第20話 その男のはらわたに眠る野望5





「レオノーラ様? 先ほどから随分とぼんやりされていらっしゃいますが、何か気になる事などございましたか?」


 視界の端で、カプチーノ色の髪が揺れる。

 私が顔を上げると、古びた赤い表紙の本を片手に持ったディアナが、少し困ったような顔で笑っていた。

 そこでようやく自身がディナアの講義中に、上の空のままで頬杖をついていたことに気がついた。


 今の時刻は正午前頃だろう、窓の外のテラスが煩いまでに光っている。

 朝の一件からそれなりに時間が経っているにも関わらず、私はずっと今朝のエッカットの言葉について考えてしまっていたようだ。


 そのせいでディアナの話の話が何だったのか、全く記憶にない。


 私が「いや、なんでもありません」と答えるとヨセフが隣から「ディアナ様、絶対こいつ今までの話聞いてないですよ」と口を出してきた。


 うるさい、主人をこいつ呼ばわりとは何事だ、と思いつつも事実であるため言い返せない。

 私の顔を見てそれを察したディアナは、眉尻を下げながら笑みを深める。


「連日お忙しくされているので、お疲れになっているんですね。仕方ありませんよ」


 どうやらここ最近の多忙さから、気が散っているのだと思われたようだ。あながち間違いではないものの、やはり朝のエッカットの発言に気を取られてしまっている部分も大きい。


「チェリコットの腕もとても良くなったとイーリットから聞いていますよ。流石、レオノーラ様です」


 朗らかに笑う彼女を見ると、先程までの話を全く聞いていなかったことに僅かな罪悪感を覚える。私が「すまない」と謝ると、ヨセフが調子に乗ったように鼻を鳴らした。


「お疲れのようですし、少し休憩にいたしましょうか。

 ヨセフ、申し訳ありませんがお茶の用意をお願いできますか?」


 ディアナがそうヨセフに声をかけると、彼は頷いてその準備を始めた。どうやら気を使われたようだ。のことがなんとなくむず痒い。

 ヨセフがお茶の準備をする間、私とディアナは文机に置かれた本や紙を一度まとめ、丸机に向かい合う形で腰を下ろす。

 大きく開けられた窓にかけられたカーテンは、夏の生ぬるい風に揺られて軽やかなダンスを踊るように波打っていた。その隙間から差し込む光が、白刃のように眩しい。

 私は思わず手をかざし、目を細める。


 そしてしばらくした後、お茶の乗ったワゴンを引いたヨセフが部屋に入ってきた。

 ヨセフの手によって出されたティーカップは、白と銀の宝石のように輝やく。中に入れられた薄紅色のお茶から、少し酸味のありそうなツンとした香りが漂った。その香りについ頬が緩む。


「それで、何かに気になることでもあったのですか? 随分と考え事をしていらっしゃるようですが」


 ディアナの問いからするに、やはり話を聞いていなかった事はバレていたようだ。私は観念して、今朝聞かされた王都行きの話を、あくまでもコルネリアの好意として呼ばれたことにして彼女に話した。

 ヨセフと、ディアナはその話に少し驚いた顔をした後、納得したように頷く。


「そうだったんですね。確かに、王都は近い場所ではありませんし、緊張するのも当然ですね。特にレオノーラ様はお母様がお亡くなりになり旦那様に引き取られるまでずっと、お屋敷の中で育ったのですから」


 私を勇気づけるようにディアナが、拳を握り胸の横に持っていった。その素直な応援に、私はなんとも言えない気持ちになる。


 家庭教師カヴァネスである彼女は当然、私が本当の先代に隠し子だと思っている。

 また、基本的に家庭教師カヴァネスは必要時に一時的に雇われる職業なので、言ってしまえばこの屋敷内では部外者である。そのため、ヨセフたちとは違い先代の愛妻家事情を知らない。つまり私が訳ありの人物だと認識していないのだ。


 だからこそ、至極当然と私を侯爵令嬢として扱っている。それがどうしても慣れない。


「はい、王都がどのような場所か気になって。ディアナは王都に行ったことはあるんですか?」


「私ですか? 夫が生きている頃に数度行きました。大変にぎやかで、美しい街でしたよ」


「そうなんですね」


 偶に忘れそうになるが、これでもディアナは一児の母であり、未亡人である。ディアナはその日々を思い出したのか少し目を伏せ、ティーカップの縁を撫でた。


「レオノーラ様は今の所旦那様の唯一のご子息ですから、いずれは学習塔に行かれますし、その時の予行練習ということでも王都に赴かれるのはいいかもしれませんね」


 確かにレオノーラは今の時点でルヒデコット侯爵のたった一人の跡取りなのである。女とはいえ学習塔に行かなければ爵位を継承できないので、本来ならば就学しなくてはならない。だが、私には関係のないことだ。

 私はディアナの問にゆるゆると首を横に振った。


「私が爵位を継ぐことはありません。養子で女である私を養父様が後継者にするわけがない。

 いくら養父様でも、結婚して世継ぎを作るはずですよ」


 本当は、私が先代の隠し子でも無ければ、人間でも無いなどの理由はもあるが、ディアナに話すわけにもいかないのでそう答えた。しかしディアナは私の言い分に納得していないようで、少しふてくされたような表情で目を細める。


「そんなことございません。

 ルヒデコット侯爵はレオノーラ様を大変評価されていらっしゃいます。

 次期侯爵になるかどうかはともかく、レオノーラ様を学習塔に入れるおつもりでいることは、私が雇われた時にお聞きしております」


 どうやらディアナはエッカットが私を低く評価しているかのような言い方が気に食わなかったらしい。だが、エッカットが私を後継者として考えているなど万が一にもありえないのだ。仕方ない。


 にしてもディアナが私を学習塔に入れると聞いたからには、そのことは本当そうだ。

 だとすると、私はテブレヒトとして卒業した後、また再び第四王子のクリストハルトと同じく学年で入学するということになる。連続6年の就学は身に堪えそうだ。


「まぁ、あの骸骨男のルヒデコット侯爵が直ぐに結婚相手を見つけられるとはおもえんしな」


 私がハーブティーを口に含みながら砂糖ひとさじぶんの嫌味を込めてそう言うと、ヨセフが「あちゃー」と呟いた。そしてそれと同時に、ディアナが持っていたカップを床に落とす。


 パリンッという、こ気味のいい音がした。


 私は訳が分からず席から立ち上がり、ディアナに近づいて大丈夫かと聞こうとすると、急に彼女は立ち上がり、私の肩を掴んだ。


「レオノーラ様!」


「な、なんだディアナ。というか、それよりお茶がスカートにかかって」


「そんなことはどうでもいいのです!!」


 見たことの無いようなディアナの剣幕に、私は思わず口をつぐんだ。

 ディアナのキャラメル色の瞳孔が開ききった瞳が、私の眼前3センチというところまで、迫りきていた。恐い、恐すぎる。


「エッカット・ルヒデコット侯爵は素晴らしいお方です。それはそれは、切れる頭脳、遥か彼方まで見通す先見の明、正にあの方こそが慧眼けいがんの士なのです。

 まさかそんな至極当然な心理に気が付かない挙げ句、あの方を『骸骨男』と、申されましたね。

 ああ、あなたほど優秀な方があの方の素晴らしさにお気づきになっていないなんて、家庭教師カヴァネスである私の力不足なのですね。

 さぁ、今すぐに講義のつづきをいたしましょう。

 今からゆっくりと、ご主人様の素晴らしさについて、一から学びましょう。

 さぁ! さぁ!!」


 恐怖と狂気しかないディアナの提案に、私は頭を振るしか脳が無くなったかの様に何度も頷く。

 ヨセフの「ああ、また病気が始まった」という一言が背後から聞こえてくる。


 これは確かに重病だ。

 しかもこれは遺伝性の疾患だ。

 つまり、不治の病だ。


 私の頭に彼女の父親である、ブルーノの姿が過る。親が親なら、子は子だ。





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