第38話 ベンダー公爵家の住民7






「それじゃあ、その心当たりとやらを聞かせてくれるかな」


 再び席に着いたローマンが、膝の前で腕を組みながら私に問いかける。腰掛けた椅子の微かに軋む音。甘いアーモンド色の瞳が細められる。


「…大したことを知ってるわけじゃない。ただ、私が魔法を使えるようになったとき、忘れていた記憶を思い出しだした。

 昔、私はグリジマニア山脈で森導くものティプナスのことを見ていたことを」


 私の言葉にローマンは眉間にしわを寄せる。そして、自身の唇に触れながら、何かを考え込むように瞳を伏せた。


 エッカットには話すとなと言われていたが、命には代えられない。この記憶を思い出したことと、私の魔法が使えることにどのような接点があるのかは分からないが、とにかく何か話さねば。

 私はローマンの反応にびくびくとしながら、彼の様子を見守る。


「......君は、本物の森導くものティプナスに出会ったことがある。しかもそれを忘れていた?」


 私が頷くと、ローマンは酷く顔を顰めながら自身の指を額に当てた。その手は真っ白で、武器など一度も触れたことななさそうな美しいものだった。

 そして彼はしばらく顔を伏せていたが、眉間に溝を作ったまま顔をあげる。鋭い表情だ。イラつくように眉間を叩きながら彼は「.......私には判断がつかないな」と呟やく。


「ジェロイ、少し早いが彼を呼んできてれ。意見を聞きたい」


「承知したしました」


 私にはよく分からないが、指示を受けたジェロイは軽く会釈をすると、すごすごと部屋から出ていった。そして、ほとんど間もなく一人の老人を連れて部屋に戻ってくる。私はその老人に見覚えはなかった。

 さほど身分の高くなさそうな身なりをした小柄な白髪の老人は、部屋に入にいるローマンの姿を見て恭しく頭を下げる。下げられた彼の脳天を見れば毛が抜け落ち、つるりとした頭皮見えていた。


「お呼びでしょうか、公爵様」


「うん。君にこの魔人の鑑定をしてもらおうと思ってね。頼めるかな」


「なるほど......。さようでございましたか」


 老人がぎょろりとした瞳を私に向ける。その視線は意思のある何かに向けられるような物ではない。まるで虫か何かを見るかのような視線だった。

 私はそれにぞっと背筋が粟立つ感覚を覚える。


 だが一方二人の会話からこの御仁が何者であるのかは察することが出来た。

 彼は恐らく魔力鑑定士だ。


 魔人というのは生まれたときはただの子供であるので、どの魔物の子供かは分からない。そのため、その子供が本当に魔人であるか、また魔人であるならどのような魔物の血を引いた魔人なのかを判定する必要がある。

 そこで目を付けられたのが魔力と呼ばれる魔人や魔物に共通して見られる力だった。魔人と思われる者の体内には、魔力と呼ばれる魔法の元となる力がある。それらの銘刻石ランテースと呼ばれる石でパターンや色彩を測り、より近い反応をする魔物の魔力と比較して鑑定を行うのだ。


 それらの職人がいる場所は主に奴隷商の元などが多い。売られてきた魔人の種類を判断するためだ。この老人もその類の者なのであろう。




 老人は私のもとに近寄ると、私血まみれの手を一瞥する。そして、何も言わずその手を掴み自身の持っていた黒い石につけさせる。

 すると石は、濁った緑色に染まり、石の中に歪な樹皮のような模様を浮かび上がらせた。

 私はそれを見て思わず息をのむ。浮かびあがた石の色が私が里で調べられた時に出たものとは明らかに違ったのだ。


 老人は変わった石の色も見て、「おおぉ、これは」と声を発する。


「これは驚きました。通常個体よりも明らかに魔力量が多い。しかも、パターンも通常個体とは違いますな。だが、間違いなく森導くものティプナスの魔人でしょう」


「ふーん、そうなんだ。

 うーん、実はこの個体、一度本物の森導くものティプナスに遭遇しているらしい。その記憶は一時は忘れていたようだ。

 それがその魔力量に関係すると踏んでいるんだが、どう思う?」


 ローマンのの問いにその老人は大げさに驚いて見せる。そして、まじまじと私の覗き込んだ。


「それは凄いですね。今まで生きた森導くものティプナスの目撃証言はほとんどありません。もしこの個体がそれを見ているのだとすれば、恐らく初めてのケースだと思いますな。

 それに、記憶をなくしていたとなると......、もしかすればこの個体、森導くものと契っている可能性があります。それならば、公爵様魔の言う通り銘刻石ランテースのこの反応も頷けますな」


 老人は感心したように私のことをなめまわすように見て、自身の顎髭を撫でた。

 私は思わず「契っているだと?…そんなわけが。私は子供を孕んどことなど一度もない」と声に出してしまう。

 すると老人は呆れたように肩をすくめた。


「子を孕んだって意味じゃない。魔人も魔物の生殖器官をもってないからな。

 魔物は人間の母親に自分の子供、つまり魔人だな、を生ませるために自分の肉片を人に食べさせる。それと同じことが起こったんじゃないかって話だ」


 私は老人のその発言にゆっくりと呼吸を止めた。


 あの日の記憶を失った理由を、私は真剣に考えていなかった。

 しかし、記憶をなくすなど本来ならば起こりない異常事態。何らかの理由があるに決まっているはずだ。


 とても簡単な話、魔人と出会ってその記憶を失うのはどのような状況であるのか。

 そんなもの、魔物と契った母親以外にあり得ない。


 自身の口元に自然に指を持っていく。食べたのか、私は。彼らの肉片を。フラッシュバックするのは伸ばされた白い手。『おいで』『おいで』と手招きする、その美しく魅惑的は声声。

 私は口を手で押さえて、必死に吐き気をこらえる。喉の奥から酸の匂いがする。目じりからは押し出されるように涙が出て、視界がゆがんだ。奥歯が震えた。


「魔物肉片にはその魔物の力が宿るといわれます。この個体が肉片を食べているとすれば、この銘刻石ランテースの反応にも納得がいかないこともありません」


「......なるほど、ね」


 そういったローマンは、何かを吟味するように私のことを眺める。

 私は何もできず、口を押えた状態でうずくまった。


「公爵様、この個体、どうするおつもりですか?」


 老人が顔を伏せながら覗き込むようにローマンの表情を伺う。その肌を撫ぜるような気持ちの悪い声色に、私は本能的に身を縮めた。


「悪いがこれはこちらで使おうと思っている。今日は助かった、下がっていい」


「さようで、分かりました。もし、不要になった場合は」


「考えておこう」


 老人は唇の端を引き攣らせるように笑うと、もう一度私の体をなめまわすように見て、部屋の外に出ていった。その間、私はその息を止めて、必死に自身の体を抱きしめる。体の震えが止まらない。吐き気がとめどなく溢れだす。

 ガタンという音共に老人が見えなくなると、ローマンが視線を流しながら首を傾け、自身の額に指をあてがう。そして、しばらく黙り込んだ後、「まぁ、いいのかな」とぼそりと溢した。

 私はその言葉に顔をあげる。


「うん、じゃあわかった。君のことを使おう」


 独り言のようにそういうと、ローマンは気を抜いたようにイスに深く座りなおした。そして当初と同じように膝の上で手を組み、お手本の様な笑顔を作る。


「とりあえず君の力はただの偶然の産物であって、ルヒデコット侯爵が意図的に作ったものではないんだろう。

 彼がどうやって君を探し出したのかは分からないけど、それはこの際置いておこう。私は彼のことを信用しているからね」


 どの口がいうのだという言葉を吐くローマンだが、どうにか納得していただけたようだ。

 私は安堵で思わずほおを緩ませた。どうにか乗り切った。

 衝撃的な真実に気が付かされてしまったが、これ以上を考えると本当に吐いてしまいそうで、私は何度も唾を飲み込みその吐き気をこらえた。


「よし、それじゃあ私は一度自室に戻ろうかな。コルネリアにも不審に思われると困る。それじゃあレオノーラ、話の続きは明日にしよう。また明日ここに来なさい、君に頼みたいことがあるんだ」


 そう言いながら立ち上がったローマンは、いい笑顔でそういって私の肩に手を置く。そして耳元まで顔を近づけ、息を吹きかけるように囁いた。


「明日は君のお仲間も連れておいで、彼らにも手を貸してもらうつもりだから」


 私は大きく目を見開く。ローマンはそんな私の表情に満足したように笑い、そのまま横を通り抜けていった。そして、部屋を出ていく際一度振り返って「後、いいことを一つ教えてあげる。初対面の人間が握手をしてこないというのは、同じ人間をして扱われていないという証拠だ。そういう人間は信用しない方がいい。いい教訓になっただろう、それじゃあね」と残して扉を閉めた。



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