第9話 森導くものの魔法3
自室に戻った私を、一人の女が迎える。
彼女の名前はイーリット。ヨセフの母親であり、私の侍女だ。30代の品のいい女であり、良く笑い、良くしゃべる。ヨセフと同じこげ茶の髪を後ろで一つにまとめ、服は汚れの目立たないモスグリーンなどのワンピースを好んで着ている、そんな女だった。
私はベットに腰を下ろすと、服を脱ぎ、肌触りの良い白いシルクのネグリジェに袖を通す。それらのことに、イーリットは手を出さない。
私の自室はすべて落ち着いた色合いの家具で揃えられている。木はすべて暗い茶で統一され、ベットなどは暗いワインレッドの毛布が使われていた。
私はイーリットの話を聞きながら、触り心地の良いベットのシーツに手を這わせ、そのさわり心地を楽しむ。
「......と、明日の予定はこんな所ですね。後は、旦那様からお嬢様に関する略歴となる物が届けられていましたわ」
そう言って、私に書類が渡される。
それを受け取ろうと手が一瞬イーリットの指先に触れる。
私は一瞬びくりとし、その動揺を隠すために素早くそれを奪い取った。
気づかれただろうか。
私はさり気なくイーリットを伺い見るが、彼女は特に気にした様子もなく、私のベッドを整えていた。私は抑えきれなかった安堵をこぼしながら、視線を戻し、渡されたレオノーラの略歴に目を通していく。
内容はあらかじめ聞いたていたことと特に変わりは無い。
話により具体性を持たせるために細かい設定が加えられているが、その程度のことだった。
私はその略歴軽く目を通しながら、しばし沈黙をする。
そして、恐る恐るイーリットに話しかけた。
「イーリット」
「はい、何でしょうお嬢様?」
彼女がにこりと笑った。
「私の実年齢は何歳に見えるだろうか?」
「................そうですね、11か、よくて12歳位でしょうか?」
「そ、そうか」
お、おかしい。一応これでも14から15歳程度ではあるはずなのだ。確かに体は小さいが、11歳は、色々とひどい。
私がつい肩を落とすと、イーリットは笑って、「魔人は他の者より成長が遅いと聞きますから、あまり気を落とさないでください」と慰められた。
「それにしても、隠し子ですか。旦那様も随分思い切った言い訳を考えたものですね。一体お嬢様に何をお命じになられるつもりなのか…」
イーリットが書類を覗きながら、口元に手を当てる。
イーリットや、ヨセフは私が魔人であり、本当は隠し子などではないことを知っている。そもそも、魔人は人間の女のもとからしか生まれないので、必然的に父親は魔物である。つまり、魔人である時点で先代の侯爵の隠し子ということはまずない。
彼女らが知らないのは呪いの件と、第四王子護衛のためにここに呼び出されたということだ。
ちなみに呪いの他言の禁止については、特にエッカットからは命令されていない。
てっきり、三つめの呪いに組み込まれるかと思ったが、それはなかった。まぁ、この呪いについては私のかなりの弱みだ。命じられることが無くとも、わざわざ他人に教えたりはしない。
私はイーリットに適当な相づちを打ちながら、一通り書類に目を通し終えた。
「さあな。...ああそれと、イーリット。そのお嬢様というのはやめてくれないか。名前で呼んでくれ」
私が書類を返しながらそう頼めば、イーリットは片手も頬に当てながら首を振る。
「いけませんわ、お嬢様。私にお願いなさるならまず言葉を改めてくださいませ。
来た時よりは、言葉遣いが丁寧になられておりますけど、それでは男性の言葉です。
私にお願いなされたいのなら『ごめんなさい、イーリット。恥ずかしいから、お嬢様ではなく、名前で呼んで下さらないかしら』と言ってください」
ヨセフといい、イーリットといい、私に対して言いたい放題過ぎないだろうか。
私は眉間を引くつかせながら、「ご、ごめんなさい、イーリット。恥ずかしいから、お嬢様ではなく、名前で呼んで下さらない、かしら......」と言い切った。
するとイーリットはにこりと笑う。
「嫌です」
「...............」
「あっ、そろそろ就寝のお時間ですわ。おやすみなさいませ」
イーリットは満面の笑みでそういうと、早足に部屋から出ていく。
その足取りのなんと軽やかなことか。
正直に言おう。私はこの親子が大の苦手だ。
何といっても、彼女の笑った顔を見るたびにヨセフの顔が脳内にちらつく。えくぼの位置、目じりのしわ、それが重なるたびに、私は血のつながりという因果の芳香を感じてしまうから。
私が最も恐れる母という生き物がそこにはあるから。
だから、私はこの親子が苦手だった。
私はベットの横になり、瞼を薄く細める。
そして、自身の手をじっと見つめた。
朝から置いてある窓際に置かれた花瓶から、花の甘い香りが鼻孔をくすぐる。
淡い月光に照らされた窓際。
そこには白の菊の様な花が、今朝とは違いその花弁を閉じていた。夜になるのと自然に閉じるのかと、思わず感心する。
あの花はイーリットがこまめに私の部屋に持ってきているものだ。飾り気のないこの屋敷で、外に出ることも無い私が少しでも気分が華やぐようにと言っていた。愚かなことだ、本当に。
そこでふと、私は再び自身の手元見る。
植物、そう言えば植物の茎が伸びるイメージは持っていなかった。
私はダメもとで、自身の指がそのように伸びるイメージをもつように務める。
その指先が透けるような黄緑の管であり、それがスルリ伸びていく。そういうイメージを持とうとした。
だが、やはり何も変わることは無かった。
やはりそう簡単にはいかない。
私は自身の浅はかな考えを嘲笑しながら、木々のざわめく音を聞いた。
夜風にふかれた木々が頭に思い浮かべる。
若葉が重なりあい、その枝が弛む。その月光に手を伸ばすように、枝が伸びていく。そんな光景が頭をよぎった、瞬間だった。
私の靄のかかった思考に、落雷の落ちたような衝撃が走る。
そうだ、そうだ、そうだったのか。
呼吸が荒くなる。
私は大きく目を見開き、自身の手をじっと見つめた。
そこには、一本の枝が突き出している。そして、その枝には蔦がまき付いており、その先に暗闇の中ぼんやりと光る花、
なぜ、忘れていたのだ。
私は
あの日からずっと感じていた違和感の正体。ずっともやがかかって、あと一歩のところで思い出せなかった記憶。
そうだ、そうではないか。
あの白い腕を伸ばされたあの時、私は恐らく記憶を無意識の奥深くまで沈められた。
あの神々しいまでの歌声。
色が抜けきり銀にも見える、あの冷たい肌、細い四肢。
すべてを見透かす薄紫の瞳。
あれを忘れるなどどうかしている。
あの冒涜的な美しさをもつ獣を忘れるなど。
私は反対の手で指から伸びるその導草の花弁に触れようとした。だが、それは急速に縮み、自身の皮膚の一部へと戻る。それは儚い一瞬のこと。
部屋は再び宵の闇へと包まれ、すさぶる夜風になみたつ葉の音だけがそこには留まり続ける。
窓から差し込む月影だけが、呆然座り込む私を見ていた。
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