第31話 再会と告白5
私がジークを追って部屋の外に出る。薄暗い廊下を見渡すが、彼の姿は無かった。
仕方なくその廊下歩きだすと、歩を進めるたびに床がきしむ音が暗闇に響く。安宿の壁からはいびきや、寝息が聞こえてきた。きっと壁が薄いのだろう。
少し間の抜けた音を出す階段を降り、宿の外に出る。そして、近くの石の階段を見下ろすと、そこに座り込んでいる少年、いやもうすでに青年と呼ぶべきであろう彼の姿が見えた。
三段ほどしかない階段にぽつりと座り込むジークは、閑散とした町を呆然と見つめているようだ。
私がゆっくりとその背後から近づいたものの、何と声をかけようか迷った。
声をかけなければ魔人でもないジークは私がいることに気が付けない。あまりこそこそするのも柄では無いので早々に話しかけたいが、うまい言葉が見つからなかった。
「.......ジーク」
私が仕方なく名前を呼ぶと、びくりと肩を揺らしジークがこちらを振り向く。
彼の目元がこすったように赤く腫れていて、涙のあとがうっすらと残っていた。そこで初めて、私はこの青年がひっそりと泣くために外に出てきたのだと悟った。
「お前、何しに来たんだよ」
気まずげに、物悲しい町のほうに目を向けたジークがそう呟く。
確かに私は何をしに来たのだろうか。クルトにけしかけられ追ってきたことはいいが、別に何か言わなくてはならないことがあるわけではない。
「.......別に、私も外の空気を吸いに来たんだよ」
「そう」
まったく信じていないだろうが、ジークはそれだけ言って先ほどと同じく黙り込んだ。私はもうどうすればいいか分からないが、これで戻ってもクルトが部屋の鍵を開けてくれない気がするので、仕方なく私はジークの隣に座りこむ。
冷たい石の階段から全身の熱を奪われながら、私は頬杖をついてジークのほうを見た。
すると、ジークが気まずそうに視線を泳がし、私の額を自身の片手で押してくる。
「こっちを見るな」
「別に見たくて見てるんじゃない。お前が泣き止まないと帰れないから待っててやってるんだ」
「俺を追うように言ったのはクルトだな、あいつ…」
そういって顔しかめるジークは、そうぼやいて私の額を押すのを止め、自身の膝の間に顔を埋める。
にしてもこの青年は、どうして泣いているのだろう。
元々よく泣くやつではあったものの、最近は随分とましになっていたと認識していた。だが、その考えは間違っていたのだろう。
なにせ私は先ほどの事柄から彼が泣く理由が何も思いつかない。よほどしょうもないことで泣いてるに違いないのだ。むしろ泣きたかったのはこちらの方だっていうのに、のんきな奴である。
私は足を伸ばし、夜空を見上げた。
夜空に雲がかかっているのか星はよく見えない。どこまでももやがかかったような暗闇が続いていく、そんな空。横から吹き込んでくる夜風がひどく冷たくて、一瞬のうちに鳥肌が立つ。
冬の足音が少しずつ聞こえてきそうだった。
そこでふと、私はいつまで人間でいれるのだろうかと考え始める。そのことを意識するたびに絶え間なく不安が募った。
奇形は私が想像していたよりもずっと恐ろしいものだった。
海に向かって足を進めていたら、まだ足元にしかないと思っていた海面が、腰のあたりまで来ていたような、そんな感覚。振り向けば海岸はひどく遠く、目の前にはどこまでも落ちてい行ける黒い海が広がる。
踏み出してしまえばもう二度と戻れず、自分がどれほど進んできたのかも分からない。それが奇形というものなのかもしれない。
ああ、しかしよく考えれば、私はこの世界で海を見たことが無い。もしかすればこの世界の海は私の知っている海とはまったく違うものかもしれない。そう思うと、一度ぐらい見て見たいものだ。
夜風が私の銀の髪を揺らす。
顔の横ではためくそれが邪魔で、その髪を抑えようと片手をあげた。そこで、視線を横にずらすと隣で縮こまっていたジークが、その銀の間からこちらを見ていることに気が付く。
その瞳が吸い込まれるような青色が、まるで小さな海のようで。私は息をのんだ。
その瞳の表面は波紋を浮かばせた水面のように揺れていて、わずか雲の間から差し込む月の光に照らされ虹色に輝いていた。
私の口から零れるように「泣くなよ」という言葉が出てきた。その言葉にジークはばつの悪そうに視線をそらし、顔を隠すように自身の前髪をくしゃりと掴んだ。
「悪い。…なんで俺が泣いてるんだろうな」
「全くだな…それで、なんで泣いてるんだお前…まさか、夜風が怖いとか言うなよ」
「そんなわけあるわけないだろ。俺をなんだと思ってるんだよ」
「泣き虫」
「…」
「事実だろうが」
「そう、だけど」
いじけたようにそう言うジークに私は思わず苦笑する。
流石に本当に夜風を怖がっているとは思っていないが、こういう彼を見ると余計な軽口が出てしまう。それがどうしてかは、よくわからない。
「お前は強いやつだな。いつもそうだ。俺の心配なんて結局何の意味もない」
「何の話だよ」
「そのまんまの意味。
お前は俺の力なんてなくても、自分のために、自分の力でなんでもできる。俺とは全然違う」
苦しそうにそう言うジークは、膝を抱え込んだ腕の間に顔を埋める。
やはり私には、この青年が何故泣いているのわからなかった。どうして私が強いと感じることが、彼が泣く理由になるのだろうか。意味が分からない。
「お前は強いよ。俺はそれがうらやましかったし、妬ましかった」
「私は…私は...強くなんてない。勝手に決めつけるな」
私の言葉に、ジークは顔を自身の腕にうずめたまま首をゆっくりと振り「強いよ」と呟いた。そしてしばらくして、ゆっくりと顔をあげる。
少しだけ赤く腫れた目元。細められた深い藍の瞳。柔らかなほほえみ。
そうか、この青年はこんな表情をするのだなと、よくわからない納得をしてしまう。
その表情に、私はテブレヒトが別れの日に見せたものと重なる。あの日の彼の諦めきれない思いを抱え、それでも前に進もうとする彼の表情。
ああ、そうか、同じなのか。
皆、惨めで、悔しくて、そんな憤りを抱えているのか。
だから、この青年は涙を溢しているんだ。
「私は強くない。…強くありたいとは思ってる。弱い自分はもううんざりだ」
「そう…」
テブレヒトの言葉を思い出しながら私がそう言うと、ジークは苦笑しながら遠くを眺める。薄暗い暗闇に視線を向ける彼はどこか悲壮を背負った表情をしていた。とても、私の言葉に納得したとは思えないが、それはそれで仕方がないことなのだろう。
これは私の過去を話さない限り、きっと誰にも理解できない。
あの黒髪の亡霊とのつながりを語らないことには、決して。
「俺も強くなりたい。強く生きて、それでいつか、叶えたい夢がある」
ジークが膝上で握りこんでいる拳が強く握りこまれる。それを何とも言えない気持ちで眺めることしか、私にはできなかった。
私は強くなりたかった。弱い自分が嫌いだったから。
私は自分のために生きたかった。そうではないと、自分の不幸を、世の不条理を、受け入れることができなかったから。
私は解放されたかった。すべてから。
私は結局、あの亡霊の呪縛から解き放たれることしか、頭になかった。
でも、今ジークを見て思う。
私は本当にこのままでいいのだろうか。
過去にばかり囚われて生きるこの生き方のままで、いいのだろうか。
「夢か、叶うといいな」
「…おう」
ジークのへたくそな笑顔がまばゆくて、私は思わず目をそらし、勢いよく立ち上がった。よくわからないが頬が熱い気がする。
「そろそろ戻るぞ。明日も早いからな」
「ああ。そうだな。
なぁ、ユーリカ。そういえば俺のあげた餞別どうだった?」
唐突にそう聞いてきたことで、私は一瞬なんのことかと思ったが、そういえば彼から里から出る際に餞別としてナイフを受け取っていたことを思い出した。
しかし、私はあれをまだ使っていない。というよりも、エッカットのもとに行ってからは使う機会が無かった。一応荷物の中に入れてきた気もするが、今回も恐らく出番はないだろう。
私が仕方なく正直にそう答えると、ジークはあっさり「ならいい」と言い放ち宿の部屋に向かって歩き始めた。
「使う機会がないなら、その方がいいからな」
ドアをくぐりながら一瞬こちらを振り向いてそういうジークは、心からそう思っているのだと感じさせる穏やかな表情を浮かべていた。
私はいまいち要領を得ないまま、そんなジークの後を追った。
どうして待ってやった私より先に帰るんだこいつ。と、思いながら。
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