第8話 森導くものの魔法2



「魔法、ですか?」


 エッカットの執務室の中心に鎮座する事務机に座った彼が、ごく自然に紡ぎだした言葉を私は思わず聞き返した。

 エッカットは、相変わらず女のように長い髪を背に流し、青白い骸の様に不気味で骨ばった顔つきをしている。生気のない瞳はどろりと濁っており、その下にはやせ細ってくぼんだくまがあった。

 その様子がどこかあの女、母の姿と重なり、背筋が冷える。


 彼の執務室の中は非常に質素なつくりをしており、最低限の装飾以外には仕事道具しか置いていない。生活感が限りなくそぎ落とされたその部屋は、持ち主の性格をよく表していた。


「そうだ、何のために森導くものティプナスの魔人であるお前を雇ったと思っている。むろん、魔法を使えるようになってもらう。当然だろう」


 エッカットは私をバカにするように軽く鼻をならし、机の端を指先で叩いた。

 部屋の中に、一定のテンポのくぐもった叩音こうおんが響く。

 私は片方の頬を引きつらせながら、口を開いた。


「お言葉ですが義父様。森導くものティプナスは魔法を使えない魔人です。ですから、私に魔法は使えません」


 魔人には、魔物と同じように、魔法を使うことができる者がいる。

 しかし、すべての魔人が魔法を使えるわけではなく、流れている魔物の血によって使える種と使えない種があるのだ。

 例えば同じ里のオッザックは嵐駆けるものルシファザリスの血を引く魔人だが、彼はその名の通り嵐を呼ぶ魔法を使うことが出来た。

 一方私は後者であり、魔法を使うことのできない種類の魔人なのだ。

 こんなごく当たり前の事実を、雇い主であるエッカットが知らないなど誰が想像するだろうか。是非早急に呪いを解き、返品していただきたい。


 そんな私の内心などつゆ知らず、エッカットが当然のごとく再び口を開いた。


「馬鹿を言うな。本来、この世に魔法を使えない魔人などいない。

 使えないのは奇形が足りていないか、具体的なイメージがついていないということだ。森導くものティプナスの使える魔法は身体変化。自身の体を、自らの意思で操作できるかなり強力な魔法だ。

 ただ、その力の性質上悪用される危険性が高いため、あまり表には出ていない情報だがな」


 身体、変化?

 私はエッカットに言葉を心の中で反芻する。

 なにか、小骨を喉にひっかけたような違和感があった。その理由を自身の記憶に問いかけるが、あともう少しというところで思い出せない。


 私はなにか忘れている。


 私は混乱したまま、エッカットの言葉を信じられず、「そんな、まさか」と言って頭を横に振った。そんな事実聞いたことがない。これでも魔法を使えないか悪あがきをしたことが何回かあったが、結果は勿論何も起きなかったのだ。それがここにきて突然使えるようになるとは思えない。


「レオノーラ、グダグダと言い訳するのは結構だが、私はやれと言ったのだ。その意味はわかるな」


 低く這うような冷気を伴った声色に、私は背筋を伸ばした。

 濁った瞳がぎろりとこちらに向けられる。


「私のやれと言ったことは、やれ。いいな」


 私は「かしこまりました」と頷き、こぶしを握りしめた。

 頭の中には三つめの呪いの言葉が浮かんでいる。

 エッカットへの絶対服従。

 勿論、今回は呪いによって命令された訳ではないので反すれば死ぬということはないが、死ねと言われれば死ななくてはならない恐怖は絶大だ。


 私の返答に満足したように、エッカットは睨み上げていた視線を逸らす。


「ただ、魔法は奇形を急激に促進させる。

 急激な奇形化は身体への負荷が大きすぎるため、最悪の場合死んだり、体が急激な変化に耐えられず動かせなくなることもある。

 だから、初めは無理に大きなことをやらず、小さなことから始めろ。

 来年までに全身を変化できる位、奇形が進んでいればいい」


 私はエッカットの話を聞きながら、だんだんと背中から脂汗が滲み出てくるのを感じた。

 急激な奇形、その言葉に過去に見たある悍ましい光景がよみがえる。


 奇形というのは、魔人が魔物の体に近づいていく現象のことを指す。

 魔人は元来、その成長に伴い体が奇形し、人ならざるものの特徴を獲得していく。私の知っている中では、里にいた魔人に鱗の様なものが腕に発現している者がいた。もっとひどいものであれば、顔の周りから獣の体毛の様な毛皮が生えてきていた者もいたはずだ。


 しかし、この時私の脳裏によぎっていたのはそれだけではなかった。

 それは仕事で外に出た時に見た物であったが、頑丈な檻の中に入れられた魔人が狂ったようにその鉄格子に頭をぶつけていたのだ。

 その魔人の姿は、今も瞼の裏に焼き付いている。

 もはや人間であるというにはあまりにも歪で、悍ましい姿。皮膚は黒く変色し、体の骨格は腕と足だけが歪に伸び、顎は変形して常に舌が垂れ下がている。


 人と呼ぶには明らかにその原型を失い、獣と呼ぶことすら躊躇する。

 それほどまでに冒涜的な姿だった。


 カルザは言った。あれは無理に大きすぎる力を使った者の姿だと。


 脳にまで奇形が及んだ魔物は、もう愛しい人を想うことすらも出来なくなってしまう。

 強大な力にはそれ相応の犠牲とリスクがある。正に諸刃の剣。

 人間のままでいられる時間と化け物になるリスクを代償としてはじめて、私たちは魔法を手にする権利を得るのだ。


森導くものティプナスの魔人はその力で身体的奇形の影響を隠せる上に、元々の魔物の知能が高いことで、精神的影響がほとんどない。非常に都合のいいことだ。計画的に奇形を進めれば、半永久的に人間世界にいられる」


 エッカットが机の端をたたく音が、ぽつりと部屋に響き続ける。

 彼の不気味な薄い笑みがその虚ろな顔に泡のように浮かんで、沈む。


 私は生唾を飲み込み、もう一度大きく頷く。

 少なくともエッカットは本気だ。

 ならばやらなくてはならない。


 エッカットの紡ぎだすノック音が、地獄の窯底からの訪問者のような気がして、私は大きな身震いをする。

 私はそれらを振り払うかのごとく、頭を振ってから、部屋を出た。



◇◇◇




「無理だ。不可能だ。どうすればいいっていうんだ、このくそったれ。なーにが、本来、この世に魔法を使えない魔人などいない、だ。あの骸骨男」


 胡坐を掻いたまま頬杖をつき、ふてくされたように悪態をつく。

 この丸一つ分の季節を使ってもこうなのだ。ふてくされたくもなるだろう。

 正直、エッカットが私をだましている可能性も考えたが、そんな非生産的効果に何の意味があるという至極まっとうな結論に行きついてしまう。


 すると、隣でその姿を見ていたヨセフが引き笑いをしながら、生理的に流れた涙を吹く。どうやらツボに入ったようだ。


 カーテンの隙間から橙色の光が漏れ出している。強い朱を帯びたその色は、夜の訪れを待っているかのようにどこか朧気だ。


 私が笑い続けるヨセフを睨みつけると、彼は必死に深呼吸をしてどうにか笑いを収めた。


「まぁ、そうはいっても、旦那様は本当に不可能な無理難題を押し付けるような人ではないからさ。なんかコツがつまめてないとかそんなもんだろ。具体的なイメージ? とやらが必要なら、なにか想像しやすいものを考えてみようぜ」


「例えば何だ」


 私の問いに、ヨセフは答えに詰まる。

 きっと思い付きで発言をしたため、何も考えていなかったのだろう。

 しかし、案としてはあながち間違った方向性ではないと思う。実際にどのような風に体を変化させるかを、いかに具体的にイメージできるか。それが問題のカギかもしれない。


「体が自由に変化するものと言えば、水とかか」


 私は自身の手を見ながら、指が液体のようにとけるイメージをする。

 肌がとけ、それから肉がとける。そのうちに骨が露出し、それも酸をかけたようにとけていく。

 もちろん、実際にそうなることは無い。やはりそう簡単にいくものでは無いかと、吐息を零す。しかし、私はこの発想に解答に近づいてきている感覚を覚えた。


 隣でその様子を見ていたヨセフが、不意に顔を上げる。


「やっぱり、無機物よりも有機物の物の方がいいんじゃないか? 例えばそうだな。爪が伸びていく様子とか」


 なるほど、確かにより具体的だ。

 私は先ほどと同じように爪の先に全集中をよせ、それが伸びていくイメージを持った。

 しかし、残念ながら何もおこらない。根気強くしばらく念じ続けるが、やはりそれでも変化は無かった。

 隣のヨセフは早々に諦めたようで、次の案を口に出していた。


「じゅあ髪とか。あとは、舌を膨らませる感覚とか、腕を伸ばす感覚とか、後は男の陰部が伸びる様子とかどうだ? 見たことあるか? よっし仕方ないからここは俺が」


 私のこぶしが動く。

 ヨセフはそれきり口を開かなくなった。否、開けなくさせた。


 にしても、爪を伸ばす感覚はかなり良い発想であると思ったのだが、どうにもうまくいかない。

 もっと実際に伸びている様子を簡単に想像できるようなものの方がいいのかもしれない。しかし、それが何なのかはわからなかった。


 そのまま無為に時間が流れ、カーテンから差し込む光が覚めるような朱を失い、ウェールの様な宵闇に包まれた。部屋の中はかなり暗くなり、私でも活動が厳しくなってくる。ヨセフは随分前に部屋から出ていった。


 私は立上り、体を伸ばす。

 結局今日の成果は特に無かった。何一つ変わっていない自身の手を見ながら、私はため息をつく。日に日に焦りは募る。何も変わらないまま、このまま日々を過ごしていけば私はどうなるのだろうか。

 何よりも恐ろしいのは、何も変わらない自身の体を見て、どこか安心している私がいたことだ。

 怪物になるかもしれない恐怖。

 それが無意識のうちに魔法が起きることを拒否しているのではないかと、邪推してしまう。


 私はそこまで考え、長く息を吐いた。

 やめるべきだ。

 こういう時は余計なことを考えるたびに答えから遠ざかる。


 私は服のしわを伸ばした後、部屋から出て自室の扉に手をかけた。


 

 

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