊張した面持ちであった。どうやら私がはじめてエッカット以外の貴族と対面をすることに、身構えているようだ。


 私も全く緊張していないわけではないが、ガチガチになった彼らを見ていると逆に力も抜けてくるというものだ。


 私はイーリットが張り切って用意した空色のドレスの端を整えながら、待つこと数分。

 ブルーノから入室の許可をもらい、客室の中に入った。


「失礼いたします」


 私が中に入り顔を上げれば、エッカットの向かいのソファーに二人の大人の男女と、一人の少女が座っていた。


 その二人の男女の姿を認めた瞬間、衝撃で固まる。


 私はエッカットの姉弟と聞いて、てっきりヴァンパイアの様に生気のないが男女来ることを想像していたのだ。

 そう想像せざる負えないほど、わがご主人様は不気味な男だった。


 しかし、その予想は激しく裏切られることになった。


 笑みを浮かべた男は、エッカットと同じ灰の瞳を持っていいるが、生気のないエッカットの瞳とは比べ物にならない穏やかな光を灯している。

 赤みの強いブロンドの女は、つりあがった目じりこそ似ているものの、その頬と唇は薔薇のように赤く、強い生気は放っていた。


 間違いなくこの二人の貴族がエッカットの姉弟のエロニムスとコルネリアなのだろう。

 しかし、良くて40代にしか見えないエッカットとはあまりに違う。若々しい男女。


 私は混乱の極みに立たせられながらも、どうにかエッカットの後ろに立った。

 エッカットが私の方を一瞥する。そして、「例の養子だ」と短く言い切り、私に目配せした。

 恐らく、自己紹介しろという事だろう。

 姉弟の二人は優しく微笑み、私を見ている。

 一方、エロニムスの隣に座る少女は特に私に興味も無さそうに、ウロチョロと視線を彷徨わせていた。


「お初にお目にかかります。今年からここの養子としてお世話になっています、レオノーラ・ルヒデコットと申します。今日この日にあなた様達と巡り合えた神の御導きに感謝いたします」


 ディアナに叩き込まれた礼をすると、コルネリアが立ち上がり私の前に立った。

 そして、急に私の手を優しく包み込む。

 その瞬間、女特有の甘い香りが私の鼻孔くすぐり、肌が粟立つの感じた。それをこらえるために、私は歯ぐきを食いしばり、息を吐き出す。


 私の動揺を感じたのか、彼女の後ろから「姉上。レオノーラが驚いてるだろ」と苦笑する、エロニムスであろう声が聞こえた。


「ごめんなさい、あなたが来てくれたことが嬉しくて。コルネリア・ベンダーと申しますわ。

 今日この日にあなたと巡り合えた神のお導きに感謝を。

 あなたを私たちの事情に巻き込んでしまうことはたいへん心苦しいけれど、あなたが彼の助けてくださるのなら、心強いわ。協力してくれてありがとう」


 コルネリアのローズブロンドがその乳白色の肩から零れ落ちる。

 細い骨が浮き出た手折れてしまいそうな珠肌の指は私の手から離れない。


「どうしたの? 緊張してるの? 大丈夫よ、落ち着いて」


 高い、優しくて、苦しくなるような声。


 私は後ずさりながら、必死に頷く。

 そうして初めて、私は彼女から開放された。


 私は長らく海に潜っていたクジラのように、深く深く息を吸う。それで初めて、私はコルネリアのは発言のおかしさに気が付いたのだ。


 彼の助けになるとはいったい何のことだ?


 彼女は私の呪いのことも、その内容も知らない。ならば少なくとも第四王子ということは無いはずだ。


 何しろ彼女はコルネリア・ベンダー。そう、現ベンダー公爵家の公爵夫人なのである。

 第一夫人の生家であるベンダー家の夫人が第四王子を推すなどあり得ない。


 私が混乱しながらエッカットを見ると、彼は小さく首を振っている。その様子を見て、コルネリアがでっぷりとしたまつげをパチクリと動かし、それから一人合点するように「あっ、そうですわ。まだこれは内密でしたわ」と呟いた。


 流石の私も、コルネリアが口を滑らせたのだと察する。

 何とも言えない重苦しい空気が部屋に流れた。


「あの? どうかいたしましたか?」


 仕方なくわざとらしくとぼけると、コルネリアは「なんでもありませんわ。今のは忘れてくださいまし」と素早くい言い切った。

 何と言えばいいか、いくらなんでも無理があるだろう。

 エッカットの生暖かい目線が後ろから突き刺さる。私は悪くない。

 

 私がそんなことを思っていると、気を取り直した細身の紳士であるエロニムスが私の前に立った。


「じゃあ、私も挨拶させてもらおうかな。

 私はエロニムス・ルヒデコット。

 今日この日に君に巡り合えた神のお導きに感謝するよ。

 驚いたよね。姉上はああいう人なんだ。その、いろいろと大変だと思うけど、よろしく頼むよ」


 彼は灰色の瞳を細め、私と握手を交わす。


「...私がお力になれるならば、うれしいです」


 私の返答に彼は頷くと、滑るように視線を自身の斜め後ろに座った少女に向ける。


「それと、隣にいるのが娘のロニーナだ。君より一つ年上かな、仲良くしてやってくれるとうれしいよ」


「はい、私も仲良くさせていただけるとありがたいです」


 私が社交辞令的にそう返せば、目の前の男はクシャリと目を細めて微笑んだ。

 相変わらずロニーナはふわふわとした表情で遠くを見ている。よくわからないご令嬢だ。

 エロニムスは私の表情で、私が彼女に対して何を思ったのか察したらしい。「変わった子なんだ。どうも、同い年の子と仲良くやれないみたいでね。出来れば、君が遊び相手になってくれると、嬉しいんだが」と耳打ちしてきた。


 そこで私は絶句する。彼らは本当に私が幼少期から戦闘訓練を受けた魔人であり、もうすでに何人かの人間を葬っている殺しのプロ、だということを理解しているのだろうか。そんな人間を娘の友人にするなんて、とても正気とは思えない。


 私は一瞬、横にいたエッカットの表情を見た。目の前でニコニコと笑うこの男が、後ろで先ほどの失態を忘れたようにご機嫌に茶を楽しむ女が、私ことを正しく理解しているとは思えなかったのだ。


 エッカットの生気のない瞳は伏せられ、こちらからだと見えない。だが、いたって通常運転なことから考えるに、彼らのこの反応をすることをエッカットはわかっていたということか。

 本当に頭痛がする。いったい何を考えているのだ、わが主人は。



「さて、あとは二人は庭にでも行って遊んでおいで。二人とも年頃の女の子なんだ、きっと話も合うだろう」


 エロニムスがロニーナの肩をたたくと、彼女は無言でうなずき、従者の手を借りながらソファから降りた。

 私は頭痛をこらえながら、イーリット達に庭に案内するように指示をだす。ヨセフが心配そうに一瞬私の方に目をやったが、そのままロニーナ達の案内を始めた。

 私も気を取り直し、部屋から出ようと立ち上がる。

 そして、一度後ろを振り返り退出の礼をしようとすると、コルネリアとエロニムスの会話が少しだけ聞こえてきた。


「…すべては、アンネ様の息子である、ロイジウス第一王子のために」


 その言葉が耳に入ると同時に、髪の長いあの女が薄気味悪く笑った気がした。


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