第5話  里との別れ5


 静寂に包まれた翌朝の早朝、私はおさと共に里を出た。


 おさというのはこの里を取り仕切っている者の称号だ。目の前で馬車に揺らされたご老人がまさにその人物である。彼は首元まである白鬚を撫でながら、随分前に悪くした片膝を擦り、窓の外を油断なく睨みつけていた。

 とはいえ、別に特段何かを警戒しているわけではない。

 これが長のいつも通りのなのである。


 私はそんな長から目を離し、馬車の中から段々と小さくなっていく里を見つめる。

 生まれて初めて乗る馬車は、酷く揺れて、最悪の気分だった。

 木々の影に隠れ見えなくなっていく里は、木材でできた塀で全体が囲まれている。高さは三メートルあるぐらいだろうか。その塀の上には見張り台がいくつも付いていた。

 それらは外からの外敵と、内からの逃亡者に向けて常に警戒が向けられている証だ。


 改めてそう考えると、不思議な気分だ。あの里も、事実だけを見れば、自由からはほど遠い場所であったのだ。自由に出歩くことも、生活することもできない。仕事が入れば、どのような相手にも牙を向く。

 檻に入れられた獣か、はたまた鳥かごの中の鳥か。

 そんな場所であっても、離れる今となっては郷愁の念に駆られる。


 私が自嘲するように薄く広角を上げれば、白い鳥が視界の端を通り過ぎ、森の肌が粟立つように草木が揺れた。

 聞き慣れた、甲高い鳥の鳴き声が辺りに響き渡る。


 ここにも、しばらくすれば冬が訪れるだろう。

 この里周辺は、向かいにあるグリジマニア山脈の影響で、海から流れてきた風の標高が急激に上がるため、激しい雪が降る。すべてが凍てつく冬のその場景は、判で押したように私の記憶の奥に焼き付いていた。

 白銀の竜の鱗のような雪原、小屋の屋根に列なる宝石のような氷柱。

 人が故郷という言葉を口にするときに、私の脳裏に過るのはこの光景。母なる大地を覆い尽くさんその白が、私は好きだったのだ。

 

 振り返っても、もう里の塀は見えない。

 もう、あそこで冬支度をすることはない。

 そう思うと、仲間とともにドロドロになるまでこき使われた日々が懐かしい。


「不安か?」


 目の前に座っていた長が、相変わらず白い髭をなでながら、私の方を見た。私はなんと反応すべきか迷い、曖昧に頷く。不安が無いと言えば嘘になる。だが、それを馬鹿正直に話すことも、戸惑いがあったのだ。

 私の反応を見て、長はㇰシャリと微笑んだ。それが少し、カルザの姿と重なる。

 長はその研ぎ澄まされた刃物様な顔つきに似合わないその笑顔で、口を開いた。


「そうだろうな。わしも、お前を外にやるのはまだ早いと思っていたんだがな」


 白髭を丁寧に撫でつける長の発した言葉に、私は驚いた。


「...そうなんですね」


「驚いたか?」


 長の覗き込むような視線に私は困惑しながら、なんと返答しようか吟味した。

 私のその様子を、長はおかしそうな顔で見下ろしていた。


「これでもわしも人の子よ、お前みたいなちびっこいのを貴族の元におくるのは、流石に心が痛む。それに、今回はカルザがかなり渋っていたからな。手塩をかけて育てた愛弟子の悲しむようなことは、出来ればしたくないものだ」


 その慈愛に満ちた柔らかい瞳は、ここにいないカルザに向けられたものなのだろう。私が居心地の悪そう身じろぎをすると、長は優しい苦笑を零す。


「しかし、今回は我らの領主でもある、ルトビア一帯の統治するエッカット・ルヒデコット侯爵からの依頼だ。これを個人の情で跳ねのけることは、我らが里の長として許されん。これも我らが里で育ったものの定め。腹をくくってもらわなくてはならん」


 先ほどとは違い、里の長として相応しい鋭い顔つきになると、長は私の肩に枯れ木の様な手を乗せた。私は無言で長を見返す。


「侯爵は先代が早世されたため、最近代替わりされたばかりの若い方だと聞いている。悪い噂は聞かんが、どうにもきな臭い。恐らく裏がある仕事であると覚悟しろ。わしらはお前に生きていくすべを、出来るだけ教えてきたつもりじゃ。そして、お前はわしらの期待に十分こたえてきた」


 長の真剣な眼差しに、私は唾を飲む。

 馬車の車体がきしむ音が規則正しく鳴り響き、私は一拍遅れて口を開いた。


「はい。幼い私を育ててくださった恩は忘れません。力を、尽くします」


 私の言葉に長は満足そうに頷いた。


「.............うむ、良いだろう。では、里では出来なかった、今回の仕事についての詳しい話をするぞ。まず、ルヒデコット侯爵についてはどこまで知っている?」


「あまり詳しくは。ルトビア地方を治める侯爵家で、現在は先代の長男であるエッカット・ルヒデコット侯爵が爵位を継承しています。確か、未婚であったと」


 私は、自分たちの領主として、最低限知っておくべき情報を知識を述べていく。長の言うとおり、現侯爵が若いこともあり、人柄や功績についての情報はほとんどない。


「うむ、そうだな。二年ほど前に先代が亡くなり爵位を継承なさった訳だが、現在子供は一人もいない。婚約者も今のところ発表されていない。さて、そこでだ、この前その従者がここに来た時に聞いた話では、お前は侯爵の養子として迎えられるようだ」


 その言葉を聞き、私は固まる。長も私の反応を予想していたようで、「驚くのも無理は無い。私もその話を聞いた時は度肝を抜かせられた」と深く頷く。


「そんな、どうしてわざわざ平民の傭兵である私を」


「だから裏があると言ったであろう。わざわざ、年端もいかない傭兵の魔人を先代の私生児として自身の養子に向か入れるのだ。何もないわけがない。それにあたって、わしはお前に対する一切の情報を消すことを求められている」


 恐らく裏があるとは言っていたが、ここまできな臭い話だとは思わなかった。そこまでするということは、そうしなければこなせない仕事をさせるということだ。


「では、私に求められているのは傭兵としての仕事というより、諜報員、というわけなのでしょうか」


「もしくは何者かの暗殺、とかな。第一夫人であるアンネ様が殺されたの知っているか? ここ数年、次期王位をめぐる公爵家同士の緊張感は高まってきている。加えて、長らく王伏せっている。あながち冗談では済まされんかもしれん」


 低く笑う長に、私は背筋が冷える思いがした。

 貴族、特に王族の殺害など、自身の極刑だけでは済まされない。もしもの時は、このルヒデコット侯爵家に連なるすべての貴族の血が、処刑台の贄となる。私の様な平民は、四肢を馬に引かれて千切られ、家畜の餌にされるだろう。何にしても、碌な死に方はしなさそうだ。


「少なくともお前に求められているのは、純粋な兵士としての力ではないことは確かだ。まぁ、もともとお前に魔人としての純粋な力には期待できないからな。お前に流れる『森導くものティプナス』の強みは、奇形の影響を受けにくく安定している所と、魔法は使えないもののバランスが取れて融通が利く所だ。後は、その隠密行動能力だな。そういう意味じゃ、スパイにお前を使うってのは、強みの分かった良い主人かもしれん」


 皮肉な言い回しに私は内心うんざりしつつ、長にされた自身の評価に納得する。

 確かに、私はオザックなどの戦闘に特化した魔人とは違い、純粋な力はそこまで強くはない。むしろ強みは、小回りの利く体と、持ち前の気配の薄さである。

 そう言われれば、私は兵士よりも、密偵の方が向いているかもしれない。


 ただ、私はそのような訓練を受けてきたわけではない。そう考えれば、やはりそれだけの理由で私を指定してくるなどおかしい気がした。


「なぜ、私だったんでしょう」


 素直な疑問が口からポロリと出る。

 私の問いに対して、長はその膝をさすりながら首をかしげた。


「そればかりは、わしにも見当がつかん。お前の外見や年頃が侯爵にとって都合がよかったのか、はたまた『森導くものティプナス』の血を引く魔人を求めていたのか、それともただの偶然か。こればかりは、ふたを開かんことには何ともな」


 長はそう言って意味深げに一度私の顔を覗き込んだ後、微かに口角を上げた。

 実に嫌な言い方である。やはり、私を心配しているなんて、真っ赤なウソなのではないだろうか。


 私が胡散臭げな視線を長によこせば、彼は肩をすくめた。


 侯爵家からの妙な依頼。

 第一夫人殺害と、殺伐とする王宮内。

 長らく伏せっている国王。

 私という人選。


 馬車の車輪が規則正しく回り、馬の蹄が地をける。

 窓の外見やれば、いつものけもの道から、町へと続く平らな通りへと出ていた。そのおかげか、馬車の揺れが収まってきているように感じる。


 疑い始めればきりがない。

 私は深く深呼吸して、背もたれに寄りかかった。





 私は不意に背後にゾワリとした寒気を覚える。

 なにかが、私の肩をそっと掴んだ気がした。


『逃れることなんてできないのよ。あなたは、私の、娘なんだから』


 振り返らず進むしかない、ただ、前に、その先に。

 戻る場所など、もうどこにも、ありはしないのだから。




◇◇◇




 長の物騒な物言いに、気分を地の底までたたき落とされた私だったが、その後も馬車は走り続け、目的の場所、ルンベルクまでたどり着いた。ルンベルクは里から南東に進んだ場所で、ルトビア地方の南部に位置する街であり、有数の市場町だ。私も里の仕事でも何度か訪れたことがあるが、隣国のアリステリアの商人達が多く入ることもあり、非常に賑わった街だと記憶している。


 私が馬車から降り街に入ると、昼間の騒がしさが落ち着き、人々は帰路に就く、そんな頃合いであった。淡い空には赤が垂れたように滲み、仕事を終えた商人達が酒場に明かりを灯している。少しくたびれたような乾いた笑い声が、山吹色の街に響く。


 そんな街の様子を眺めながら、私はそれを通り抜け、その中心にある巨大な屋敷の前に立った。


「これがルヒデコット侯爵家の屋敷、ですか」


 屋敷と言っても、今はまだその周りをかこっているであろう石造りの厳つい塀しか見えない。

 その、大きさと言い、どこか不気味な雰囲気と言い、あまり好き好んで入りたいと思えない外観だ。

 賑やかな町の様子から一線を画したその風貌に、私が顔を引きつらせると、長が「仕方なかろうて」と言って、門番に声をかける。彼らからすれば薄汚れた様に見える私たちに、門番の男は少し顔をしかめたが、長の話を聞いて納得したように扉の中に通された。


 通された門の中もやはりどこか不気味で、広い庭の先にぽつりと屋敷が立っていた。

 庭には花や植物などはほとんどなく、申し訳程度に背の低い木がある以外、何もない。

 長は、門をくぐる抜けた先に立っていた品の良さそうな初老の男に、私を引き渡した。


「失礼いたします。先日はどうも。これが、例の、魔人でございます」


 長は深く頭を下げると、私に目配せをした。

 挨拶をしろという事だろう。私は、「ユーリカと申します。よろしくお願いします」と言って、長に倣い頭を深く下げる。


 黒い貴族の様な服を身にまとった初老の男は、私を上から下へとじっくりと見た後、長にもう帰るように促した。長は心得ていたかのように私に一度視線をよこし、踵を返す。まさかそうそうに見捨てられるとは思わなかった私は、驚きを隠せずにその様子を見つめるが、長はその視線を気にも留めず門の外へと去っていく。もう、どうにでもなれという気分だった。


「ふむ、君がね。まぁいい、そのままでいいからついてきなさい」


 初老の男の声に、私は口を引き結んだままただただ頷く。

 それから、その男に連れられた私は、そのまま客室らしき部屋に通された。

 正直、養子にされる云々について半信半疑だったが、客室に通されたことと、目の前の茶の入ったティーカップを見る限り、さほど悪い扱いを受けている訳ではないのではないかと思う。


「準備が整うまで、その茶でも飲みながら、君はここで待っていなさい。ただし、椅子には座らないこと。その姿のままでは掃除が面倒だ」


 男はそう言って、目の前に出されたティーカップを示した。


「はい、いただきます」


 私は席にはつけさせないにも関わらず、茶を出すという振る舞いに若干矛盾を感じながら頷く。

 あまり茶を楽しむ気分では無かったが、目の前の男はじっとそのまま部屋に待機しているため、飲まないままでは居づらい。仕方なく、私は少し茶を口に含んだ。嗅いだことのない甘い香りが鼻孔をくすぐる。流石、貴族といったところだ。

 そんなことを考えながら私はティーカップをソーサーに戻した。





 そして、そこからの記憶はない。

 覚えていたのは歪んでいく視界と、体から力が抜けていく感覚。

 それだけだった。





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