第4話 里との別れ4




「「「ユーリカの門出を祝して、乾杯ジギーラ!!」」」


 そう言って、いかつい男女が杯を自身の前方に上げた後、そのままの勢いで酒を煽った。木造りのテーブルに並べられた料理は、いつもより少しだけ豪華だった。きっと、皆が少ない賃金を少しづつ出し合ったのだと思うと、私は思わす顔をしかめた。物好きな奴らだ。

 野外訓練から里に戻って、すでに二日が立っている。

 今日は、とうとう明日出ていく私のために、ささやかな宴が催されていた。薄暗い食堂の中には、二十人ほどの男女がテーブルを囲い、騒がしくうごめいている。非常にうるさい。


 前世からお祝いなどに無縁の生活を送っていた私は、はじめここでの宴を見たときはひどく驚いたが、よもや私が祝われる時が来るとは思っていなかった。


「おい、その無愛想な顔をどうにかできないのか、おまえ」


 呆れたようにジークが私を見てくる。不愛想な自覚はあるがお前にだけは言われたくない。私が不服そうにジークを睨むと、奴は肩をすくめて手じかにあった手羽先の揚げ物を私の口に押し込む。


「それにしても、おチビが私たちを置いて出ていくのか、寂しくなるな」


 アリアがそう言って私の頭を乱暴に撫でた。好きっ勝手に髪をこねくり回し、私の銀の長い髪ぐちゃぐちゃになってきた。流石にムカつき、私がアリアの手を払いのけ、捻りあげる。アリアは「痛い痛い痛い痛い」と言いながら、もう片の手を机をたたく。

 私がアリアの降参を見て、手を放す。

 すると、近くにあった皿を避難させていたジークが、「おい、あんまりじゃれつくな。危ないだろ、馬鹿」不快そうに顔をしかめた。

 これのどこがじゃれついているように見えるのだろうか。相変わらず訳の分からないやつである。脇でゲラゲラと笑っているクルトにも無性にイライラする。


 するとアリアと私の間に入ってきた奴がいた。オザックである。彼は前髪でほとんど表情が見えないため感情が読み取りにくいのだが、おそらくムカついている、私に。


「..............僕のアリア、いじめないで」


 流石に自身よりも体の大きい魔人にはかなわない。私が身を引いて「悪かった...」と謝ると、オザックは鼻を鳴らしてアリアの方をちらりちらりと見る。これは、あれだ、期待してやがるのだ。

 案の定、オザックの働きに満足したアリアは満面の笑みで、オザックを抱きしめた。


「よしっ!! オザックはいい奴だなぁぁ!! ほれ、ギュー!!」


 アリアがそう言い、オザックを彼女の豊満な胸の間に引き寄せる。オザックは満足そうにアリアに頬ずりしながら、私の方を見て自慢げに鼻を鳴らした。どや顔で自慢してるが、うらやましくなんてない。

 どっちかと言えば羨ましがってるのは、向かいで鼻の下を伸ばしてるクルトなんじゃないか。

 私がそんなことを思いながらなんとなく自身の胸元に目をやった。そこのは見事なまな板が、鎮座している。顔をあげればどこか哀れそうな目線をよこしているジークがいた。

 貴様、何が言いたい。


 しばらくすると、近く通りかかった中年の男が、私の肩をたたいた。


「そうだ、おチビ。これが終わったらカルザに会いに行けよ。あいつ、ガチへこみしてたからな。まぁ、なんだ、たまには素直になって感謝の気持ちでも伝えてこい」


 中年の男は肩をすくませると、アリアと同じように私の頭に手を伸ばしてきたので、その手を素早く払った。人の頭を何だと思ってるんだ、こいつら。


 それはともかく、カルザには確かに世話になった。

 前世を記憶したまま、魔人として生まれてきた私に、生きる場所と生き方を与えてくれた。これに関しては感謝せねばならないだろう。


「そうだな。覚えていれば」


 そう言って目の前の肉を口に放り込んで租借する。

 すると、隣で聞いていたジークが呆れた様子で小突いてきた。何が言いたいかは、なぜだか分かってしまった。


◇◇◇


「か、カルザ!」


 焚火の近くで上の空になっている熊の様な大男に声をかけると、のっそりとこちらを振り向いた。そしてその男は、一呼吸遅れて、信じられないようなものを見たように目を見開らく。

 なんだ、私は珍獣か何かなのか。


「おまえ、、、いや、まぁ、座れよ。茶くらい飲んでけ」


 そう言ってカルザは腰を上げて、飲み物を取りに行こうとしたので、私はとっさに片手でそれを制した。

 私は無意識に体の後ろに隠していた二人分のマグとポットを差し出す。

 カルザは今度こそ驚きが隠し切れずに、数秒固まった。


「...明日は槍が降るな」


「うるさい...」


 顔がたき火の熱で赤くなっている気がする。私が勘違いされるのが不本意で顔を逸らすと、噴き出すようにカルザが笑い出した。

 そして、二人で焚火を囲み、茶で唇を湿らせる。茶は常に里の食堂に中に備え付けられているものだ。何年も飲んできた味だが、この味を飲むと安心するようになったのは、いつ頃からだろうか。

 焚火が火花を散らしながら、乾いた音をたてる。私は逃げ惑うように揺れるオレンジ色の火先ほさきを見つめながら、目を伏せた。


「まぁなんだ、チームメイトにはちゃんと、別れの言葉を言えたのか。明日は声をかける時間なんてないんだろ?」


「...一応は」


 カルザの問いに、目線をそらしながらそう言えば、呆れた様子でカルザが頭をかいた。その表情がいつものジークのあきれ顔と似ていて、私は眉間にしわを寄せる。カルザとジークは、私よりも長い付き合いらしい。そのためか、ジークが日に日にカルザに似てきている気がするのだ。

 そのことに、私は無性にムカついた。


「おまえ、それ、絶対途中で曖昧にして逃げ出してきただろ。目に浮かぶぞ。全く、お前は余計なことばかりわかってるのに、基本的なことが何一つできないんだからなぁ」


「別に必要がなかった。それだけだ」


 面倒になってそういえば、「ま、お前らしいな」と言って頭に手を置かれた。私はとっさに手で払おうと手を上げかけたが、途中でそれをやめた。そう言えば、生れて初めて撫でられたのはこの男だった。その頃はまだ、魔人の私でも力が弱く、彼の手を振り払えずに、獣のようにうなりながら抵抗していた。

 私がおとなしく撫でられていると、ふとカルザの手が止まった。

 そして、気が付いたときは私はカルザの腕の中にいた。

 驚きのあまり硬直すると、カルザが耳元で微かに笑った。


「ユーリカ、何度ももう言ってきたが、人は一人では生きていけない。誰かのためだけに生きろとは言わない。ただ、自分のためだけに生きるのはやめろ。お前は他の奴よりも、色々なものに囚われすぎている。お前は、お前だ」


 そう言って、カルザはその大きな手で私の後頭部を撫でる。

 もう再三言われてきたことだ。カルザは私の性格や力、そのほとんどを受け入れていたが、この私の『自身のためだけに生きる』生き方だけは、何があっても受け入れることはなかった。

 カルザ曰く、私は必要以上に自らの生き方に固執しているらしい。その自覚は多少ある。何せ私はあの女から逃れること、あの過去から逃れることが、唯一の願いと言っても過言ではなかった。


「無理だ。私は誰かのために生きるなんて、もうできない。私は、私のために生きなきゃ、全部嘘だ」


 私はカルザの肩に自分の額を押し付けながら、熱が伝わってくるその感覚に目を細めた。すると、そっとカルザが私の肩をつかみ、体から引き離した。そして、私の瞳を覗き込む。


「今は、わからなくてもいい。それは、お前がいろんな物を見て、いろんな人に出会って、わかっていくものだから。本当は、そのための時間を、俺はここでお前にやりたかった。だから、忘れないでくれ。俺が今言った言葉を、お前の心の隅に置いておいてくれ」


 弱くなった炎が、風に吹かれて虚ろに闇に溶けた。

 私は返す言葉が見つからず、小さく唾を飲み込んだ。


「さぁ、明日は早くに出る。もう寝ろ」


 カルザはそう言って眉尻を下げた。

 きっと、カルザは私が彼の考えを受け入れるとつもりがないことなど、分かっているのだろう。カルザは言っても理解できない人間に対して、無駄なことを言わない。にも拘わらず、殊、このことに対してカルザは何度も私に言い聞かせてきた。

 その理由もわからぬまま、私はここを出ていくのだ。


「...お休み、ユーリカ。元気でな」


「...ああ。.........いままで、.........世話になった」


 そう言ってカルザの方を見ずに、私はさっさと自室へ向きをかえて歩き出した。

 目の前にできていた自分の影が、暗闇に紛れる。


 私は、振り向くことができなかった。今振り向けば、訳の分からない感情の波にさらわれてしまいそうで、怖かった。


 これが、寂しいという感情であるということに気づくには、まだ私は鈍く。


 誰かと離れ、寂しくなれることが、幸せであるということに気づくには、まだ私はひどく幼かったのだ。




 ◇◇◇


 宿舎の中にある自分の部屋に戻ると、その前にジークがいた。

 一応その部屋は女子専用の部屋であり、中に同室の者がいることを考えれば、大変迷惑極まりないやつである。

 ただ、これでもジークは常識的で、無駄なことをしないやつだとわかっていたので、とりあえず声をかけてみることにした。


「ジーク、この部屋に何の用だ?」


 そう問えば、ジークが珍しく気まずそうに頭を掻く。私が訳が分からず目を瞬かせると、ジークは観念したように腰から白い袋の中に入ったものを取り出した。


「なんだ? これ?」


「選別だ」


 そう言って投げ渡されたものを、私は空中で受け取る。ジークが見てみろと言わんばかりに顎でそれを指すので、私はその袋口を開けた。

 袋の中を覗き込むと、革のカバーに入った小型ナイフが入っていた。装飾品なども特にないシンプルなデザインで、腰のベルトに着けられるように金属の留め具がつけられている。実用的で、私好みのものだ。

 取り出し、カバーを外して刃を見てみる。刃も傷はなく、しっかりと整備されているのが一目でわかった。


 選んだのだろうか、私のために。

 私たちの数少ない、小遣いを犠牲にしてまで。

 私は顔をゆっくりとあげ、何と言えばいいか、言葉を探した。

 この気持ちを、なんと表せばいいかわからなかった。


「その......あ、ありが...................えっと、恩に着る」


 つっかえながら出たその言葉に、ジークはㇰシャリと笑みを零した。

 私が初めて見る。優しくて、寂しそうな、そんな笑顔。

 私はそれを見て、急に胸を締め付けられるような感覚を覚える。


「じゃあ、元気でやれよ。お前、意外と無茶する奴なんだから。風邪とかも気をつけろよ。......いや、都会はここよりもっと暖かいか。まぁ、なんだ、その」


 ジークが言葉を詰まらせる。

 私はただその様子を見ていた。ずっと、仲が悪いバディーだった少年は、少し照れくさそうに頬を掻いた後、ゆっくりとこちらに歩みを進めてきた。

 そして、その手をすっと開き、腕を広げ、私よりも一回り大きくなってしまったその体で、私を抱きしめた。


 暖かい。カルザと同じ、匂いがする。


「また、会おう。どこかで。きっと」


 耳元で囁かれる言葉に、私はむずがゆくて、とっさにその腕から逃れた。


「ど阿呆」


 こぼれた悪態と共に、私は堪え切れすに笑った。その様子を見て、ジークもまた悪態をついて笑う。


「お前らしいよ、それが」


 笑いながらジークがそう言って静かに深呼吸すると、止める暇もなく、足早に去っていく。




 私もまた、お前らしいよと、心の中で呟き、部屋に戻った。



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