第二章

第7話 森導くものの魔法1

 私があの呪いをかけられてから、もう季節一つ分が過ぎようとしていた。

 凍てつく冬を越え、若葉の季節がここ、ルンベルクにも訪れる。市内では、どこかけだる気な春の風を吹き飛ばすかのように、商人たちが駆け回っていることだろう。


 私は椅子に身を預けながら目を閉じ、あの男、エッカット・ルヒデコットとの最悪な出会いからのことを思い出す。


 屋敷に呼び出されたかと思えば、薬を盛られ、蹴られ、呪われと最悪であったあの日。

 私は私を買ったエッカット・ルヒデコット侯爵から、三つの呪いと二つの命令を受けた。


 その内容とは、大まかに言えば以下のものである。


 一つ、第四王子を生かす


 二つ、彼の生存を第一に行動する


 三つ、エッカットに呪いを使って命令されたことは絶対服従する


 そして、加えて最後の呪いを使って命令されたことが二つ。


 第四王子の意思を尊重すること、エッカットを脅かさないこと。


 大体要約すればこんな感じだ。


 この呪いの順番は呪いの優先度を表すらしく、優先度は上が一番高い。

 具体的に言えば、エッカットに命令されたことが、何らかの形で第四王子の命を脅かす場合は、王子の生命が優先されるといった風だ。

 それらに逆らえば、私は最終的に死ぬ。これはエッカットが死んでも、私が何をしても消えない、不変の呪いだ。


 私がエッカットに無理やりナイフを握らされ発動した呪いは、三番目に呪いである『エッカットを脅かさない』のようだ。

 ただ、私にその意思がなかったからか、それとも致命傷でなかったからかは定かではないが、あれは警告と呼ばれるものらしい。あれらを無視して奴ののど元をかき切れば、恐らく呪いが完全に発動し、私は死んでいた。


 この呪いの内容を見てわかることは、この第四王子とかいう奴を守る必要があり、それが私がここに呼ばれた理由であるということだ。

 王子だか何だか知らないが、いい迷惑である。

 まぁ、10年間のみであるようだし、王子とつくからには厳重に守られているはずだ。そうそう死にはしないだろう。


 そして、契約の呪いをかけられた私は、レオノーラという名前のエッカットの養子として、この家の一員となった。

 レオノーラ・ルヒデコット。

 先代ルヒデコット侯爵の私生児。母親はルヒデコット家の末席にあたる分家の娘で、その母親の死亡を期に身寄りが無くなり、エッカットが自身の養子として引き取った。

 年は今年で11歳、第四王子と同い年である。


 勿論、すべて嘘八百である。


 そんな娘は現実には存在しない上に、そのような分家も無ければ、先代が夫人以外の女との子供を作った事実もない。エッカットならば、実際には存在しないはず分家を作り出し、消している可能性もあるが、知らぬが仏である。


 そして今、私は貴族に紛れ込むための訓練をしている。

 残念ながら、里の方で詰め込まれた勉学はともかく、礼儀作法や楽器の演奏などはかなりの困難をきわめている。


 しかし、それ以上の難題が私にはあるのだ。


 本当に厄介な問題が。


◇◇◇


 薄く紫がかった、霞むような春の空。

 ひんやりとした風が窓の隙間から入り、私の頬を撫でた。

 窓際に置かれた花の甘い香りが部屋に広がり、穏やかな日の光が床を焦がす。


 私は持っていた木の駒の角を指先で撫でた。

 目の前にあるボードをじっと眺め続けるが、次の手が見えない。


「つみだな。私の負けだ」


 私の言葉に、目の前の少年は満足げに笑った。


 今、目の前にあるボードゲームは、ピットラというゲームだ。

 戦争を模した男性の貴族に好まれている遊戯であり、腕のいいピットラの打師は貴族に囲われるなど、賭け事としても非常に人気がある。

 ちなみに私は里でもかなり腕がよく、この遊技でそうそう負けはしなかったのだが、この少年に勝てたことは無い。


「どこが悪手だったか......いや、とりあえず遊びは終わりだ。私は鍛練に行く」


「あれ? レオノーラ様いいんですか? 今回の感想戦」


 丸机に肘を立て、跳ねたこげ茶の髪をいじりながら少年が拗ねたように唇を突き出す。その表情がどこかうざったく感じ、私はその少年睨む。


「......駒はそのままにしておけよ、ヨセフ。続きは明日だ」


 ヨセフと呼ばれた少年は、私の返答に大きくうなずき、そして笑った。


 ヨセフは、今の私の従者だ。サイドに跳ねたこげ茶の髪とソバカスが特徴的な平民の少年。年は15だと聞いているから、私と同じくらいだろう。

 口調が随分くだけているのは最初からで、主人として私を尊重するどころか、ずけずけと絡んでくる面倒な奴だ。


 ピットラを切り上げた私は、自室を出ると隣の部屋に移動した。

 部屋は自分が集中できるようにカーテンで太陽光を遮断し、物もほとんど何も置いていない状態にしてある。

 カーテンの青が光に溶けだすかのように、殺風景な部屋は静寂を灯した藍に染まっていた。

 

 私は胡坐を搔いた状態で、自身の右手をじっと見つめる。


 見つめる。

 ただ見つめる。

 ただ、ただ見つめていた。



「レオノーラ様、何というか、それ本当に意味あるのか? 全然何も変わってないけど」


 青い影が重なり合う部屋の脇で、ぽつりと呟いたヨセフの言葉に、私は眉間にしわを寄せた。

 大変むかつくことだが、苦戦しているのは事実である。

 私はじっと見つめていた自身の右手から視線を外し、ヨセフを見上げた。


「そんなこと私が重々承知している。だが、ならどうすればいい。エッカットに辞職届を出せっていうのか? ああ、そうすればすべてが解決するだろうよ、仕事どころか生きていることも止められる」


 溜まりにたまったストレスを吐き出すように、口から嫌味が飛び出す。頭を掻きむしりたくなるのをこらえ、爪を噛む。

 私の返答に肩をすくめたヨセフが、呆れた顔のまま私の隣に座り込んだ。


「そう、イラつかないでください。仕方ないでしょう。俺は魔人でも無ければ、ましては魔法なんて使ったこと無いんですから。俺だって力にはなりたいとは思ってるけどさ」


 ヨセフは眉尻を下げたままそう言って 、私の手元を覗き込んだ。

 相変わらず私の手には何の変化もない。

 その様子にヨセフは再び肩をすくめて、「先はまだまだ長そうですね」と苦笑した。


 そう、魔法。

 これが、目下私を苦しめている要因なのである。


 この問題の始まりは、それこそエッカットとの出会い頃まで遡る必要がある。

 あれは、あの忌まわしい日から数日たち、エッカットの執務室にてレオノーラになるための話を聞いた時のことだった。



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