第35話 ベンダー公爵家の住民4



 次の日、私は一人、着こんだヴェストの袖を直しながら突っ立っていた。

 曇天の空が私の頭上に広がり、街はどこか陰湿な灰色に染まっている。私は耐え切れず漏れ出したため息を、慌てて喉奥にしまい込んだ。


 正直に言えば、憂鬱だ。

 貴族街に入るだけでも苦労したというのに、今からベンダー家の当主との話があるなどもはやぞっとする。

 そんな私の気分とは裏腹に、見上げればそこにはやけに派手な塗装で飾られた屋敷が立っていた。庭などはそこまで大きくはないが、それはここが王都の別荘だからだろう。


 そう、目の前にある屋敷が、今回の旅の目的地であるベンダー家の屋敷だ。

 かの屋敷はエッカットの屋敷とは違って、非常に煌びやかな外観をしていた。純白の外壁に金の置物、噴水など挙げればきりがない。

 正直言って今すぐ帰りたい。

 私は気の乗らないまま仕方なく覚悟を決めて、その屋敷の門まで近づいて行った。そして、いかつい顔をした門番らしき大男に声をかける。その男はアリアと同じように褐色は色の肌で、筋肉質な体に胸を守るための胸甲をつけていた。恐らく兵士なのだろう。


「すみません」


 私が離しかけるとその兵士は、そのいかつい顔にぽつりとある黒い瞳を下に向け、私を捉える。


「お前は…」


 厳めしい顔を顰めながら私を覗き込む大柄の兵士。その兵士が動くたびに纏った胸甲が鈍い音を鳴らす。


「初めまして。レオノーラ・ルヒデコットともします。今回はベンダー家当主にあたるベンダー公爵からのお呼び出しをうけ、参上いたしました」


 私が服装に合わせて男のお辞儀をすると、すると兵士は少し驚いた顔をした後、急に眉尻を下げる。そして今までの厳めしい顔つきがうそのように柔和に微笑んだ。


「ふむ、そなたが客人のレオノーラ殿か。それは恐れ入った。これほどまでに小柄だとは思わなかったので気が付かなかったのだ」


 私はその変化に驚きながら、呆然とその褐色肌の兵士を小さな黒い瞳を見つめる。

 低く雷の唸り声の様な声色であるのに、表情は柔らかい。


 その兵士は私のことをまじまじと見つめて、何かに気が付いたように「おっと、すまない」と言った後、私に視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「初めまして。私はこのベンダー家の抱える騎士団の騎士団長をしているジェロイというものだ。よろしく頼む」


 肉刺だらけの硬そうな両手をジェロイと名乗った男が私の前に指しだす。

 どうやらただの門番と思っていた男は騎士団長なる身分のものだったらしい。


「はぁ、」


 私が要領の得ないままそう返し、その手をとる。

 軽く握手をかわすと、ジェロイはのっそりと立ち上がった。


「よし、それでは屋敷に入ろうか。君みたいな小さな子供を相手にすることがないから、どうすればいいのか良くわからないな」


 和やかにそういうジェロイに私は「はぁ」と相変わらずの返事をしてしまう。

 私の様子に困ったように頭を掻きながら屋敷に向かってジェロイが歩き始める。その間「どうして私なのだろうか、主人よ」とぼやいているのが聞こえた。


 よくわからないが私は仕方なくジェロイに続いて門をくぐり、屋敷に向かって歩きだした。赤茶のタイルで作られた道を歩きながら、あたりを見渡す。その庭はエッカットの屋敷とは違い、様々な草花が咲き誇りながら風に揺られていた。

 灰色の空の下でも、その色とりどりの花は艶やかだ。


 だがなぜだろう、そこにもエッカットの屋敷の庭と似た虚しさというものがある気がする。このにぎやかな庭にそのような感覚を覚えることに不思議に思いながら、私は遅れながらもジェロイの後を追った。






 連れて行かれた屋敷の中には一組の男女と、一人の青年が立っていた。

 女は勿論ローズブロンドを肩に流したコルネリアである。相変わらずのでっぷりとした睫毛を上下させ、その碧眼をきらめかせる。

 その隣で微笑むコルネリアより少し年上のように見受けられる男は、色素の薄いブラウンの髪を切り揃え、甘いアーモンド色の瞳を細めていた。その表情が隣にいるジェロイの柔和な表情と重なる、柔らかいほほえみや、目じりによった皺、いかにも紳士を装ったそのいでたちに私は少しまごつく。


 まさに普通の男だ。

 エッカットを基準にしているからか、そんなことにたいして驚いてしまう。


「やぁ、こんにちは、レオノーラ。よく来てくれたね。私がベンダー公爵、ローマン・ベンダーだ。君の所から王都までは結構かかっただろう。よく来てくれたね」


 ローマンと名乗った男はそういって背後にいた従者に視線を向ける。

 どうやら、すぐに客間に通されるようだ。私の隣にいたジェロイが私にローマンについていくように言う。私は握手しようと伸ばした手を下げて頷くと、コルネリアと青年と共に、屋敷の奥に進むローマンに追従した。


 煌びやかな装飾の施された屋敷の廊下を私たち一行は進んでいく。出会った従者の数はエッカットの屋敷にいたメイドなどより明らかに多く、思わず感心する。

 流石、この国で最も力を持った貴族である。

 王都の別荘でこの数の使用人。領地の屋敷にはいったい何人の使用人を抱え込んでいるのだろうか。


 そんなことを思いながら、私はふと隣にいた青年の方に目をやった。

 彼の青みが勝った黒髪の間から金色の瞳が覗く。鷹のように鋭い目つきだ。私はその研ぎ澄まされた鋭利な美しさと冷たさにコルネリアやローマンとは違う独特なものを感じた。

 この男がノルベルト・ベンダー。

 コルネリアの息子であり、来年の私の唯一の協力者。


 ノルベルトは私の視線をに気が付いたのか、私の方にその金色の瞳を滑らせる。

 そして、その瞳が私を捉えた瞬間、その金色の瞳は先ほどまでの鋭さを失い。先ほどのローマンと全く同じように優し気に目を細めた。


「すまない。挨拶は客間についてからのほうが良いようだったから、名乗るのを控えたんだ。知っているとは思うが、俺はノルベルト・ベンダーだ。初めましてレオノーラ。今日この日にあなたと巡り合えた神の御導きに感謝を」


 そういってノルベルトは歩きながら片手を私の前に差し出す。

 私はその手を握り返しながら、通常の挨拶をした。


「ふむ、よろしく頼む」


 そのノルベルトの声の低く、澄んだ声の柔らかい響きをもっていた。


「よろしくお願いします」


 彼の顔つきはコルネリアに似ている。雰囲気はローマンに似ているのだろうか、紳士的な風格があった。体つきは随分とがっしりとしたもので、恐らく何らかの武術を心得ているのだろうと推察できる。

 これで、テブレヒトと同い年なのか、とてもそうは見えない。

 私は再び進行方向に視線をやりながら、やり切れず目を伏せた。





 それから私たちは客間に入り、それぞれ席につく。

 従者に茶の準備する間、前方に座っていたコルネリアは私のほうを見て美しい弧を描いていた口を開いた。


「久しぶりね、レオノーラ。随分凛々しい格好だけど、よく似合っているわ」


「ありがとうございます」


 私は少し視線を落としながらそう返す。

 コルネリアに対してもう前回ほどの嫌悪感は感じなかったが、それでも頬の筋肉はう引き攣っている気がした。やはり、年上の女は苦手だ。


「それで、今回はどのような用件でお呼び出しを受けたのでしょか?」


 話題を変えるためにコルネリアとローマンの間に視線を行き来させながらそう尋ねる。すると、彼らは少し驚いたように視線を合わせた後、不思議そう表情で私を見た。

 間の抜けたその表情に私は嫌な予感がしてくる。


 これは私とエッカットで何か大きな勘違いをしているのではないのだろうか。


「えっと、お呼び出しをいただいたので、どのようなご用件があるのかと思いまして…」


 私の言葉に、二人はきょとんとした後、耐えきれなくなったように笑いだす。

 私は口を閉じるのも忘れて呆然とその二人の顔を見ていた。ローマンがおさまらない笑いを紡ぐ口を拳で隠し、上がる口角を抑えようとしながら私のほうに視線をやった。


「なるほど。だから随分と気負っていたのですね。

 これならコルネリアの名前を使ってお呼びすべきでしたね。すみません、そのように思ってらっしゃるとは思わなかったので。私たちはただ、ノルベルトととの顔合わせを済ませて、あなたと少しお話しようと思っていたのです」


 コロコロを喉を転がすように笑うローマンは、アーモンド色の甘い瞳を細める。隣のコルネリアもすっかりクスクスと笑い出し、私は一人の硬直するしかなかった。


 いや、そんなまさか。

 たったそれだけの理由で呼び出されたのか。

 私がぱちくりと瞬きをすると、隣にいたノルベルトがわざとらしく咳ばらいをする。私がそちらに視線をやると、彼は眉を潜ませながら苦笑を溢した。


「.......まぁ、君の考えは極めて常識的なものだ。少し母上は抜けている所のある人なんだ、申し訳ないな」


 ノルベルトの困った顔を見て、私は安堵と呆れてあからさまに肩を落としてしまった。

 相変わらず目の前のローマンとコルネリアが声を殺して笑っている。


 ああ、もう、なんなんだ。全く。






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