第37話 ベンダー公爵家の住民6






 

 私は瞬時に太ももに入れたナイフを握りこむ。そして、ソファーの横に転がりこみ、飛び掛かってくるジェロイを避けた。

 ジェロイの体重が地に叩きつけられ、背後でズゴンと音がする。

 私はすかさず体制を整え、ナイフのカバーをとり、それを構えた状態で彼をにらみつけた。


「「.......」」


 ジェロイも同じく体制を立て直し、躊躇なくナイフを構える私に迫りくる。

 だが、遅い。

 私は体勢を低く保ちながら、ジェロイの腕の中に入り込む。そして力任せに構えたナイフをの喉元に叩きこもうとするが、ジェロイはとっさに背をそって体をいなし、私のナイフを避けた。


 私はジェロイの崩れた体勢に見逃すわけもなく、避けられたナイフをとっさに内側に握り直し、そのまま振り下ろした。

 彼は酷く表情をゆがめながら、どうにか私の手首を掴んで振り下ろすのを阻んだ。


 私は掴まれた勢いのままジェロイを体で押し倒し、その大柄の体を押さえつける。そして彼の肩に足をかけ、両腕に全体重を乗せた。少しづつ首元に向かて、そのナイフが落ちていく。


「グッ.......」


 私に向けられて刃を必死に抑えるジェロイの表情が苦痛にゆがむ。力負けしているのだ。

 こいつ、魔人にしては力が弱い。私は口角をあげる。

 勝機がある。私は全力でそのナイフに向かって体重をのせた。ジェロイの手が震え、剣先が彼の硬そうな顎になんどかあたる。その度にジェロイはびくりと顔をひきつらせた。


 このままいける。

 そんな思考が頭をかすめる。


 その刹那、全く違う方向から私の体に衝撃が走った。そのまま私は、勢いよく横になぎ倒される。

 とんでもない怪力に押し倒された私は必死になって起き上がろうとしたが、私の上に先ほどローマンの執務机の後ろで佇んでいたメイドがで馬乗りになってきた。私がそれを振り払おうとするが、メイドの女はピクリとも動かない。

 こちらも人間の力でない。こいつら二人そろって魔人である。


 私が必死に抵抗しながらどうにか顔を上げれば、首元に刃物を突きつけられていた。そして余ったもう一つの手で、彼女は喉元を締め上げる。私は恐怖から唾をのむ。


 彼女のその獰猛な目つき。びくとも動かない強靭な肉体。

 私は瞬時に、このメイドに自身が勝てないことを自覚する。


 私は悪あがきとして、必死に自分の手から離れたナイフを探したが、それに気がいたジェロイがナイフを部屋の角に蹴り飛ばす。ナイフが部屋に壁にぶつかったであろう、カランという軽い音響いた。


 とうとう打つ手なしになった私は喉を絞められたまま、私は若葉色のおさげを下げたメイドを必死ににらみ上げた。それが最後の悪あがきだったのだが、彼女は私を見下ろしながら満足っげに口角を吊り上げニヒルに笑う。

 その左右不均等の笑い方に背筋が冷える。


「お嬢ちゃんなかなかやるねぇ。それとも後ろのポンコツが相変わらず無能なだけかな。ま、何にせよ、ちょっとおとなしくしてもらうよ」


 メイドはそういうや否や、私の頭に向かって自身の頭を振り下ろす。何が何だかわからないまま彼女の頭を勢いよくぶつけられた私は、下あごと上あごをぶつける。脳が衝撃に耐えきれなかったのか、意識がもろうとする。


 吐き気を催すほどの痛みが頭頂に走った。喉から自身の意味不明なかすれ声と、鉄の味が漏れ出る。血液の独特の匂いが鼻にたまって吐き気をよりひどい物になった。


「いっちょ上がりねぇ」


 メイドはそういってふらり立ち上がると、もだえる私の髪を鷲掴みにし、ズルズルとどこが向かって連れていく。

 その私にはもう平衡感覚さえもなく、何の抵抗もできなかった。


 室内を引きずられたらしい私はすぐさま地面に転がされ、目線をあげれば目の前には黒い靴が見えた。そしてその靴の人物は、この場に似合わない間の抜けた拍手をする。

 私は震える瞼をどうにか薄く開けて、顔をあげた。


「すごいね、まさかジェロイを押し倒すとは思わなかったよ」


 ローマンが先ほどと変わらない声色で感心してみせる。本当に心からそう思っているのだろう。


「それじゃあ、互いの立場をわきまえたお話をしようじゃないか。ねぇ、レオノーラ」


 彼の甘いアーモンド色の瞳がうっすらと細められた。それは先ほどまでと変わらない平凡な男の平凡な微笑。ただ、そこに見えるのはベンダー家当主としての抜け目ない男の姿であった。

 本当にくそったれだ。



 私はメイドに背後に立たれた状態で、床に座らされる。片手は腕をひねりあげられ、反対の肩には手が置かれていた。

 目の前には足を組んだローマンと、その後ろに控えるジェロイの姿。ローマンは頬杖をつき、私のことを何の感情もこもらない目で見下ろしている。


「とりあえず、さっきの質問をもう一度しようか。エッカットはどうやって君を探し出したんだ?」


「言っただろう。知らない…どうせ、森導くものティプナスだったらなんでもよかったんだろう」


 私がふてくされたようにそう話すと、ローマンは話の分からない奴だというように首をゆっくり横に振る。

 そして頬杖をついていた手でこめかみを触りながら、瞼を伏せた。


「…ふむ、質問を変えよう。君はいつから魔法が使えた? ルヒデコット侯爵に雇われる前か?」


「後だ。私もそれまで自分が魔法を使えなんて知らなかった。あいつ…ルヒデコット侯爵が私に魔人でも原理上できるはずだと言ってきて、それで使えた」


 私が投げやりにそう答えると、ローマンが凍えるような視線を私の背後に向ける。その瞬間、私の腕をひねりあげるメイドの力が強くなる。私は漏れ出しそうになる叫びを必死耐え、歯をかみしめた。

 ローマンがのそりと立ち上がり、私の前にしゃがみ込む。そして、私の頬を掴み無理に上を向かせた。


「馬鹿を言うな。原理上できることと、実際にできることでは全く意味が違う。

 お前が使う魔法は一件たりとも前例が無いうえに、森導くものティプナスという魔物は長年目撃証言すらなく、魔法の内容も不明なままだった。

 それなのに関わらず、ルヒデコット侯爵はお前をよこし、今回の計画を私に提案してきた。これがどれほどの異常事態かわかるか?」


 低いイラつきのこもった声で私にそう言うローマンの表情は険しいものだった。


「もう一度聞く、お前は何故その魔法が使える?」


「.......だから、知らない! 知らないんだよ」


 私はそう吠えるように言いながら、エッカットの言動を思い出す。


 あの男、何が本来この世に魔法を使えない魔人などいないだ。やっぱり私の認識が正しかったんじゃないか。馬鹿なのか。

 いや、ここはエッカットに対する罵倒ではなく、どうやってこの状況を抜け出すかを考えねばならない。


 あの男は確か、私が魔法を使えるようになったきっかけである、グリジマニア山脈での森導くものティプナスの出会った記憶を他言するなと言っていた。もしかすれば、あれが原因で魔法が使えるようになったのだろうか。


 いやだが、それだとエッカットは本当にたまたま私を見つけてきたことになっていしまう。何せあの出来事は誰も知らないのだから。

 あいつは何の情報もなく行動するだろうか。


 いや、違う。エッカットは森導くものティプナスの魔法について初めから知っていた。何も知らないということはない。少なくと彼は彼なりの情報と確証があったはずだ。

 だめだ、わからない。

 私はローマンに頬を鷲掴みにされたまま視線を泳がせ、唇をかむ。


「本当に、知らないんだな」


 ローマンが地を這うような声で私に問う。私は視線を合わせないまま頷くと、ローマンは私の頬から手を放し、再び私の後ろメイドに視線を向けた。


「エマ、二本だ」


「了解です」


 私はその言葉に息をのむ。とっさに身を捩ってエマから離れようとするが、彼女はすかさず私の口をふさぎ、ひねりあげていた手についた私の小指と薬指が握った。

 グッギッ

 激痛が右手に走り、私は塞がれた開閉しながら声にならない悲鳴を吐き出した、背中にどろりとした汗の感覚。奥歯が震えてカチカチと音がなる。


「もう一度聞く、お前なぜ魔法が使える?」


「.......ハッァ.......そ、.......れは」


 頭がガンガンと打たれるように痛い。喉元に空気の塊が詰まったように声が出ない。

 ローマンは私の汗でべたついた髪を掴み上げ、私のゆがんだその表情を覗き込んでいた。細めた瞼から覗く甘い瞳は、いっそ不気味なほど何の感情も感じない。


「私も本当はこんなことをしたくないんだよ、レオノーラ。でも彼が、ルヒデコット侯爵が君みたいな存在を好きに作り出せるなら、大きな問題となる。

 私はベンダー侯爵としてこれらに回答を得ないことには、君を王家に近づかせるわけにはいんだ。

 どんな心当たりでもいい。言ってくれるかい?」


 ローマンの掌が私に首元に下がってくる。その冷たい手にひらが喉元触れると、私は自身の生命の危機を肌から感じ取る。

 このままいけば、この男に殺されるかもしれない。ぞっとするような予感が背後から忍び寄る。


 エマの手が私の口から離れる。だが、私は私の顔を覗き込むローマンから目線をそらせず、息をつくことするできずに硬直していた。



 これは、無理だ。

 このままでは殺される。



「.............................エマ、後二本行こうか」


 ローマンが私から目線を外し、私の背後にいるエマのほうを見た。私の指にの何かが触れる。私はとっさに「待ってくれ!」と声を発した。


「待ってくれ。分かった。心当たりを話す。だから、待ってくれ…」


 たまらず私がこぼした掠れるような懇願に、ローマン片眉をあげ「そう、助かるよ」といい、私の髪を離した。

 後ろにいたエマが「どうしますか?」と聞くと、ローマンが薄く笑って「…離してあげなさい」と答える。

 エマは言葉の通りひねりあげていた私の手を離した。


 私はそのまま重力に従い前方に倒れ、おられていない方の手で体を支えた。吐き出す息から生気が零れ落ちるような感覚を覚える。体に力が入らなかった。



「.......やっと、お互いの立場をわきまえた話ができそうだ」


 先ほどと変わらないローマンの声がする。私の視界が涙で霞む。荒い息を整えながら私はただうなだれることしかできなかった。




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