第25話 彼へと贈る送別歌4




 それからしばらくして、ロニーナ達は馬車に乗り、オレンジ色の街へと消えていった。ロニーナ達の領地はここと遠くはないといえ、わざわざ毎回よく来るものだと、感心してしまう。


 私は彼らを見送った後、自室に帰ろうと屋敷のほうを振り返った時、二階の窓から誰かがこちらを見ていることに気が付いた。夕べの光に目を細めながらそちらを見上げれば、その人影が軽く手を降っているのが見える。

 その人影の人物を認識した瞬間、私は驚きで目を見張ってしまった。テブレヒトが珍しく部屋の外に出ていたのだ。


 この前のレッスンの後、しばらく体調を壊していると聞いていたが、大丈夫何だろうか。彼が手招きをしているのでそちらのほうに向かいながら、私はそんなことを柄にもなく考えた。


 階段を上り、テブレヒトが腰をかける廊下の窓際に目を向ける。彼も彼で、こちらを向き、すっと目を細めた。山吹色に染められた光が彼の黒い髪を照らす。どこか朧げなその情景。


「随分と楽しそうだったね。その服もずいぶん似合ってるよ、お嬢さん」


 皮肉を含んだその表情に、私は軽く肩をすくめた。


「別に、そんなんじゃありませんよ。阿保らしい。もしかして、羨ましかったんですか?」


 私が嘲るように笑えば、テブレヒトは少し驚いた顔をした後、「君もいうようになったね」と苦笑した。

 そして、彼の再び視線はロニーナ達が出て行った門の方向へ向く。こちらからその表情は読み取れない。私は腕を組んで彼の腰掛ける窓際の横に寄りかかる。


「羨ましい…ね。…確かに、僕は彼らのことはあまり好きでは無いかな。自分の惨めさを実感させられるしね。僕はどっちかと言えば、君のほうが好みだよ」


 そういって細められる瞳は、どこかさみし気だった。

 もしかしてこれは口説かれているのだろうか。私がテブレヒトをさりげなく見る。


「僕は、僕より不幸な人間以外が嫌いなんだ。だから、君みたいな不憫な奴のほうが見ていた心が落ち着く」


 光の入っていない乾いた目でそういわれると、私は思わずぶるりと悪寒を感じて両腕をさする。


「想像以上にひどい理由で絶句しました」


「君を好きになるのにそのほかの理由があるわけないだろ」


 呆れたような表情が本気で彼がそう思っていることを示しているようで、私の頬が引き攣る。いっそ清々しいまでのゲスっぷりである。

  テブレヒトはそんな私の表情を見て、声を殺して笑った。完全に遊ばれている気がする。


 しかし、テブレヒトはふと唐突に笑うのをやめた。

 そして、大げさにため息をつく。


「でも、最近はそうでもないよ。…いや、違うな、君を見ているときが一番つらい」


 息継ぎをするように一度言葉をとめて、顔を上に向けた。テブレヒトはどこか震えた声をだす。


「…夢を見るんだ。いまだに父親に抱きしめられる、そんな夢を見る。父親になんて一二言しか声をかけられたことなんてないのに、お前はよくやったと、抱きしめられる。

 馬鹿みたいだろう。二年も前に死んだ、数回しか顔を合わせたことない人間に、認められたいといまだに願ってる。

 僕は君みたいに簡単には捨てられない。諦められない。たとえそんな日が決して訪れないと知っていても、いまだに願い続けてしまう。父に、兄に、姉に、認められる日を恋焦がれ続けている」


 消えてしまいそうなその声は、まるで悲鳴だった。テブレヒトは言葉を吐き切ると、細かい呼吸を繰り返し胸を抑える。丸まった背中がひどく小さい。


 そんなことは無い。私も捨てられないものばかりだ。

 私だっていまだ母の陰に囚われ、それに怯えた続けている。

 その時の後悔をいまだに抱き続けている。


 テブレヒトは呼吸を必死に整え、深く深呼吸をした。そして、力なく窓に寄りかかる。


「君は簡単に捨てれられる。名前も、故郷も、手の内にあったはずの微かな幸せも、仕方なかったと切り捨てられる。

 それに比べて僕はどうしようもなく惨めだ。今更どうにもならない過去に囚われて、決して来ることのない未来に焦がれている」


 両の手で顔を覆い隠すテブレヒトが、弱弱しいただの子供の姿に見えた。そこには決して消えることのない痛みがある。決してぬぐうことのできない思いがある。それが身を切り裂かんばかりに伝わって来た。


「惨めなんだ」


 零れ落ちた言葉はどこまでも落ちてゆき、誰にも掬うことはできない。


 私は言葉に詰まりながら嗚咽を溢すテブレヒトに近づき、手を差し出した。


「…これ以上外にいては体に障ります。部屋に戻りましょう」


 テブレヒトは目じりを落としながら「そうだね」と、私の手をとった。その手は冷たく、壊れてしまいそうで、私は思わず唇を噛んだ。

 ふらりと立ち上がったテブレヒトの腰を支えながら、私たちはオレンジ色に輝く廊下を歩く。

 立って少し歩くだけでも彼に額に浮かぶ雫、上がる息。そのすべてが残された時間の少なさを表しているようだった。




 私たちが部屋につき、テブレヒトを自室のソファーに座らせた頃には、あたりはうっすらとした闇に覆われ始めていた。私は彼の前にしゃがみ込み、その表情を覗き込む。苦痛にゆがんだその顔は蒼白で、浅い呼吸を繰り返している。


「…人を呼んでくる。お前はもう、休んだほうがいい」


 私が立ち上がって扉に向かおうとすると、テブレヒトの手が私をつかむ。

 また、人を呼ぶなというのかと思い私が振り返って彼をにらみつけると、テブレヒトはゆるゆると頭を降って、「わがままは言わない。この前も手間をかけさせてしまったしね」という。

 そして、一度言葉を切ると、再びゆっくりと口を開いた。


「実は明後日、ここを発つことになったんだ。だから、君とのレッスン明日が最後になる。

 それで、お願いなんだけど、明日君が僕になった姿を見せてほしいんだ。服も僕のを貸してあげるし、一回でいい。それであきらめをつけたいんだ」


 テブレヒトは懇願するような瞳で私を見つめていた。私は一瞬返答に詰まったが、「…別に、構わない」と答える。彼に世話になったのは事実であるし、それが彼の願いであるというならば受け入れようと思ったのだ。


 テブレヒトは私の返答に満足したように私から手を放し瞼を閉じて、ソファーに身を沈めた。私は目を細めてその様子を一瞥した後、再び扉のほうに向き直り、部屋の外に出た。



◇◇◇



 そして、部屋から出た私はたまたま近くを通りかかった使用人声をかけ、事情を説明する。

 話を聞いた使用人の女は、少し面倒そうにうなずくと、足早に去っていく。その様子を見て、テブレヒトがなぜ彼女らを呼びたがらないのかがわかったような気がした。


  私はテブレヒトの部屋の扉の前にある窓際に腰をかけて、薄明の空をぼんやりと見つめた。

 はじめてこの部屋に来た時、私はここをどこか陰鬱な薄気味悪い場所だと思った。その感想は変わらない。

 ここはひどく寒い場所だ。私が住んでいた里のある山脈の高地よりも、ずっと寒いとすら思うほど。そう感じた瞬間、テブレヒトの言葉が胸をかすめる。


「簡単に捨てられる、ね」


 真っ白なあのする里の情景。いつも不機嫌だったバディの少年。世話焼きな青年。ずんぐりとした体の育て親。変わった仲間達。

 ここに買われた時点での地に帰ることはない。だから、忘れようと努めてきた。

 だが、本当にすべてを私は諦めきれているのだろうか。

 胸を締め付けるような痛みが私を襲う。その感情の名前はわからない。




 そんなことを考える中で、私は一つの足音が廊下の奥から聞こえてくることに気が付いた。


 私は窓から目を離し、そちらのほうに目をやれば、少し息を切らしたヨセフがいる。私に近づいてきた彼は眉尻を下げながら、腰に手をあてた。


「レオノーラ様、どこにいるのかと思えばこんなところにいたんですね。自室以外の場所に行くときは俺に一言伝えてください」


 どうやら、ロニーナたちを見送った後、客間で片付けをしていたヨセフたちに置いてここにきてしまったことに怒っているようだ。

 私が片手をあげて「悪い」というと、ヨセフはどこか毒気を抜かれた顔をして「別に…いいですけど」と口ごもった。


「やけに素直じゃないですか、らしくないですね。

 それに、テブレヒト様の部屋の前なんかで何をしてたんですか?」


 私は先ほどの出来事として外に出ていたテブレヒトを自室まで送ったことと、今は使用人が来ること確認したら離れようと思っていたことを話した。ヨセフはそれに納得したようで頷くと、何故か私が座っている窓際の隣に腰掛けた。


「どうしてお前まで座るんだ」


「立ってろってことですか?」


「いや、戻れよ」


「いいですよ、俺もここで待ちます」


 そういって笑うヨセフはどこか楽しそうで、しかし寂しそうだった。

 窓際で二人腰掛けながら、ぼんやりと窓の外を眺める。見えるのは殺風景な庭と、灰色の外壁。薄明の空はいつしか闇に覆われ、木々の影がざわめいていた。


「テブレヒト様、もう少ししたら領地の外の別荘で療養なさるそうですね」


 ヨセフがどこかしんみりとした様子でそう口にする。

 ヨセフたちは私たちが入れ替わることを知らない。だから、本当に素直に彼が療養をしに行くのだと思っているはずだ。本当は私の存在との矛盾が起こらないように、エッカットの命令によって辺地に追い出される。そのことを知るのはこの屋敷では私とテブレヒトとエッカットだけだ。


「寂しいんですか、レオノーラ様」


「別に、清々するだけだ」


「こっちは素直じゃ無いですね」


「阿呆」


 いたずらっぽい笑みで私の顔を覗き込むヨセフは、面倒な時のイーリットにそっくりで嫌になる。私が顔をそらすと、背中のほうで肩を揺らした彼の笑い声が聞こえてきた。

 その振動が暖かくて、なんとも言えない気分だ。

 私はテブレヒトの冷たい手の感触を思い出す。あの、弱くて、簡単に壊れてしまいそうなあの手のひら。


「寒いですね」


「ああ…」


 ヨセフの言葉に同意すると、なぜだか部屋の中で一人待つテブレヒトのことが気になった。




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