第24話 彼へと贈る送別歌3




 どこか重苦しい秋の空気が部屋の窓を叩く。

 私は自身の銀の髪を編み込みながら、不明瞭な意識の中でこれからの予定を記憶の中から引っ張り起こした。


 王都行きまであとわずか5日。

 男装して馬に乗って行くつもりなので、普通の侯爵令嬢の準備よりは幾分楽だが、不安は付きまとう。なんといっても私を呼んでいるのは現貴族の中では最有力者であると言っても過言ではない、ベンダー家当主、ローマン・ベンダー。緊張しないわけがないのだ。


 それに、私とエッカットには呪いという秘密がある。

 エッカットの真意はともかく、知られれば反逆を疑われかねない種。


 私はたまりに溜まったため息をつき、自身の姿の写った鏡を見つめた。

 魔法を日常的に使っているにもかかわらず、いまだ奇形の影響は感じられない。森導くものティプナスは奇形の影響を受けにくいと言われるのは、事実のようだ。


 私は瞳を閉じ、頭の中であの少年の顔を思い浮かべた。

 漆黒の瞳に髪、真っ白な肌、薄い唇に蠱惑的なその顔つき。


 瞳を開けれがそこにはテブレヒトがいた。

 魔法とは、本当に摩訶不思議な力である。私はどれだけ頭を絞っても、彼の顔つきを正確に想像することはできないのに、魔法を使うときにはそこには間違いなくその人という顔が浮かび上がるのだ。


 私は鏡に触れ、そこに写った私の覗き込む。

 唇を動かしあの憎らしい笑みを浮かべようとしたが、うまくいかない。これはまだ練習が足りないようだ。そこには歪にゆがんだ表情を浮かべた彼がしかいない。


『たとえ使い捨てでも、僕は…認められたかった…』


 ゆがんだその表情を見ていると、先日の彼の言葉が蘇る。その痛々しい姿が、脳裏から離れない。


 惨めだな。

 あいつも、私も。





「お嬢様、お遊びもそれぐらいにして、お早くご準備をなさらないとロニーナ様達がきてしまわれますよ」


 イーリットの声に私の思考の糸は途切れ、気が付けば鏡の中には髪を中途半端に結んだ私の顔がある。


「…悪い、そうだった」


 他人の顔になって遊んでいると思っているイーリットが、呆れた顔で片眉をあげる。確かにあまり時間が無いので、私は仕方なく素直に謝った。

 先ほどエッカットに朝の報告をしてきたが、今日は午前からロニーナが訪れることになっていた。

 また、彼女の手紙によれば彼の兄であるアルノリートという少年も来るらしい。ちなみに年は来年で15歳、テブレヒトと第一王子と同じ年齢。つまり、私はテブレヒトとして彼に学習塔で会うことになる。

 もしもロニーナのように勘の良い人間であれば、警戒する必要があるだろう。


「お嬢様、ささっと髪を結わいてドレスに着替えてください」


 ドレスを用意していたイーリットがじっとりとした目で私を睨む。

 イーリットが用意したドレスは、薄紫のふんわりとしたフレアタイプの物だった。

 これはイーリットのお気に入りらしいのだが、いまいち何がいいのかわからない。強いて長所をあげるなら足元を柔らかく覆うこのドレスのスタイルは、タイトな物よりは動きやすいといったところだろうか。


「そういえば、お嬢様、明日はテブレヒト様から教えを受ける日ですよね。課題の方は、大丈夫なのですか?」


 イーリットが思い出したようにクローゼットを占めながらそう呟けば、私は顔をゆがませる。

 この前渡された楽譜はまだまだ完璧とはいいがたい完成度だ。ただでさえ、辛辣なテブレヒトのこのだ、中途半端なものを持って行ったらなんと言われるか分かったものではない。


「大丈夫じゃない」


「まずいのではないですか」


「まずい......」


 私はテブレヒトの顔を思い出して、軽い頭痛を覚えた。

 数日前に見たテブレヒトの姿が頭によぎる。あんな痛々しい姿をできれば見たくはなかった。あのような姿をされると、これから彼になり代わることに複雑な思いを抱かざる負えない。

 私の沈んだ表情を見て、イーリットが深刻そうな顔をしてうなずく。


「ものすごく、馬鹿にされますものね。お嬢様、頑張ってください」


 イーリットが声は率直に応援しているようにも見えるが、微妙に口の端が震えていることを私は見逃さなかった。こいつ楽しんでやがる。この世で無責任な応援程、イラつく物はない。

 私はため息をつきながら、ドレスに袖を通すのだった。




◇◇◇





 それから余った時間でチェリコットを弾いた私は、ロニーナたちを乗せた馬車が玄関先に到着した知らせを聞いて、そちらに向かった。

 足早に歩けば、玄関には薄桃色のドレスに身を包んだロニーナが立っている。


「レオノーラ、久しぶりね」


 ポヤリとした表情をしたロニーナがそう言って微笑む。私も同じ言葉を返すが、本当はそこまで久しぶりでもない。彼女はひと月に一度のペースでこちらに訪れているのだ。


 その後ろには、テブレヒトより少し大人びたの青年が立ってた。

 この青年こそ、ロニーナの兄であるアルノリートだろう。

 ロニーナと同じプラチナブロンドの美しい髪に、エロニムスやエッカットと同じ灰色の瞳が覗く。その爛々と輝かせた瞳は、とてもエッカットと同じ物とは思えない、活力にあふれたものだった。

 どちらと言えばコルネリアと似た勝気そうな青年という印象を受ける。


 私がアルノリートの方をちらりと見ると、ロニーナは私の前から避けて、後ろのアルノリートに前に出るように促した。


「紹介しますわ。この方が私の兄のアルノリートお兄様ですわ」


「紹介ありがとう。お初にお目にかかります。ルヒデコット伯爵の嫡男、アルノリート・ルヒデコットと申します。

 今日この日にあなたと巡り合えた神の御導きに感謝を。ロニーナから度々話を聞いていたので、お会いしたいと思っておりました。どうぞ今後ともよろしくお願いします」


 アルノリートはそういって丁寧にお辞儀をする。そのしゃんとした姿は、生真面目そうな彼の性格を表しているように思える。

 私はその挨拶を受け、同じく丁寧にお辞儀を返した。


「お初にお目にかかります。ルヒデコット侯爵の長女、レオノーレ・ルヒデコットと申します。今日この日にあなた巡り合えた神の御導きに感謝いたします。

 私もロニーナ様からお話を伺っていましたので、お会いしたいと思っておりました。今日はぜひごゆっくりしていってください」


 私が手を差し出せば、アルノリートがそれをとった。礼儀正しい男である。しかし、このような堅苦しい関係は少し面倒だ。


「アルノリート様、よろしければ私のことはレオノーラとお呼びください。

 侯爵家の者とはいえ、私は養子。堅苦しくなる必要はございません」


 私がそう言ってできる限り親しみを込めて微笑むと、アルノリートは「養子だということは気にしていないが、そう言ってもらえるなら、わかった。俺のこともぜひアルノリートと呼んでほしい」と軽く頷いた。

 私は彼の態度の変化の速さに少し驚きながら、ある意味ロニーナと同じように、スイッチの入れ替えが極端な人間のようだと判断する。それならそれでいいだろう。


 それから私たちは玄関から庭の見える部屋に移動する。その途中、すっかり慣れた態度になったアルノリートが、無遠慮に私の顔を覗き込んだ。


「にしても先代の隠し子だと聞いていたから、先代と似た容姿なのかと思えば、全く違うのだな。母親は分家の娘だと聞いているが、そちらに似ているのか?」


 何というか。思ったことがすぐに口に出る、素直な男である。取り敢えず、ロニーナのように下手に勘の良い人間ではないようだ。最も、そうやすやすと正体をばれてもらっては困るのだが。


「ええ、そうです。銀色の髪も薄紫の瞳も少し不気味ですから、ぜひ先代様に似たかったです」


「そうか? 美しいと思うぞ。そなたの白い肌にもよく似合っている」


 そう、爽やかに言い返されると、この男に警戒するのも馬鹿馬鹿しくなってくる。私は曖昧に微笑むと、ロニーナが肩をすくめた。なんとなくその表情は、こういう人なのよ、と言っているようだった。


 広いガラス窓がついた客室に到着した私たちは、それぞれ席に座り、イーリットが淹れたお茶をたのしんだ。華やかの花の甘い香りがする今日のお茶は、恐らく、ロニーナの好みを考えてブレンドされたものだ。

 日光に当てられ白く輝いて庭を鑑賞しながら、茶菓子をが齧っていると、ロニーナが口を開く。


「私は冬が過ぎれば王都に行かねばならなくなりますから、しばらくレオノーラには会えませんわね。お兄様も学習塔に行きますから我が家がしばらくさみしくなります」


 残念そうに言うロニーナ。一方私はロニーナが一つ年上でよかったと安堵していた。もし、彼女が年下であれば、来年も今年と同じようにここ来るということだ。それは、大変困る。何といっても、来年は私はここにいないのだから。


「ああ、父上が一人さみしくて死ぬと嘆いてるな」


 どこか遠い目でそういうアルノリートを見ていると、エロニムスの親ばかっぷりを思い出し、なんとなく状況を察した。どうしてこうもエッカットと違うのか、聞きたい限りだ。


 さて、なぜ来年ロニーナが王都に行くのか言えば、彼女は現在12歳、つまり来年はデビュタントの年なのである。

 ロイツ王国の貴族には18歳の成人と、13歳の準成人の二つの区切りがある。ロニーナは来年は準成人になる。準成人になった貴族はデビュタントなどの社交界に出るために王都に赴くのだが、そのたびに領地に帰ってきては手間が多すぎるので王都に借り家にしばらく滞在することがある。

 ロニーナもその例にもれず、来年は王都に滞在するというわけだ。


「本当に面倒ですわ。社交界なんて何も面白味がなさそうです」


「ロニーナ、王都で他の貴族との交流を深めることは重要なことだぞ。

 俺は来年の学習塔での生活は楽しみだな。なんといっても、次期王位を継承なさるロイジウス第一王子もご入学なさるからな。どのような方なのか、お前たちの分も見てこよう」


 そう言って、アルノリートは鼻を鳴らした。ロニーナは冷たい目線で「興味ありませんわ」と呟く。その貴族然としたアルノリートの態度を見ていると、嫌でもあの病弱な少年の姿との違いに目が行ってしまう。

 私は何とも言えない思いに駆られながら、より詳しく話を聞き出そうと口を開いた。


「確かにロイジウス第一王子は次期王となるお方、私も気になります。

 アルノリートはもう王都の社交界に何度が参加しているんでしょう? 王宮や王族の方々はどうでしたか?」


「そうだな。俺は夜会で少しお姿を拝見した程度だが、噂によれば殿下は非常に優秀な王子であるそうだ。ただ、あまり政治に興味がないお方らしく、次期王としてあまりよく思っていない貴族がいるのも事実。第二王子を推す貴族も一定数いるようだ」


 アルノリートが茶をすすりながら、涼しげにそう言い切る。一方、私はアルノリートの放った言葉の威力に衝撃を受け、一人で冷や汗を流していた。

 まさかと思うが第一王子は王位を継承する気があまりないのだろうか。もし本当にそうだというならば、大問題だ。


「第二王子が王位を継ぐと?」


 私が思わず身を乗り出しながら聞くと、アルノリートは緩く首を横に振った。


「いや、それは無いだろう。ベンダー家が認めるはずがない。そこまで気にしなくとも、ロイジウス第一王子は聡いお方だ。のちに王族としてのご自身の責務をご理解いただけるだろう」


 アルノリートの言葉に私は思わずより深く突っ込もうとしたが、その際ロニーナがわざとらしくため息をついた。

 

「ねぇ、二人ともいい加減にしてくれださる? お兄様もレオノーラもそんな話ばっかりで、つまらないわ」


 ロニーナが不機嫌そうに私の方を睨んでくる。どうやら、放って置きすぎたようだ。これ以上は聞かない方が懸命である。そう判断し、私は口を閉じるのだった。


 すると、私の肩をイーリットが軽く叩いた。

 私が後ろを振り返れば、イーリットが小声で「チェリコットを用意してあります。ロニーナ様のためにお引きして差し上げたらいかがですか? アルノリート様も気になっていらっしゃると聞いていますし」と提案してくる。正直最近は嫌になるほど弾いているんであまり気は乗らないが、良いだろう。

 私がロニーナとアルノリートにイーリットの提案を伝えると、是非とのことだったので、私はチェリコットをイーリットから受け取り、ヨセフの用意した椅子に座る。


 さて、何を弾くか。堅苦しい聖歌などはこの場にはくそぐわないだろう。ならば、よくある恋歌などがいいだろうか。私は絃に触れて、適当な歌を紡いでいく。

 そして最後まで弾き終わり、私は顔を上げる。目の前で聞いていた二人は恍惚とした表情で私を見つめていた。横にいたイーリットも、ほれぼれとした表情で頬に手を当てている。

 どうやら、うまくいったようだ。私は安堵でホっと息を吐き出す。


 しばらくして、やっと二人は気を取り直したのか、何度も瞬きをしながら口を開いた。


「驚きましたわ。前よりもさらに素晴らしい演奏でしたんですもの」


「ああ、本当に驚いた。まるで、妖精の様な歌声だとロニーナが言っていたが、誇張などでもなんでもなかったのだな」


 二人の誉め言葉を聞いて少し気分がよくなるものの、同時にテブレヒトを満足させるにはどれほどの技量が必要なのか、気が遠くなった。


「ねぇ、レオノーラ。私の好きな曲も弾いてください」


 楽しそうにそういうロニーナに、私は苦笑した。

 その後、何度か二人のリクエストに応え演奏し、満足したところでヨセフが用意していたピットラを打ち始める。結果としては私の全勝だった。

 ロニーナがまた腕をあげていたため中々苦戦させられたが、アルノリートは論外レベルの弱さ。曰く、自分が弱い負けではなく、私たちが強いのだそうだ。このような負け惜しみを吐くようでは、平民生まれのヨセフにさえいつまでたっても勝てないだろう。

 まあ、私自身もまだ勝率は半分もいかないが。


「レオノーラ。そう言えば私、この前ついにお父様に勝ちましたの!!」


「念願がかなって、よかったですね」


 私が微笑めばロニーナが「次はあなたにも勝ちますわよ」と、こぶしを振るう。すると、アルノリートがあきれ顔で口をはさんできた。


「お前たちには理解できんかもしれないが、父上は貴族の中でも指折りの打者なんだぞ。

 それを、準成人にもならないお前が打ち負かすもんだから、お前を一流の打者にするんだと父上が意気込み始めた。ただでさえ嫁の貰い手がないと、母上が頭を痛ませていらっしゃるのに、お前ときたら」


 アルノリートが脱力して頭を降っているが、ロニーナ自身は気にする様子もなく次のピットラの準備をしている。まさにまったく相手にしていない。


「まあ、その場合ロニーナ様よりも、エロニムス叔父様に原因があるのではないのですか?」


 私がそう言えば、アルノリートが「確かに諸悪の根源は大体父上だからな」と、ため息をついた。そういうところはエッカットに似ているのかもしれない。



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