第36話 ベンダー公爵家の住民5






 それから従者によって茶菓子も届けられ、私たちは舌鼓を打った。

 出された茶菓子はガレットと呼ばれる小麦粉と雑穀のようなものが混ざった焼き菓子であった。


 私がガレットをかみしめると、独特の香りが口の中で広がる。ポロりと零れるような触感とざらりとした感触が癖になる。

 続いてだされた茶を飲むと、すっきりした香りが口に広がり、私は思わず口元をほころばせた。

 レオノーラとして生活し始めてから色々なお茶を飲んできたが、その中でもこのお茶はかなりおいしいだろう。備え付けられたガレットが甘いため、相性もいい。


「気に入ったようだな。俺のもひとつ君にやろう」


 隣からノルベルトの声が聞こえてきたと思えば、私の皿にノルベルトの分のガレットが一つ置かれる。

 私は食べ物に夢中になっていたことに気がつき慌てて顔をあげると、涼しい笑みを浮かべたノルベルトが私を見下ろしていた。

 その表所はクルトが浮かべる顔に似ている気がする。つまり、かなり馬鹿にされたような気がする。


「頬についてるぞ」


 自身の口を指さしながら、ノルベルトが笑う。

 私は「失礼いたしました」と言って口元をぬぐった。その余裕ぶった表情に特に理由もなくイラつく。私が少し顔が顰めたことに、彼は微笑みながら困ったように眉を下げた。

 その様子を隣で見ていたであろうコルネリアが声をあげた。


「二人ともがうまくやっていけそうで良かったわ。これなら来年の第一王子の護衛も任せられる。愚弟にしてはなかなか素晴らしい方法を思いついたものね」


「そうだね、ルヒデコット侯爵には感謝しなければ、これで来年からの学習塔における私の不安も薄まったよ。しかし、彼がどうやってレオノーラのような兵士を見つけてきたのかはかなり気になるな。

 レオノーラは何か聞かされているのかな?」


 ローマンと問いに私は一瞬答えに詰まるが、すぐに「いえ全く」と答えた。こういうのは当たり障りのない回答を選ぶべきである。

 それに対してローマンは残念そうに「そうか」と答えた。


「確かに、俺も森導くものティプナスのような力を持つ魔人がいるとは全く知らなかったから、お前の話を聞いたときは酷く驚かされたな」


「ええ、私も驚きましたわ。レオノーラは自分が魔法を使える理由に何か心あたりはありませんの?」


 ノルベルトの言葉にコルネリアが力強くうなづき、それから私のほうを見て首を傾げた。

 やはり、森導くものティプナスが魔法を持っていない、魔法の使えない魔人だと思われているのはここでも同じのようだ。


 私は「いえ、さっぱりです」と答えながら思考を回す。


 私が魔法を使えるようになった報告をした時、エッカットは何かを察したような様子であった。あれは何らかの魔法を発動させるヒントを得ていたということなのだろうか。

 たしかあの時エッカットは忘れていた森導くものティプナス記憶を他言しないように私に命令したのだ。

 何の意味があるのかは私には分からないが、この現象についての手掛かりになる情報であった可能性がある。うかつなことを言ってぼろを出すわけにはいかない。

 私は自身の甘い指を軽くなめながら、しらばっくれた。ガレットがおいしい。


 ローマンはそんな私の反応に対し、「そう、なら仕方ないね」と言って微笑みを浮かべる。どうやら諦めてくれるようだ。その他二人もそれ以上追及する気は無いようで、全く違う話題を話し始めた。

 これほどもまでに追及があっさりとしていると、本当にただ話してみたいという理由で、私はここに呼ばれたのと認めざる得ない。

 何というか、エッカットと私で必要以上に警戒していただけに、拍子抜けともいいところである。最近すこし疑り深くなっているのだろうか。


 私はそんな反省をしながら、ゆっくりとお茶を飲んだ。


「じゃあ、実際に魔法を見せてくれないかな?」


 簡単に引き下がったと思っていたローマンが、そう私に提案してくる。私は特に問題がないと感じたので、一番初めにテブレヒトに見せたように髪と瞳を黒くする。すると席に座っていた三人がそれぞれに驚いた。


「まぁ! 本当に変わるのね」


「これはすごいな」


 コルネリアとノルベルトが感嘆の声をあげる一方、ローマンは少し眉間にしわを寄せて私を見ている。私がその視線に気が付きそちらを向くと、彼はすぐに柔和な表情に切り替える。

 まぁ、確かにこの力は目の前の光景を懐疑的に思ってしまうほど奇怪なものだ。ローマンの反応も仕方がないだろう。



 その後、元の姿に戻り、コルネリアから王都についての話を聞いた。


 この王都は市民街と、貴族外の二つのエリアで構成されている。貴族街は聖火塔を中心にその周りを学習塔を取り囲むように構成されている。市民街から貴族街に入るには許可証が必要となるが、市民街に入るのには特に制限がされていない。

 ちなみに私は今朝、市民街から貴族街に入ったわけだが、これがかなり苦労する羽目になった。それもそのはずで、エッカットから渡された許可証には女と記載されていたのにもかかわらず、私の格好は男装であったからなのだ。

 朝から憂鬱になるわけである。


 私はコルネリアの話に適当に相槌をする。しばらく話を聞いていると、彼女は背筋を伸ばし私に詰め寄ってきた。


「そういえばレオノーラは王都で行ってみたい場所とかはありますの? せっかく王都に来たなら色々と回って見ればいいと思うのだけど」


 私は思わず身を引きながら、視線を泳がす。


「.......行きたい場所ですか、国立図書館にはいこうと思っていますが、それ以外はまだ未定ですね」


 私はヨセフがしたピットラの歴史についての話を思い出しながらそういうと、コルネリアが楽しそうに「なら!」と言ってノルベルトのほうを見た。

 その瞬間ノルベルトの顔が若干引き攣った気がした。


「ノルベルト、あなたがレオノーラをエスコートするといいわ。レオノーラは王都は初めてだし、国立図書館に行くならあなたが連れて行ってあげるのが一番よ。いいわよね?」


 コルネリアが首を傾げるが、これは提案ではなく決定事項なのだろう。ノルベルトは少し困ったような顔でうなづくと、彼女は「決まりね!」と言って某ピットラ好きの少女をほうふつとさせる無邪気な満面の笑みを浮かべた。

 私よりも楽しそうなコルネリアの隣で、ノルベルトと私が視線を交わして肩をすくめる。問題のある上司を持つとお互い苦労するものだ。




 その後、ノルベルトとの約束の日程だけを決め、私は宿に帰ることとなった。

 本当にあっさりとした終わりに、正直何のためにここに来たのかという目的を忘れかけていた。そうだ、私は王宮内や、第一王子の情報を得るつもりで来ていたんだ。全く何も聞いていない。

 まぁ、次にノルベルトに会うときにでも聞くこととしよう。


 部屋から出ていく際に、コルネリアに屋敷に泊まらないかと勧められたが、その提案は丁重に断る。この屋敷にいては心身共に休まらない。正直言って全力で勘弁していただきたい。

 すると隣のローマンも、それは急すぎるだろうと彼女をたしなめる。

 正直助かったと思いながら、従者に連れられるまま客間から出て、私は玄関に向かった。


 どうにか訪問が終わったが、徒労感が酷い。

 結局、第一王子の話や、王宮の情報を得られなかったのだ。一体何のために私は王都まで来たのだ、私は。

 自己嫌悪に追われるものの、その思いをどうにか振り払い廊下を突き進む。


 すると先ほど分かれたはずのローマンに、背後から声をかけられた。

 振り返ってその姿を見る。

 ローマンは先ほどと同じような微笑みをたたえて、そこに立っていた。彼の後ろには騎士団長であるジェロイもいる。私は体を向き直し、見上げるように顔をあげた。


「はい、何か御用でしょうか?」


「すまないね呼び止めて。少し君に聞き忘れてたことがあって。今から少しだ僕の執務室に来てもらっていいかい?」


「執務室ですか?」


 ローマンの言葉を復唱すると、彼は相変わらず優し気な笑みを浮かべながら、「ダメですか」と続ける。

 私は特に断る理由もなかったので、二つ返事で承諾すると、ローマンは安心したように肩を撫でおろした。


「よかった。じゃあついてきてくれ」


 そう言って歩き出すローマンに続き私が歩き出すと、その後ろにジェロイが続く。かなり大柄な男だからか、彼が歩くたびに床が軋む音が響いた。


 私にわざわざ一人で聞かねばならないことは何であろうか。軽く考えるが思いつくものはない。考えても仕方ないのでおとなしくローマンの後ろをついていく。

 そして私は連れていかれるまま執務室の中に入った。


 執務室の中には水色と白を基調とした内装が美しく広がっている。

 清潔感と高貴な美しさを宿した装飾に、エッカットの執務室との違いを見せつけられ、乾いた笑みがこみあげる。エッカットの機能性以外の部分をすべてそぎ落とした部屋とは対称的な、高貴さと美しさを誇るその姿。いっそ嫌味なほどの優美さだ。


「そこに座ってくれ」


 執務机の前に並んだ白いソファーをローマンが指し、そこに座るように言われる。ローマンはその間、自身の執務机の椅子に座った。その執務机の後ろには若葉色のおさげをしたメイドが立っている。

 私はよくわからないままローマンの指示通り、その皮で覆われた白いソファーに腰を下ろそうとした。


 瞬間。





 殺気が肌を走った。


 私は弾かれたように飛び退きながら振り返る。

 そして、肉薄する肉刺だらけの褐色の太い腕を両腕を上げて弾いた。両腕にかかる力が明らかにおかしい、人の力ではない。


 私は目の前にいるジェロイは、攻撃を避けられとことに驚いた様で、少し目を見開いている。その表情は、先ほどまで彼の穏やかな表情ではなく、その図体に似合った獰猛な獣のようなものだった。

 彼の歯ぐきから獣の吐息が聞こえる。



 どうやら、私達の考えはいたって正常なものだったようだ。


 ノルベルトの声が脳内でする。


『......まぁ、君の考えは極めて常識的な・・・・・・・・・・・・ものだ。少し母上・・は抜けている所のある人なんだ、申し訳ないな』


 その化けの皮が剥がれたジェロイの表情に、私は舌打ちをする。

 主従そろって飛んだペテン師野郎だ。






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